令和2年5月
第361話 令和2年5月1日(金)「宿題」日々木陽稲
「宿題を出そうと思うの」
今日のオンラインホームルームの最後に可恋が話のついでといった感じで言い出した。
この1週間の、1日わずか20分足らずの交流を通じて、すでに可恋の強権振りはみんなに伝わっている。
画面越しでも可恋の半端ない威圧感はしっかり届いているようだ。
もっとも、それ以前からほとんどの生徒は可恋の噂を耳にしていただろうが。
オンラインホームルームは暦通りに行う予定なので、ゴールデンウィーク中はお休みだ。
ずっと休校なので意味がないような気もするが、これもメリハリなのだそうだ。
だから、誰もがちょっとした課題程度だろうと思っていた。
「連休明けから5月いっぱいまでかけて、ホームルーム中にひとり10分程度でみんなを相手に授業を行ってもらおうと思うの」
可恋の予想外の言葉にざわめきが広がる。
わたしだって聞いていなかった。
目を丸くして隣りにいる可恋の凛とした顔をのぞき込んでしまう。
「主要5教科で3年生の新しい教科書の範囲ならどこでもいいわ。みんな、これまで8年間も学校で授業を受けてきたんだし、これくらい簡単よね」
口角を上げ、挑むような笑みを可恋は浮かべている。
確かに10分くらいなら、できなくもないような気がする。
そう思ったわたしに対し、「連休明け初日、1番手は日々木さんにやってもらうから」と可恋は宣言した。
「え! わたし?」
可恋はこちらに視線を送ることなく、「お願いね」と微笑んだ。
更に、「それ以降は抽選で決める。先生役以外はクラスのLINEグループに感想をお願い。一言、良かったとか退屈だったとかでいいから。寸評は私がきっちりレポートに書くからね」と言葉を続ける。
……レポートって何それ。
めちゃくちゃダメ出しされそうなんだけど。
「受験勉強で忙しいでしょうけど、人に教えることは勉強になるって言うわ。手助けが必要なら協力するから頑張ってね」と可恋は笑顔で有無を言わせず、かなり強引に決定してしまった。
ホームルームが終わるやいなや、わたしは可恋に詰め寄った。
「聞いていないんだけど」
「言ってなかったからね」
わたしが精一杯睨んだところで、可恋はどこ吹く風といった顔付きだ。
「わたしがこういうの苦手だって知っているよね?」と問い詰めるが、「別に失敗したっていいんだから、気負うことはないよ」と取り合ってくれない。
「言い出した可恋が最初にやるものじゃないの?」と口を尖らせると、「私のあとが良い?」と言われてしまう。
可恋が本職の教師みたいな授業をしたあとというのは余計にプレッシャーがかかりそうだ。
わたしは口を真一文字に閉ざし、眉間に皺を寄せた。
「でも、どうして授業なの?」と質問の方向性を変える。
可恋の授業ならともかく、わたしを含め中学生が教える授業なんて聞いても時間の無駄なんじゃないかと思う。
しかも、まだ習っていない3年生の範囲だ。
教える方も大変だし聞く方も大変だ。
可恋の提案にしてはうまく行くとは思えなかった。
「ひぃなは純ちゃん相手によく勉強を教えていたじゃない」
「それはわたしが知っていることだったから……」
「1週間もあれば10分程度の授業内容は理解できるでしょ?」
「そうかもしれないけど……」
納得できないわたしを言い含めるように可恋は「みっつ理由があるの」と面と向かって話し始めた。
そして、「ひとつ目はオンライン授業に慣れるため。ふたつ目は他人に教えるためと思えば勉強への新たな刺激になるかなと思ったから。そして、最後は教師の苦労を少しでも知ってもらうため」と指を1本ずつ立てながら説明した。
慣れるというのは理解できるが、それは可恋が授業をしてもいいことだ。
可恋だけに負担をかけるのは良くないけど、その方がありがたいと思う生徒は多いだろう。
ふたつ目は……。
「みんな真剣に取り組んでくれると思う?」と尋ねると、「そこが私の腕の見せ所だよね」と可恋は頬に手を当てた。
2年の時のクラスなら可恋の手足のように動くことができた。
しかし、この新しいクラスはまだまだお互いを知らない。
「どれくらい真面目に取り組むかでその人を計る目安にはなるんじゃないかな。その上で、どうすればやる気を引き出せるか見てみたいと思ってる」
可恋にとっては他の新しいクラスメイトたちを知るための手段なのだろう。
それにわたしは巻き込まれたって訳ね。
もちろん、可恋がクラスメイトたちのことを知ろうとするのはわたしのためだと理解している。
理解はしているが、1番手という大役は避けたかった。
「教師の苦労って?」と三つ目の理由について尋ねる。
「今後オンライン授業を受ける機会は増えると思う。ただ教師の側もまだ慣れていないし、試行錯誤が必要になってくる。教える側を経験しておけばそんな苦労を少しは理解しやすいでしょ?」
オンラインホームルームだって戸惑いながらのスタートだった。
大きなトラブルこそ起きていないものの、回線落ちがあったり、誰が何を言っているか分からずに混乱したりしたことはある。
これが授業となればその大変さは何倍にもなるだろう。
それを生徒が冷めた目で見ていたら信頼関係は築けない。
「それにね、学校教育の本質は知識を得ることだけじゃないんだ」と可恋が目を細め諭すように言った。
「社会に出てから必要となる知識を身につけることは大事だけど、同じように勉強のやり方というものも学生時代に身につけないといけない。知識の集め方、データの扱い方、論理的な思考法といったね。正解がない問題にどう向き合えばいいか、それを学ぶのが学校教育のはずなんだよ」
そう語る可恋の表情は彼女のお母さんの陽子先生によく似ていた。
知的だけど温かみがあり、現実の深刻さを知りながら希望を捨てない、そんな目をしている。
「自分で授業をやったからといって簡単に身に付くものじゃないけど、いつもの教えてもらう立場だけじゃなく、他の視点を知ることは大切だと思う」
そこまでは良い話だった。
陽子先生と共通の問題点として、可恋は熱が入ると話が長くなる。
話を遮るタイミングすら与えず、延々と小一時間教育論につき合わされた。
いや、分かるよ。
わたしだって大好きなファッションのことを語り出したら長くなっちゃうから。
でも、つき合わされる身としては……。
ずっと浮かべていた笑顔が張り付いて元に戻らなくなったほどだ。
今度はわたしのファッションの話につき合ってもらうから。
覚悟しておいてね!
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学3年生。現在、可恋とふたりで暮らしている。成績は優秀。注目を浴びることには慣れているが、失敗を極度に恐れる傾向がある。
日野可恋・・・中学3年生。母親は著名な大学教授。体質の問題で学校へ行けないことが多く、独学で勉強する方法をマスターした。
日野陽子・・・可恋の母。某超有名私立大学に籍を置く著名な学者であり活動家。
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