第334話 令和2年4月4日(土)「明日は可恋の誕生日」日々木陽稲
可恋に聞いたことがある。
何か欲しいものがないかと。
「新しいトレーニングマシンが欲しいかな」
可恋は何でもないような顔で答えた。
リビングにドカンと置いてあるトレーニングマシンより更に高性能なものが欲しいそうだ。
いまあるトレーニングマシンのお値段を聞いて目を丸くしたことがあった。
当然それ以上の価格だろう。
「自制しないと家の中がトレーニングジムのようになっちゃうから」と可恋は笑っていたが、それは買おうと思えば買えるということだ。
可恋は基本的には倹約家で、スーパーマーケットでの買い物でも事前にチラシをチェックするし、よく使うものの日頃の価格は頭の中に叩き込んである。
日持ちのするものは安い時にまとめて買うタイプだ。
消費税増税の頃から電子マネーを使うようになったが、お金を払う重みがなくなって危険だと顔をしかめていた。
そういうところは大阪に住んでいた時に一緒に暮らしていたお祖母さんの影響だそうだ。
「母は学問のこと以外は基本的にズボラだから。祖母もちゃらんぽらんなところはあるけどお金に関してはキッチリしてたよ。大阪人の血ってやつかな」
必要なものにはお金を惜しまないが、必要のないものには手を出さない。
可恋が空手関係以外で趣味にお金を使うのは本代くらいだ。
マグカップひとつ買うにも必要性を吟味する。
そのため可恋へのプレゼント選びは難航した。
先週わたしは可恋から素敵な誕生日プレゼントをもらった。
醍醐さんがデザインしたドレスで、とてもわたし好みのものだった。
醍醐さんはOLとの兼業デザイナーだが、webでとても魅力的なお洋服を販売している。
吊るしの既製服よりお値段は張るが、結構人気だと可恋が教えてくれた。
その人がわたしのためにデザインしてくれた一点ものだ。
プレゼントなのでいくらしたかは聞いていないが、知り合い価格だったとしてもそれなりのはずだ。
可恋の財力には太刀打ちできない。
可恋は「ひぃなの衣装代と比べたらトレーニングマシンなんて安いでしょ」と笑って指摘するが、あれは”じいじ”と決めたルールの下で購入したものだ。
それに値札を見て買う訳じゃないから……。
可恋の誕生日には盛大なパーティを目論んでいたが、それは無理になってしまった。
花々で飾ったり、友だちからビデオレターを届けてもらったりとわたしが考えていたことを先にやられてしまい、二番煎じは否めない。
そう、もう明日が可恋の誕生日だというのに、一向に準備が進まない。
どうしよう、どうしようと焦るばかりだ。
わたしは一息いれるためにベランダに出た。
今日はうららかな陽差しで、春の温もりが感じられた。
眼下には中学校の校庭に咲く桜が広がっている。
それを眺めながら、ふーっと息を吐く。
可恋は「家族以外に誕生日を祝ってもらえるだけで嬉しいよ」と言っていた。
春休み中だし、この時期は体調が良くないことが多いので、誕生日のパーティとは無縁だったと話していた。
大切なのは可恋に喜んでもらうことだ。
どうしても自分の誕生日と比べてしまうが、勝ち負けじゃない。
第一、可恋に勝つというのはいまの自分ではおこがましい考えだろう。
わたしは料理ひとつ満足に作れない。
明日は衛生管理を徹底したお姉ちゃんが作って持って来てくれることになっている。
そう、勝ち負けじゃない。
わたしは自分ひとりの考えでは煮詰まってしまい、アドバイスを求めて幾人かに相談を持ちかけた。
可恋に喜んでもらうために最善を尽くす。
いまのわたしにできるのはそれだけだ。
可恋はいま空手道場に行っている。
今日からしばらくキャシーが滞在するそうで、いろいろと釘を刺すと言っていた。
その割に気分は高揚しているようだった。
年が明けてから大好きな空手の稽古を満足にできていない。
道場の空気を嗅ぐだけでも楽しみなのだろう。
わたしもついて行きたかったが、自重した。
明日の誕生日のお祝いに備える必要があったからだ。
部屋を飾り、食事をして、プレゼントを渡すという基本部分は一通り用意できたが、あと何かサプライズ的なものが欲しかった。
何も思いつかないまま、部屋の掃除だけで時間が過ぎていく。
まだ明るいうちに可恋が帰ってきた。
手にはスーパーマーケットのレジ袋を持っている。
可恋は洗面所に直行し、消毒や手洗いだけでなくシャワーまで浴びていた。
外出前から着替えを準備していたようで、部屋着姿で出て来た。
「これ、荷物」と可恋がカラフルな包装紙の小さな包みを私に渡してくれた。
わたしはそれを受け取り、ラベルを見る。
消毒液で少し滲んでいたが、「桜庭」と書かれているのが読み取れた。
「ちょっと見てくるね」と言ってわたしは客間へ向かう。
現在わたしの荷物置き場となっている部屋だ。
自宅に次ぐ第二のわたしの衣装ケースと化している。
ハンガーラックに掛かった色とりどりの服には目もくれず、わたしはベッドに腰掛けて包みを開けた。
「これって……」と思わず呟く。
その瞬間、閃いた。
明日、何をするのか。
わたしは慌ててスマホを見る。
時間を確認する。
間に合うだろうか。
すぐに桜庭さんに電話を掛ける。
届いた報告と、お礼と、そして、お願いをするために。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学3年生。将来の夢はファッションデザイナー。独学で勉強をしているがまだまだ未熟だと感じている。
日野可恋・・・中学3年生。離婚した父からの養育費の管理だけでなく、母の収入の管理も行っている。
キャシー・フランクリン・・・14歳。G8。東京在住だが毎日のようにあちらこちらの空手道場に稽古に行っていたので、可恋が通う道場での謹慎が命じられた。
醍醐かなえ・・・OL兼デザイナー。昨年夏に桜庭が主催する若手デザイナーのためのファッションショーに参加。そこで可恋たちと知り合った。
桜庭・・・女性実業家。雑貨の貿易がメインだが他にも手広くやっている。可恋が立ち上げたNPOにも協力している。
* * *
「キャシー、どうだった?」とわたしは客間から戻り可恋に尋ねた。
「残念なことに脳が筋肉でできていると分かったわ」と可恋は買って来た食材を冷蔵庫に収納しながら答えた。
そして、振り向き、「ごめん、それは筋肉に失礼だった……」と溜息を落とす。
その顔付きからどれほどキャシーに手を焼いたか想像できてしまう。
180 cmを越える身長を持ち、身体能力の塊のような存在だ。
大人の男性でもひとりでは止め切れない。
無邪気で、考えるよりも身体が先に動くので、条件反射のように人に抱きつこうとしたりするし……。
「事前に電話で何度も近づくなと言ったのに、顔を合わせた瞬間に飛び込んできたから鳩尾に一発本気の蹴りをね……」と可恋はこともなげに話すが大丈夫だったのだろうか。
「あとの掃除が大変だったわ。本人に全部やらせたけど」と可恋が言葉を続けたので、まあ大丈夫だったのだろう。
「1ヶ月ほど強くなるための修行をするってことで納得させたわ。勉強が遅れるのは心配だけど、外を出歩けない程度に体力を消耗させないと周りが困るから」
キャシーのスタミナは無尽蔵だ。
可恋の思惑通りに行くのか心配になってしまう。
「学校の休校が延長されたので、麓さんたちに手伝ってもらうわ」
そう言った時の可恋は悪い笑みを浮かべていた。
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