第298話 令和2年2月28日(金)「臨時休校」笠井優奈

「日曜日、原宿行かね?」


 今日は朝から臨時休校の話題で持ちきりだ。

 アタシも夕べ聞いた時にはテンションが上がった。

 しかし、気持ちが落ち着くと心配なことが山ほど出て来た。

 部活はどうなるのか。

 このままクラスメイトと離れ離れになるのか。

 外出しちゃダメなのか。


 特に外出禁止なんてことになったら絶対に気が狂って死んでしまう。

 新型コロナウィルスよりも確実な脅威だ。

 アタシは家でジッとしていることができない。

 夏休みなんてソフトテニス部と合唱サークルとの掛け持ちで毎日忙しく充実していた。

 1日2日ならともかく、1ヶ月なんて絶対に無理だ。

 そんなモヤモヤした気持ちを吹き飛ばすため、美咲たちに遊びに行く提案をしてみた。


「行く行く!」とすぐに食いついたのはひかりだった。


 一方、彩花は顔をしかめ、「日曜は塾があるし……」と歯切れが悪い。

 それでも、「それに、外出は避けた方がいいんじゃない?」と彩花ははっきりと口にした。


 昔なら空気を読んでそんなことは言わなかっただろう。

 彩花も強くなったものだと思いながら、「1ヶ月も我慢しろって? だいたい4月には収まるって保証もないじゃん」とアタシは反論した。


「……それはそうだけど」と呟く彩花から視線を美咲に移す。


「美咲は?」と聞くと、「人混みは避けた方が良いと思いますが……」と口籠もった。


 アタシは自分が険しい表情になっていることが分かった。

 たぶんアタシの我が儘なのだろう。

 だけど、このいらついた気持ちを抑えることができなかった。


「じゃあ、どうすんだよ! このままクラスがバラバラになってお別れでもいいのかよ!」


 アタシの叫びに美咲は苦しげな顔付きになった。

 そんな美咲の顔を見たくはないのに、自分の感情をコントロールできない。


「分かりました。両親と相談してみます」と美咲が言ってくれたお蔭でアタシは高ぶりが収まり、「ワリぃ」と謝ることができた。


 結局、3月24日まで臨時休校になると先生から告げられた。

 あくまで現時点では、だが。

 その間、部活動も中止。

 外出は避けるようにと指示された。


 昼休みになると「どうする?」と彩花がアタシに尋ねてきた。

 ダンス部のことだ。


「合同の自主練を週4日ってことで調整しよう」とアタシが言うと、「大丈夫かなあ」と彩花は心配そうな声を出す。


「近所の公園でやりたいけど、ダメなら遠出すりゃいいだろ」とアタシが気楽に言っても、彩花は納得した顔をしない。


「さすがに音楽流すのは無理かもだから、イベントっぽいことは無理だよな……」とアタシも溜息を漏らす。


 アタシは思いっ切り髪をバサバサと掻きむしると、「あー、くそっ!」と悪態をついた。

 仕方がないこととはいえ、突然様々なことが降りかかってきて、どうすることもできない自分にムカついてしまう。


 そんな時、大きな花束をふたつ持って日野が教室に入ってきた。

 誰もがそれを見て驚いた顔をしている。

 日野はまっすぐ美咲の元へやって来た。


「このまま3学期が終わってしまうかと思って、昨日買っておいたのよ。小野田先生とお別れになるから」


 そう言って日野は花束をひとつ美咲に手渡した。


「今日で終わりじゃないけど、1ヶ月も持たないから今日渡しましょう。予定通りに再開するかも分からないしね」と日野は微笑んだ。


「わたしからでいいのですか?」と受け取った美咲が尋ねた。


「松田さんが学級委員なのだから、もちろんよ」


 アタシは日野が持つもうひとつの花束について聞いてみた。


「これは校長先生に渡そうと思って」と日野は寂しげに語った。


「あの……、ダンス部は休みの間、自主練しようって優奈が言っているんだけど、平気かな?」と彩花が日野に訊く。


 別に日野の許可は必要ないだろと思うが、一応意見だけは聞いておくかとアタシは考えた。


「そうね、屋内より屋外の方が感染のリスクは低下するけど、地域の人から通報されたり、先生方が見回りしたりするかもしれないわね。運動場だけでも開放できないか校長先生と話してみるわ」


「運動場が無理でも自主練はやるからな」とアタシが宣言すると、「運動不足が心身に与えるリスクも考慮して欲しいよね」と日野は肩をすくめた。


「日野さんは今回の休校についてどう思っているのですか?」と美咲が問い掛ける。


 日野は真面目な顔付きになり、「何ごとにもメリットやデメリットがあるから一概には言えないわ。ただ、リスクは新型コロナウィルスだけじゃないから、他のリスクについてどこまで対処できるかよね」と答えた。

 その口振りから対処できるとは思っていないようだったが。


 ホームルームではこの臨時休校についての諸注意が長々と先生から伝えられた。

 しっかり勉強するようにと言われてもできる気がしない。

 コツコツ勉強する習慣が身に付いた奴や塾に通う奴と一気に差ができるかもしれないと心配になる。

 しかし、頭で分かっていても行動に移せないのが人間ってものだろう。


 休校になるって聞いた時はあんなに喜んだのに、時間が経てば経つほど不安が押し寄せてきて嫌になる。

 幸せそうな顔をしている奴らが羨ましいと八つ当たり気味に思ってしまう。


 ホームルームが終わる間際に美咲が花束を持って教壇に歩いて行った。

 担任の小野田先生は驚くこともなく、いつも通りの無表情だ。


「この2年1組はとても素敵なクラスでした。いろいろなことがありましたが、いままでの人生の中でいちばん印象に残る1年間でした。先生、どうもありがとうございました」


 美咲が涙ぐみながら花束を手渡した。

 本当にいろいろなことがあったクラスだった。

 その大半は日野のせいだが、アイツが自由に行動できたのは小野田先生がいたからだろう。


「ありがとう」と言って受け取った小野田先生は一度眼鏡を外してハンカチで目元を拭った。


「私にとってもかけがえのない1年間でした。あなたたちから多くのことを学ぶことができました。まだ終わってはいませんが、感謝の気持ちに満ち溢れています」


 先生のいつもより感情の籠もった声に、教室内のあちこちで生徒のすすり泣きが聞こえてきた。

 あたしはグッと我慢して先生の言葉の続きに耳を傾ける。


「あなたたちにとって、いまは大変な時期だと思います。社会全体が不安に包まれている中で、あなたたちの不安に真剣に向き合ってくれる人は少ないかもしれません」


 小柄なのにいつも大きく見えた教師だった。

 滅多に表情を変えない厳しい先生だったけど、他の先生にはない信頼感があった。


「しかし、あなたたちとちゃんと向き合ってくれる人は必ずいます。それを信じてください。そして、あなたたちも助けを求めている人に向き合ってください。ひとりの力では及ばなくても、力を合わせることで乗り越えられます」


 マスクで口元は見えないが、先生は微笑んでいるようだった。


「苦しい時は文化祭のファッションショーを思い出してください。あれは2年1組のひとりひとりの頑張りで成功に導きました。あれだけのものができたことを誇りに思ってください」


 文化祭でファッションショーをやると聞いた時は面白いとは思ったが、もっとちゃち・・・なものになると想像していた。

 だって中学生なんだから、できることなんてたかが知れているだろうと思うじゃん。

 日野がいたからというのはある。

 他にも、美咲や日々木さんの存在も大きかった。

 でも、舞台を頑張って作った男子やそれぞれの役割を果たした女子が、長い時間コツコツ続けたからあれだけのものができたと思う。


「あなたたちの卒業まで一緒にいられないことは心残りですが、あなたたちが大きく花開くことを信じています」


 そう言って一礼した小野田先生に何人かの女子が「先生!」と泣きながら駆け寄り、他の生徒たちは拍手で応えた。

 アタシは奥歯を噛み締めながらその様子をずっと眺めていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


笠井優奈・・・2年1組。ダンス部部長。外見はギャル風だが、性格は体育会系。


松田美咲・・・2年1組。クラスの中心グループのリーダー格。資産家のひとり娘。


須賀彩花・・・2年1組。ダンス部副部長。自他共に認める”普通”の子。だが、この1年で大いに自信をつけた。


田辺綾乃・・・2年1組。ダンス部マネージャー。彩花を慕っている。


渡瀬ひかり・・・2年1組。ダンス部エース。家にいるのは楽しくない。


日野可恋・・・2年1組。科学的エビデンスが不安な世論の前に押しつぶされる現実を目の当たりにした。母から東日本大震災の時も似たようなものと言われて、昨夜は珍しく夜更かしして母と議論を重ねた。


小野田真由美・・・2年1組。今年度限りで教師を退職し、NPOで児童生徒への支援を行う道に進む。

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