第306話 令和2年3月7日(土)「世界」麓たか良

 ボクシングジムにいる時間以外はほぼ近くのコンビニ前でたむろっている。

 恵やその妹の遥、そして、1、2年の男子連中。

 今日の午後も、家に居場所がない奴らがここでダラダラとだべっている訳だ。


 胡散臭い目で通行人から見られることには慣れている。

 休校になってからは余計にそんな視線を向けられることが増えた。

 まあそういった奴はワタシが睨み返しただけで目を逸らす腰抜けばかりだけどな。


 陰でコソコソ文句を言うのなら面と向かって言えよと思う。

 こっちもムシャクシャしているんだから、ちょうどいい気晴らしができるってものだ。


「あー、退屈ー」と恵が零した。


「学校がある時は、学校うぜーって言ってたじゃん」とワタシが混ぜっ返すと、「それとこれとは別」と大声で喚いていた。


 退屈だという気持ちはワタシも同じだ。

 ただ退屈になった理由は少し違う。


「また新しい男、見つければいいじゃん」


 恵は最近つき合っていた男と別れた。

 1ヶ月続くことはマレなので、いつものことだが。


「たか良みたいに何かやろうかなあ……」と珍しいことを恵が言った。


 いつもなら「どっかに良い男いないかなあ」と愚痴るものなのに。

 余程ヒマなのか、前の男との別れが堪えているのか。


「遥ならスカウトするけど、恵じゃな」とワタシは笑う。


 名前を出した遥がワタシを見てジロリと睨む。

 コイツはガタイが良く、ぶち切れた時はそこらの男じゃ太刀打ちできない。

 ワタシの相手にゃならないけどな。


 一方、恵は口だけだ。

 口が達者で見た目はソコソコだから男には人気がある。

 男を取っ替え引っ替えしつつ、その虎の威を借る女狐ってところか。


 ふて腐れている恵に「ダンスでもやれば? お遊戯みたいなもんだろ」と勧めると、「はあ? 笠井が部長じゃん!」と激高した。

 そういやコイツは笠井とは犬猿の仲だった。


「ダンス部、ぶっ潰そうぜ?」と良いことを思いついたように恵は言うが、ワタシは「やらない」と即答する。


「なんでだよー」と恵は不満顔だが、ワタシは日野を敵に回す気がなかった。


「また日野かよ?」とそれを察して恵がからかう。


 こいつはアイツのヤバさを知らないからそんなことが言えるのだ。

 いまここにいる連中が束になっても勝てるとは思えないし、そのあとどんな報復をしてくるか分からない。

 日野は相手の弱点を的確に突いてくるだろう。


「お前らだけでやればいいじゃん。ワタシは止めたからな」とだけ言っておく。


 恵は「遥ぁー」と呼び掛けるが、遥は首を横に振った。

 男どもを見回しても誰も乗り気な奴はいない。


「もー、何だよー、あんな奴のどこが怖いんだよ」と恵は吠えるが、ひとりだと日野の指一本で捻られてしまうだろう。


 不良の世界で生きていくためには相手の力量を測ることは大切だ。

 ワタシはそれをしくじって、日野に良いように使われるようになった。

 寒くなってアイツが休んでばかりでワタシは自由になったが、日野を怒らせるようなことはできないと身に染みて分かっている。

 日野が動けなくてもキャシーを呼び出せばたいていのことは解決してしまうだろうし……。


 キャシーは日野とは違った意味で化け物だ。

 筋肉と身体能力の塊で、まるで野獣のようだ。

 ハンデがついていても勝てる気がしなかった。

 それでも彼女と戦った経験は大いに生きている。

 それまではガタイの良い男を相手にしたら怯むことがあった。

 ワタシは体格に恵まれている訳じゃないから、大きい奴に苦手意識を感じていた。

 それがかなり薄らいだ。

 キャシー相手に勝てないなりに戦えたという自信がプラスに働いているんだろう。


「遥はやりたいことないのかよ?」


 昼過ぎなのに眠そうに欠伸をする遥に尋ねた。

 遥は特定の男はいないが、誰とでも寝る。

 もっと相手を選べよと思うが、その場のノリだけで生きているような奴だ。


「そっすねー」とだけ答えて、また大きな欠伸をした。


「一緒につるんでいた奴はどうしたんだよ?」


 クラスメイトに仲の良いダチがいて、休みの日にはそちらを優先させることが多かった。

 しかし、休校になってからはいつも恵と一緒にいるようだった。


「なんか忙しくて会えないって……」とポツリと遥が答えた。


「なんだ見捨てられたのか」とからかうと、「いや、マジで、大変みたいで……」とつまらなそうに返して来た。


「助けに行ってやれば?」


「……アタシなんかがダチだって知られたら、アイツにわりぃし」


 コイツとの付き合いもそこそこ長くなるが、こんな風に自分の心情を口にするのを初めて聞いた。

 何も考えていないように思っていたが、それなりに考えていたんだとようやく気付いた。


 恵は「遥の友だちやめるなんて言い出したらみんなでボコろうぜ」なんて息巻くが、遥は「余計なことしたら殺す」と凄んだ。


「ゴチャゴチャ考えたってしょうがないじゃん。相手に聞いてみれば?」とワタシは言ってみたが、遥は「そっすねー」と気のない返事をした。


 喧嘩のやり方だとか不良の世界での立ち回り方とかならワタシは自信を持って相談に乗れる。

 しかし、外の世界のことなんて知ったことじゃないと思って生きてきただけに遥に掛ける言葉が思いつかなかった。


「ワタシらは頭悪いからこういう時に考えてくれる奴がいればなあ」とワタシはぼやく。


 以前なら外の世界のこともワタシたちのルールで押し通そうとしたかもしれない。

 ボクシングをやりだしてからそれが通用しないことに気付いた。

 そして、自分の頭の悪さも。

 それは勉強がどうじゃなくて、生きる上で必要となる知識だったり知恵だったりが足りていないと分かった。


 ジムにはいろんな人がいる。

 バイトを掛け持ちしながらボクシングをしている人、大手企業に勤めている人、チンピラっぽい人、頭の良さそうな人、強い人、あまり強くない人。

 ワタシはそんな中でいまだに下っ端だ。

 ボクシングの技術的にも人間的にも。


「教えてもらった時、それがどんな些細なことでも、自分の役に立たないことでも、とりあえず礼を言っておきなさい。そうすれば人間関係が構築できる。相手から何かを知りたいと思った時に人間関係ができていれば労せずに教えてもらえるものよ」


 以前、日野はそんなことを言っていた。


「ほら、いいこと教えてあげたんだから礼は?」とワタシをおちょくるために言っただけかもしれないが、ジムでアドバイスをもらった時に「どうも」と少し頭を下げるようにしただけで教えてくれた人は笑顔になった。


 最年少のワタシはなんだかんだと構ってもらい、ジムは居心地の良い場所になっている。

 ジムに通ういちばんの理由はサンドバッグを叩いてスカッとできるからだけど。


 ワタシは左手の平に右の拳を打ち付けて何度かパシンパシンと良い音を鳴らすと、「遥も何かやってみたら? スカッとするかもしれないぜ」と言った。

 真面目に勉強なんてできないワタシたちなのだから、身体を動かして発散させ、もう少し広い世界と交流するのがいちばんかもしれない。

 遥は真剣な顔で「考えとく」と答えた。




††††† 登場人物紹介 †††††


麓たか良・・・中学2年生。1年の時は狂犬のように周りに手を出していたが、2年になって日野に返り討ちに遭い首輪をはめられた状態。日野の勧めでボクシングジムに通っている。


小西恵・・・中学2年生。たか良のダチ。けしかけ役。


小西遥・・・中学1年生。恵の妹。普段はぼんやりした感じで、親友のアサミ以外と絡むことは少ない。キレると手がつけられなくなる。


久藤亜砂美・・・中学1年生。母と暮らしていたが身の危険を感じて近藤未来の家に身を寄せている。未来の祖母に家事を叩き込まれていて青息吐息の状態。


日野可恋・・・中学2年生。この中学の裏番と噂されている。空手を競技としてではなく武道として極めようとしているような人。

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