第393話 令和2年6月2日(火)「学校再開」辻あかり

「やっと学校が始まるね」


 目の前の少女が屈託のない笑顔で声を弾ませた。

 今朝も曇り空だが昨日のように雨が降り出しそうな気配はない。

 これから日差しが出て、今日は暑くなりそうだ。


 登校中にたまたま出逢った彼女は顔馴染みのようにあたしに話し掛けて来た。

 実際はほとんど話したことがない相手だ。

 休校前に一緒に生徒会室に乗り込んだ仲ではあるが、その後は話す機会がまったくなかった。

 それでも彼女はあたしの顔を見るなり笑顔で近づいてきた。

 こうして学校に行きながら会話することが楽しくて仕方がないようだ。


「そうだね」とあたしは曖昧な笑みを浮かべる。


 彼女ほど無条件に学校の再開を喜べなかった。

 当面は分散登校が続くし、部活動も休止のままだ。

 もっと解放感があると思っていたのに、日常の学校生活が戻って来るのはもっと先になりそうだった。


「辻さんは練習頑張っているんだね」


 彼女はあたしの日に焼けた肌を見て微笑んだ。

 彼女の半袖のブラウスから伸びた腕はあたしとは対照的に青白い。

 この前の登校日でもあたしの肌の黒さは悪目立ちしていた。


「ヒマだったから……」と言い訳すると、「分かる! わたしも部活ばっかりしていたよ」と彼女は声を張り上げた。


「手芸は家の中でできるし、部員が少ないからオンラインで繋がるのも簡単だしね」


 得意そうに話す彼女は手芸部の部長だ。

 昨年、1年生の時に彼女が中心になって創部した。


「そうなんだ」とあたしは相づちを打つ。


「マスク作ったり、マスク作ったり、マスク作ったり……もう一生分のマスクを作ったんじゃないかな」


 大げさに聞こえるが、手芸部は学校の生徒全員分のマスクを手作りしたそうだ。

 それがどれほど大変なことかあたしには想像もできない。


「このマスク、もの凄く感謝しているよ」とあたしはいま着けている自分のマスクを指差した。


 学校に課題を取りに行った時に、学校から配布された分とは別にこの手芸部制作のマスクも配られた。

 素人が作ったとは思えないほどよくできていて、何よりデザインが良い。

 学校からもらった白マスクはかなりダサくて着ける気がしなかった。

 この前の登校日でもたいていの人は使い捨てマスクかオシャレな布マスクを着用していた。

 使い捨てマスクは最近ではどこでも売られているみたいだけど、この感染症の流行前に比べるとまだ割高らしい。

 だから、お母さんからは布マスクを使えと言われている。

 もし手芸部のマスクがなかったらダサい白マスクを使わなければならなかったかもしれない。


「ふふふ。そう言ってもらえると作った甲斐があったよ」と彼女、原田さんは満面の笑みを浮かべた。


 さらに、声を潜め、「実はね、いま夏用のマスクを開発中なのよ」と教えてくれる。

 季節はもう夏だ。

 朝のうちは平気でも昼間はぐんぐん気温が上がる。

 教室はエアコンがついているが、換気のため頻繁に窓を開けなければいけないそうだ。

 ほのかとふたりで行うダンスの練習では暑さや息苦しさを感じてマスクは着用していない。

 夏用マスクがあれば便利だろう。


「ポイントは素材選びと立体的な製法なんだけど、作る手間が普通のマスクの何倍も掛かるのよ。洗って繰り返し使える強度も必要だし、コレという正解が見つからなくて……」


 詳しい説明をしてくれたが、あたしではさっぱり分からない。

 外見は本当にどこにでもいる普通の女の子なのに、こうして専門的な話をしているともの凄い子のように見える。

 地味で目立たない彼女のどこからこの凄さがにじみ出ているのか不思議に思った。


「研究費を立て替えてくれている日野先輩からは、作り方の動画を作って素材を配ればって言われているんだけど、そう簡単にはいかないと思うのよ……」


「あー、うちは絶対無理だと思う」とあたしは肩をすくめる。


 学校で必要になる雑巾等を縫ってくれることはあるが、うちの両親は普段裁縫なんてまったくしない。

 あたしも家庭科の授業で習うだけで実践が伴わない。


「体育の授業で創作ダンスをやったからってみんながダンス部のレギュラーになれる訳じゃないから」と喩えると、「ホントそうだよね。何でも簡単にやってのける人には分からないのよ」と原田さんは共感してくれた。


「でも、どうしてそんなに頑張れるの?」とふとした疑問をあたしは口にする。


 自分の時間を潰して他人のためにマスク作りをするなんてあたしにはできない。

 いくら手芸が好きでも、そんな無償の精神がどこから出て来るのか分からなかった。


「うーん……、美術部でマンガを描く子がいて、描いたマンガを見せてくれるの。たぶん、読んだ人が面白いと感じてくれたら描いた労力に見合うと思うんじゃないかな」


 あたしがいまいち理解できずに首を傾げると、原田さんは言葉を続ける。


「ダンスでもそうでしょ。自分のダンスを見てもらって感動を与えたり喜んでもらえたりしたら嬉しいんじゃないかな。そのために必死で努力するんでしょ?」


「自分の中での達成感みたいなものを求めることはあるけど、他の人に見てもらう楽しさも確かにあるね」とあたしは同意する。


「マスク作りも自分の腕を誇ったり、さっきのように喜んでもらったり、そういう見返りはあるよ。あとは新入部員確保という目的もね」


 原田さんは芝居がかったポーズで指を立てた。


「幽霊部員みたいになっている3年生が引退しちゃうと手芸部は廃部の危機を迎えるの。だから、新入部員確保は死活問題なのよ!」


 大げさな身振り手振りで彼女は力説した。

 そして、「素晴らしい深謀遠慮でしょ」と自画自讃する。


「それで、入部希望者はいるの?」と尋ねると、原田さんは大きく両手を天に突き上げた。


 学校が近づき、他の登校している生徒たちが何ごとかとこちらを見ている。

 他人の振りをする訳にもいかず、あたしは彼女にそのポーズの意味を尋ねた。


「……お手上げ」


 部活が再開されるまではどうしようもないよね。

 あたしは原田さんを慰めながらダンス部のことを思う。

 新入部員が入れば、みんなのモチベーションが上がるんじゃないかと。




††††† 登場人物紹介 †††††


辻あかり・・・2年5組。ダンス部。次期部長候補。ほのかは昨日が登校日だった。


原田朱雀・・・2年2組。手芸部部長。主導して行ったオンラインホームルームは参加者が集まらず成功とは言えなかった。いつも一緒に登校するちーちゃんとは別のグループに。


日野可恋・・・3年1組。手芸部やダンス部の創部に関与した。下級生からは”怖い先輩”と呼ばれている。

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