第360話 令和2年4月30日(木)「戻りつつある日常と遠ざかる日常」川端さくら
『あ、さっちゃんじゃない!』
聞き覚えのある甲高い声。
しかし、それがわたしに向けられたものだとは思わなかった。
『か・わ・ば・た、さんでしょ? 懐かしいわね』
画面の一角でにこやかに微笑む顔。
しばらく見ない間にすっかり可愛らしくなっている。
いや、小学校時代から可愛くはあった。
ただ当時は背伸びをして大人ぶっていたので、服装や仕草が可愛らしい雰囲気と合っていなかった。
『
『なによ、そんなに嫌そうな顔をして。久しぶりなんだからもっと楽しそうにしてよ。ね、さっちゃん』
わたしは苦虫を噛み潰したような表情で、『5、6年になった時にはもうそんな呼び方をしてなかったじゃない』と呼び名の訂正を試みる。
彼女に馴れ馴れしい態度を取られると、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。
『えー、そうだっけ?』とわざとらしく大声を出した怜南は『このクラス、仲が良い子がいないのよ。だから、よろしくね、さっちゃん』と小首を傾げ両手を合わせて頼み込んだ。
今日からオンラインホームルームに参加した新参者にクラスメイト一同が注目している。
そこでかわいこぶって、わたしだけでなく画面を見ている全員にアピールをしているように感じた。
彼女ならやりかねない。
彼女とは同じ小学校で、何度も同じクラスになった。
低学年の頃は仲が良く、よく一緒に遊んだ。
幼なじみと言っていいかもしれない。
高学年になるにつれ、話す機会は減った。
彼女はクラスの人気者で、わたしはどこにでもいる普通の子。
怜南は他人をけしかけるのが上手く、自分は安全なところから騒動が起きるのを笑って見ているタイプだった。
彼女とはいろいろあったので中学校に入学してからは意識的に避けていた。
それなのに同じクラスになってしまうとは。
このところ立て続けに不幸な目に遭っている気がする。
『何? さくらの友だち?』と不幸の元凶のひとりである
月曜日に日野さんにケンカを売り、わたしは時間をかけて宥めすかす羽目になった。
心花は後を引かないタイプなので助かっているが、いつ何どきまたトラブルを起こすか非常に気掛かりだ。
クラスメイトたちの前でわたしが心花担当のように日野さんから言われたことで、そういう認識がクラス内に広まっている。
何かあれば絶対にわたしまでとばっちりがやって来る。
『あー、友だちというか、小学校時代の知り合い』と答えると、『ひどーい! 仲が良かったじゃない』と怜南からクレームが飛んで来た。
リアルとの大きな違いはこっそりとやり取りできない点だ。
この前だってリアルなら大ごとになる前に止められたかもしれなかった。
オンライン上で、空気が読めない心花をリアルタイムにどうコントロールすればいいのか頭の痛い問題だ。
『低学年の頃の話でしょ』と言い訳して怜南の不満を和らげる。
なんでこんな苦労ばかりと思うが、それを態度に出すとますますふたりの機嫌を損ねそうだ。
笑みを顔に貼り付け、『ほら、みんなの邪魔をしちゃ悪いから』と話題を逸らす。
日野さんにさっさとオンラインホームルームの開始を告げて欲しいのに、彼女は興味深そうにわたしたちの会話を眺めていた。
『話したいことがあるならどうぞ。時間は気にしなくていいから』なんて日野さんが言い出し、心花は『仲が良いの? 悪いの?』と問い詰めてくる。
図に乗って怜南まで『わたしも知りたい!』と言い出した。
わたしは答えられずに固まってしまった。
このまま回線落ちしないかなと微かな期待を抱くが、こんな時に限って回線は安定している。
パソコンではなくわたしがフリーズしてしまい、万事休すと思ったところで『それくらいにしてあげないと、川端さん困っているよ』と日々木さんが助け船を出してくれた。
日野さんが笑いながら、『そうだね、始めようか』と言って、わたしはようやく解放された。
『まずはお知らせ。藤沢市の決定を受けて、うちの市も休校が来月の月末まで延長されるそうよ。今日明日にも発表されるわ』
ゴールデンウィーク明けにすんなりと休校が終わるとは思っていなかったが、まだ丸々1ヶ月休校が続くと聞いてショックだった。
同じように呆然とした顔が画面に映っている。
単なる休みじゃない。
外出自粛など日々の生活に制約が多い中で過ごすことになる。
しかも、わたしたちは受験生だ。
休みが続く嬉しさよりも不安の方がはるかに大きかった。
『学校も生徒のサポートについていろいろと考えてくれている。でも、できることは限られる。だからこそ、わたしたちひとりひとりが自覚を持って助け合う必要があるの』
日野さんの落ち着いた語り口に少し心の動揺が収まった気がした。
『藤原先生よりも教師っぽいよね』と山本さんが言うと、笑い声が一斉に上がった。
ニヤリと笑った日野さんは『ああ見えて藤原先生は優秀なのよ』と褒めているのか貶しているのか分からない発言をした。
そして、顔を引き締め、『この生活があと1ヶ月続きます。生活、学習、運動、メンタルの4点を意識しましょう』とわたしたちに語り掛けた。
生活は、規則正しい起床就寝だけでなく、食事をしっかり摂ることや、同じく大変な状況にある家族のために家事などできることを手伝うように心がけようというものだ。
学習は、受験生だから言うまでもないことだが、いまの自分にできる学習方法を考えることが大切だと日野さんは説明した。
優れた学習動画や教育アプリのリストをメールで送ってくれると言う。
運動は、外出自粛で運動不足になると学習や精神面にも悪影響を与えるからと効果的な運動のやり方を教えてくれることになった。
そして、メンタル。
『新型コロナウイルスについては、いまだ分からないことだらけだから確実なことは言えません。ただ紫外線や温度・湿度の影響で夏場は感染ペースが低下する可能性があります。それに緊急事態宣言の効果はそれなりに出ているので、6月以降は学校が再開できると希望を持ってもいいんじゃないかと思っています』
『でも、期待してダメだったってなったら余計にショックなんじゃない?』と怜南が口を出す。
『そうかもしれないね』と日野さんは微笑んだ。
『2月末の一斉休校以来、延期延期で来たからそう思っても当然よね。ただ3月末やゴールデンウィーク明けの状況よりは可能性は高い。要は、目標を持って日々を送ることが大切なのよ。いままでは終わりそうにない雰囲気だったけど、今度こそはって感じね』
先のことは分からない。
自粛自粛で息苦しさだってある。
それでも海外でロックダウンが少しずつ解除されたってニュースを見たり、新規の感染者数が一時よりは減っているのを聞いたりすると希望の光が差してきたような気にはなる。
『休校は終わらないかもしれない。自粛の状況が続くかもしれない。それでもあと1ヶ月頑張ることができればどん底からは抜け出せるわ』
日野さんが言うと本当にそうなるように思ってしまう。
それほど自信に満ち溢れていた。
『信じていいの?』と怜南が問う。
日野さんがどう答えるのかクラス全員が固唾を呑んで見つめている。
『もちろん』と彼女はニッコリと微笑んで頷いた。
††††† 登場人物紹介 †††††
川端さくら・・・3年1組。これまでは心花の陰に隠れていたのに最近目立ちすぎて困っている。
高月
津野
日野可恋・・・3年1組。暫定の学級委員。市の教育委員会にもパイプを持っている。
日々木陽稲・・・3年1組。可恋と同棲中。天使と称される美少女。
山本早也佳・・・3年1組。ダンス部。
藤原みどり・・・3年1組担任。国語教師。
* * *
陽稲「いいの?」
可恋「何?」
陽稲「あんなこと言って」
可恋「あんなことって?」
陽稲「自信満々で『もちろん』なんて言ったじゃない」
可恋「信じるのは勝手だから」
陽稲「でも、可恋が間違っていたらみんな非難するわよ」
可恋「私は可能性を述べただけだから、どうなったって間違いじゃないよ」
陽稲「だけど……」
可恋「もう少し疑うことを覚えた方がいいよね」
陽稲「(可恋が言っちゃダメでしょ……)」
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