第335話 令和2年4月5日(日)「誓いの……」神瀬結
薄暗がりの室内のあちこちにキャンドルライトが灯っている。
結婚式で流される音楽が鳴り始めた。
スポットライトが照らし出され、そこに純白のウエディングドレスを纏った女性が現れた。
黒髪に銀のティアラとベールが映える。
白く美しい肌、長く伸びた睫毛、意志の強さを感じられる眉、スッと通った鼻筋、そして紅を差した唇。
大人の色気が漂ってくるようだ。
とてもわたしと1歳違いとは思えない。
肘まであるロンググローブは複雑な刺繍が施されている。
その手には白いカサブランカのブーケ。
スラリと伸びた首筋には白のチョーカー。
豊かな胸元に細くくびれた腰、まるでモデルのような体型だ。
本当にいまから結婚式を挙げるような厳かな雰囲気の中、日野さんはゆっくりと前に進む。
わずかに口角を上げて微笑む表情だが、カメラに向けた視線はどこか「あとで覚えてなさいよ」と言っているようで眼光が鋭い。
画面越しなのに自分が睨まれているように感じてしまった。
夜になって日々木さんからわたしが送ったビデオレターへの謝辞とこの動画のURLが届いた。
今日は日野さんの誕生日だ。
わたしは親の制止を振り切ってでも駆けつけるつもりだったが、日野さん本人からこの状況だから家に居てと諭された。
優勝したらご褒美デートをしてくれると約束した大会が新型コロナウイルスの影響で中止となり残念に思っていたが、今日の埋め合わせにこの状況が収束したら好きなところに行きましょうと言ってもらえた。
わたしはハンドタオルとお正月に入手した健康祈願のお守りを誕生日のプレゼントとして贈った。
さらに、日々木さんから日野さんへのビデオレターを頼まれた。
メチャクチャ緊張してほんの二言三言喋ったものを送ったが、そのお礼がこの映像だ。
今日の誕生日のお祝い――というよりどう見ても結婚式風景だが――を撮影したもので、ビデオレターを送った人だけが見られるそうだ。
わたしの姉は美人空手家としてメディアに取り上げられることがある。
確かに美人だけど、やっぱり空手家の中ではという注釈がつくと思う。
それに比べて、日野さんはそういうの無しに美人と呼べる存在だ。
この画像のようにキッチリとメイクするとなおさらそれがよく分かる。
日野さんは撮影している人のすぐ前まで到達した。
先程とは違って温もりのある優しい眼差しを向けている。
そこに可愛らしい声が聞こえた。
「いまこのときより、良きときも困難なるときも、豊かなるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも、愛と慈しみをもって、死がふたりを別つまで誠実に相対すると誓いますか?」
「誓います」と日野さんは即答する。
今度は日野さんが同じ質問を口にする。
それに対して幼い声で「誓います」という返答があった。
わたしも思わず画面に向かって「誓います」と口ずさんでしまった。
撮影者である日々木さんの顔は見えない。
羨ましいと思うが、彼女は絶世の美少女だ。
わたしと同じ人類だとは思えないほど、顔は小さいし、目はパッチリしているし、肌は透き通っているし、すべてのパーツが完璧でバランスも絶妙という恐るべき存在だ。
そんな人間離れした美貌の持ち主なのに歳下のわたしにまで気を遣ってくれるとても良い人だ。
半分くらい天使の血が混ざっていると言われても納得してしまうだろう。
その日々木さんからは、わたしの姉にもビデオレターを送って欲しいと頼まれた。
東京オリンピックの日本代表に内定していた姉は現在家にいる。
この春に大学を卒業したが、オリンピックが今夏にあるということで大学職員という形で1年大学に残ることになっていた。
ところが、まさかのオリンピック延期で姉の今後も先行き不透明となっている。
姉は代表選考のやり直しより感染リスクを恐れている。
スポーツ選手は身体が丈夫なイメージがあるが、競技によるもののトップアスリートは体脂肪を限界まで落とすので感染症に罹りやすい。
また過度な練習で疲労すると免疫力も低下する。
重症化しなければ問題ないが、肺にダメージがあると今後の競技生活に影響がでるのではないかと心配している。
わたしや同世代の友人たちはインフルエンザのようなものだと思ってあまり警戒していないが、世界の頂点を目指す人はストイックだなと我が姉ながら思ってしまう。
家にいても食事は別だし稽古も一緒にしない。
お母さんが経営するスポーツジムが休業中なので、そこを借りてひとりで黙々と練習を続けている。
姉を見ているととても自分じゃ真似できないと最初から諦めてしまう。
動画は指輪の交換に移っていた。
先に日野さんがシンプルなリングを日々木さんの指にはめる。
日々木さんは小柄で、いまも小学生のように見えてしまうがその手は小さいなりに歳相応だ。
美しい白魚のような指という表現がぴったりだ。
その左手の薬指にリングがピッタリと収まる。
「持つよ」という声が聞こえ、カメラの持ち手が交替する。
映し出されるのは手元だけだ。
日野さんの手はさすがに空手家だけあって普通の女子よりはゴツゴツしている。
手入れが行き届いていてわたしの指なんかよりは遥かに綺麗だけど。
そこに日々木さんの両手が近づき、指輪がはめられていく。
指輪をした日野さんの左手の甲の上に、日々木さんの左手が重ねられる。
ふたつのペアリングがふたりの絆の強さを感じさせる。
「最後は誓いの口づけだね」と日野さんの声が聞こえた。
「えっ!」と息を飲む音。
カメラがふたりの手元から日々木さんの上半身へと向きを変える。
そこには顔を真っ赤に染めた日々木さんが映っていた。
彼女もまた真白なウエディングドレスに身を包み、髪は大きなベールで覆われている。
天使と呼ぶに相応しい姿だが、紅潮した顔が人間味を感じさせた。
身長差があるので日々木さんは上目遣いだ。
そこからカメラが寄って行くと、スッと顔を上げ目を閉じた。
見ているわたしまでドキドキしてくる。
日野さんはカメラを持っていない左手の薬指のリングを日々木さんの唇に当てる。
日々木さんが目を見開き、「可恋!」と大きな声を出した。
「これも誓いのキスだよ」と笑う日野さんの声は弾んでいた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・中学3年生。15歳の誕生日を迎えた。空手・形の選手。大会には参加しないが、結は日野さんの実力は自分より上だと認識している。
日々木陽稲・・・中学3年生。スポーツはまったくダメ。ロシア系の血が混じり、日本人離れした美貌を持つ。現在可恋とふたり暮らし中。
* * *
「ひどいよ、可恋」と陽稲が頬を膨らませた。
それを見てニヤニヤ笑う可恋は「これだけやらされたんだから少しは仕返ししないとね」と答えた。
陽稲の頬を右手の指でつんつん突き、「もう願いをなんでも聞いてくれる券は使い切っちゃったしね」と可恋は楽しげだ。
「あと1枚あれば……」と小声で呟く陽稲に、「また頑張って貯めて」と可恋は余裕の笑みを見せた。
「それにしても、本気でこの動画を見せるつもりなの?」とカメラを手にした可恋が問い掛ける。
「当然じゃない。ちゃんと流出しないように見られる人は制限するから心配ないよ」と陽稲は膨れっ面のまま胸を張る。
「公開という条件に使った券を誓いの口づけに回すのはどう?」
可恋の完璧な微笑みの前に、陽稲は「悪魔の提案じゃない!」と大声で叫ぶのだった。
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