第309話 令和2年3月10日(火)「正論」千草春菜

 午後になって勉強の合間にネットのニュースを見る。

 そこには新型コロナウイルスの話題が数えられないほど並んでいる。

 ずっと家にいるとテレビのワイドショーやこうしたネットニュースをどうしても見てしまう。


 中でも私が不快に感じるのは、私と同じ中高生が渋谷などの繁華街で遊び歩いているという記事だ。

 そうした記事には辛辣な意見が多数書き込まれている。

 私はさすがに書き込むことまではしないが共感を持ってそんなコメントを読んでいた。

 こんな大変な時に遊び回るだなんて、はらわたが煮えくり返るような思いだ。


 きっとうちの中学の生徒も横浜や原宿などに行っているに違いない。

 パッと頭に浮かんだのは笠井さんの顔だった。

 原宿に行くとか話していたような……。

 そもそも不要不急以外での外出は控えるように学校から言われている。

 それを平気で破る生徒の多さに頭を抱えたくなる。


 とはいえ、私には何の権限もない。

 学級委員でさえない私は何の力も持っていない。

 そのことに苛立たしさを感じていた。

 ここ数日勉強をしていても余計なことが気になって集中できなくなっている。

 どうにかしたいと思うが妙案は浮かばない。


 私は思い立って日野さんに電話を掛けた。

 私以上の力を持つ彼女ならと期待したのだ。


『どうしたの?』


『繁華街に行く中高生がいるじゃない。あの人たちをどうにかできないかな?』


 私は早口で思っていることをまくし立てた。


『どうにかって?』と日野さんは淡々と尋ねた。


『行かせない方法みたいな……。日野さんなら何か手があるんじゃない?』


『うーん……、繁華街に行くのは合理的な理由があるからだからねえ……』


『合理的?』と私は不審な声を上げた。


 こんな時にあんな場所に行く連中がまともなことを考えているのだろうか。

 私はそんな風に思えなかった。


『地元で出歩くと教師に注意されたり住民に通報されたりするじゃない。だから、そのリスクが低い繁華街に行ってるんでしょ』


 確かにそれはそうだろう。


『地元に居場所があれば減るんじゃないかな』と日野さんはどうでも良いことのように話した。


『地元に居場所って……そもそも外出禁止なのよ!』と強い口調で私が言うと、『そうは言っても1日2日ならいざ知らず、数週間以上自宅に閉じこもれというのは現実的じゃないからね』と平然と話す。


『でも、ひとりで散歩するならまだしも、友だちと連れ立って繁華街に行くなんていまの状況であっていいはずがないわ』


 私は憤懣やるかたないといったていで叫んだ。

 日野さんは一瞬間を置いてから、『私ができることは暴力で従わせるか、利益で誘導するかくらいだよ』と苦笑する。


『ずっと家に籠もっていたら100万円あげると言えばみんなそうするんじゃない』と日野さんは笑いながら言葉を続けた。


 それが現実的な提案ではないことくらいすぐに分かる。


『でも……』と私が言い掛けると、『正論を言えば、そんな赤の他人のことを考える暇があるのなら、自分のやるべきことに集中した方がいいんじゃない、となるね』と日野さんが一転して真面目な口調で語った。


 確かに正論だ。

 ぐうの音も出ない。


『それはそうだけど……』と反論の言葉を探しながら声に出すと、『正論を言われても納得はできないでしょ?』と日野さんは言った。


 まさにその通りだ。

 日野さんの言葉が正論だと分かっていても、このモヤモヤした気持ちは変わらない。


『同じことよ。もしあなたが繁華街に出向く連中に正論を唱えたとしても納得させることはできないわ。ロジックで説得できるなんてフィクションの世界だけよ』


 もはや言葉が出なかった。


『他人をコントロールするなんて不可能なことを考えるより、自分の感情をコントロールする術を学ぶことね』と日野さんは言いたいことだけ言って電話を切った。


 私は日野さんに何を期待していたのだろう。

 彼女は私の思考の枠なんて軽々と飛び越える。

 相手の言葉に素直に同調してくれるような人ではない。


 話す相手を間違えた。

 私は気を取り直して小鳩さんに電話する。


『いま時間ある?』と尋ねると、『無聊を託つている』と彼女は元気がない声で答えた。


 小鳩さんは生徒会長だが、急な一斉休校により仕事を無くした。

 生徒会は何もできない状況に陥り、彼女は落ち込む日々を過ごしている。

 縮小して行われる卒業式には参加できるそうだが、それまではやることがないと嘆いていた。

 生徒会の手伝いをしている私は卒業式の参加は認められなかった。


 私は日野さんとのやり取りを小鳩さんに説明した。

 完膚なきまでに打ちのめされた会話だったが、日野さんのことをよく理解している小鳩さんに隠しても仕方がなかった。

 結局、相談というよりも私の愚痴につき合ってもらっただけになってしまった。


『気散じにそぞろ歩きでもして来たらどうだ?』


『でも、雨よ』と私が答えると、『衆目なく好都合だろう』と小鳩さんは言った。


 確かに散歩すら白い目で見られるのならば雨の日の方がマシかもしれない。

 登校予定日まであと2週間あり、私でも独りでの散歩くらいは大目に見るべきだと思う。

 知らない人にとっては毎日のように出歩く子どもか、ごく稀に散歩する子どもかなんて区別はつかないだろう。


 雨はかなり強く、激しく降っている。

 しかし、冬の冷たい雨ではなかった。

 私は外に出て気付く。

 もう3月も半ばなのだと。


 人の営みとは無関係に季節は巡り来る。

 そういえば今年は暖冬で桜の開花も早いらしい。

 正論がどうこうといった話も自然の摂理の前では形無しだ。


 そう、春が来るのだ。




††††† 登場人物紹介 †††††


千草春菜・・・中学2年生。優等生。普段は他人のことを気にしたりしないが……。


日野可恋・・・中学2年生。一年間の交流の結果か知り合いからひっきりなしに電話が掛かってくる。


山田小鳩・・・中学2年生。生徒会長。日野から生徒会と全校生徒をオンライン上で繋ぐ方法を模索するように言われているが前途多難だ。

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