第297話 令和2年2月27日(木)「会談」山田小鳩

 日野は生徒会室を喫茶室か何かと謬見しているのではないか。

 昼休みに日々木を通して放課後この部屋を使用する旨を伝達された。

 しかも、私以外の人払いまで要求された。

 現在生徒会の業務が繁忙ではないことは事実だが、それにしてもだ。

 私に断る術はなく、放課後日々木とともに訪来した日野はこの部屋の主のようだった。


「悪いわね。生徒会が暇で良かったわ」


「閑暇ではない。生徒会としても新型コロナウィルス対策を……」と日野の言葉に私は反論する。


「いまは情報が飛び交っているし、否応なく耳に入ってくるでしょ。どこまで自分の問題と捉えるかは人それぞれだけど、生徒会がどうこうできる話じゃないしね」


 日野に言われるまでもなく、生徒会の活動として関与できることは限定されている。

 手洗いの奨励や不要不急の外出を回避することなどを掲示しているが、それらは教師からも頻繁に言及されている。


「お湯を飲めば予防できるなんていうデマが飛び交っているみたい。こういう時は流言飛語を警戒することが大切なんだけど、冷たいものを飲まないとか日光に当たるとかは免疫力を高めるのに有効だから一概に否定しづらいよね」と日野が顔をしかめる。


 マスクにしてもそうだが、ひとつの対策で完璧に感染症を予防することはできない。

 栄養や睡眠を十分に摂取し、ストレスを極力減少させ、適度に運動し、太陽光を浴する。

 斯様な健康的な生活が最重要だと日野は力説するが、現実にそれを実行するのは容易ではない。


「悪質なデマが広がったり、生徒にストレスが溜まったりしたら生徒会に何かやってもらうかも」


「鬱々とした空気が蔓延しているからな」と私が発言すると、日々木も「そうだよね……」と沈んだ声で同意した。


「屋外でのスポーツ大会なんかは感染症のリスクは低いんだけど、PTAや地域住民から非難の声が上がりそうで提案しにくいのよね……」と日野も歯切れが悪い。


 生徒会室を沈黙が支配する。

 それを打ち破ったのはノックの音だった。


「失礼します」と緊張した面持ちの1年生が数名入室した。


 会談を希望したら生徒会室に招集されたなどいい迷惑だろう。

 日野に関与すると碌なことにならない。

 そう忠告してあげたいほどだ。


「それで、話って?」と日野が質問するが、1年生たちがどんな話題を出すか理解している表情だ。


 4人の中のひとりが前に出て「バレンタインデーの噂のことです」と陳述し始めた。

 私も仄聞した風説であり、日野が来年のバレンタインデーにチョコレートの校内持込を禁止するというものだ。

 下級生たちは日野にそれを可能にする力があると確信しているようだ。

 ……日野ならそれくらい操作できそうだが。


「私にそんな権力はないわよ。そうよね、生徒会長」と日野は私に同意するよう催促する。


 真実を伝達すべきか思案したが、「日野は斯様なことに労力を無駄にせんだろう」と誤魔化した。

 それだけでは語弊があるので、「チョコレートの持込が事実上認可されているのは現校長の意向による。然れど来年度より新規の校長が着任し、今後は校則に則って規制されるだろう」と説明した。

 日野は私の口からこの内容を周知させたかったのだろう。


「つまり、掛け合うべきは私ではなく新しい校長先生ということね」と私の言を受けて日野は言葉を続けた。


 1年生たちの間に納得する空気が伝播したが、唯一最初に質問した少女だけが不可解な面持ちで「どうして噂を否定しなかったのですか?」と日野を問い質した。

 視野の片隅で日々木が頻りに首肯している。


「人の口に戸は立てられないからね」と日野は言いつつも、「新校長が持ち込み禁止を表明したら私は支持するつもりだから」と生徒会室に爆弾を投下した。


 対面する少女たちが驚愕する。

 然もありなん。

 日々木すら目を見開いている。


「ど、どうしてですか?」と別の1年生が呻吟する。


「学校は勉学に励む場所よ」と日野は杓子定規な正論を吐く。


 鼻白んだ質問者に替わってリーダー格の少女が「それだけじゃないはずです!」と絶叫にも似た声を上げた。

 しかし、日野は「チョコレートを渡すのは学校じゃなくてもできるでしょ」とにべもない。


 日野は彼女たちを愚弄するような微笑を浮かべ、まるで悪の権化のような挙動だ。

 戦々恐々と怖じ気づく下級生たちに私は助け船を出す。


「生徒会として新たに着任した校長先生とこの件も協議する所存です。可能であれば貴女たちの意見を多数意見とするために広く問題を共有してください」


 生徒会が日野の傘下にあるという空言も耳にしている。

 否、空言ではなく半ば事実であろう。

 ならば尚のこと生徒会の立場を表明せねばならない。


「生徒会は生徒のための機関です。日野と利害が一致し協力を仰ぐこともありましたが、決して彼女に従属するものではありません」


 それでも1年生たちは半信半疑の表情をしている。

 生徒会長としての実績に乏しい私を即座に信頼しろと懇願しても無理がある。


「あ、あの……、日々木先輩は……」と1年生のリーダーが縋るような視線を日々木に向けた。


「わたしはチョコレートの校内への持ち込みは続いて欲しいな」と日野に忖度することなく日々木は即答した。


 日野は愉快そうな目つきで日々木を見守っていた。

 日々木の言葉を敬聴して「頑張ります!」と少女は感極まっているが、背後の3人はそこまで絶讃してはいなかった。


 1年生たちが複雑な心境を顔に出したまま退出し、生徒会室には3人の2年生が留まった。

 日々木は心配そうに「大丈夫なの?」と日野に問う。

 マスク姿の日野は目元を緩めて、「今後は生徒会の敵に回るから」と開陳した。


 教師から付与された仕事しかしなかった生徒会はこの半年足らずで急激に改変した。

 私が生徒会長でいる間はそれを貫徹する決意だ。

 たとえ新校長と敵対したとしても、生徒のために闘争する覚悟を抱いている。

 それが可能となったのは日野の援護によるものだが、日野が今後どの様な立場を取ろうとも私は信念に従うだけだ。

 それが日野への恩返しにもなる。


「わたしは可恋を信じているけど、小鳩ちゃんの味方でもあるからね」と日々木は私を気遣ってくれる。


「感謝する」と謝意を示すと、「まずは味方を増やすために笑顔の練習をしようか」と日々木が笑う。


 1年生の時に何度も何度も繰り返し練習をさせられた労苦が走馬灯のように蘇る。

 私は引きつった笑みで、「それはまた今度で」と呟くことしかできなかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


山田小鳩・・・中学2年生。昨年11月から生徒会長。それ以前も生徒会の中心人物として活動していた。日々木は1年の時のクラスメイト。


日野可恋・・・中学2年生。現校長と太いパイプを持つオーバースペック中学生。生徒の自主性を尊重するという校長の方針を実現するため生徒会の改革に協力した……というのは建前で、本音は自身と陽稲の周囲の環境を整えるため。


日々木陽稲・・・中学2年生。1年時は対人恐怖症気味だった小鳩に自信を与え、2年時は他人と深い関わりを持とうとしない可恋の考えを大きく変えた。朱雀の手芸部設立にも手を貸し、もしかしたらこの学校最大のキーマンかもしれない。


原田朱雀・・・中学1年生。可恋と会談した1年生4人のリーダー格。他の3人は鳥居千種、辻あかり、秋田ほのか。ほのかはまだ怒っているがついて来てくれた。


 * * *


 夕刻。

 コンビニ弁当を食しながらスマホでニュースを確認していると、首相による小中高校の休校要請という驚愕の記事が目に飛び込んできた。

 箸を止め、茫然自失する。


 大半の生徒は歓喜を以て歓迎するだろう。


 だが……。


 まだ学校側の対応がどうなるのか不明だ。

 部活や生徒会活動はどうなるのか分からない。


 私は小学生時代に不登校になり両親に迷惑を掛けた。

 当時は家の中で引き籠もっていることしかできなかった。

 校区外のこの中学校へ進学し、日々木と遭遇したことで私は変わった。

 コミュニケーションを取ることはいまも苦手だが、孤独で寂寥を感じるようになった。

 両親は共働きなので、自宅でひとり過ごす日々が続くことになる。


 私と類似した立場の生徒は少なくないだろう。

 何かできることはないだろうか。

 こんな時、己の無力を感じる。

 生徒会長などと肩書きは立派でも現実はなんの力も持っていない。


 卒業式も中止になりそうだ。

 前生徒会長の顔が浮かぶ。

 私は送辞を読む予定だった。

 下手をしたら顔を合わせないまま別れることになる。

 明日、会えるだろうか……。

 彼女になんと声を掛けよう。

 口下手だから、今夜は伝える言葉をしっかり考えよう。


 突然早まった別れに戸惑いながら、生徒会で過ごした日々を思い返し、涙をこらえて伝えるべき思いを私はスマホに打ち込んだ。

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