第288話 令和2年2月18日(火)「噂」辻あかり
試験前日だというのに、いや試験前日だからこそ、こんな噂が飛び交っているのだろう。
勉強という名の嫌な現実から逃避するために。
「あー、もうホントにヤバい!」
帰り道、隣りを歩くほのかに愚痴ってしまう。
何がヤバいってテストの点数が悪いと、最悪ダンス部のイベントに参加禁止になると言われていることだ。
「テストの点と部活に何の関係があるのよ!」と嘆きたくなるあたしの気持ちはみんな分かってくれるはずだ。
……ひとりを除いて。
そのたったひとりが冷たい目であたしを見る。
普通なら同意してくれそうなあたしの言葉を「勉強していないのが悪いのよ」とほのかはぶった切った。
そういう奴だ。
分かっている。
そんなほのかだから一緒にいるとも言える。
それでも、いまは少しくらい共感して欲しかった。
「やっぱりバレンタインの直後に試験っておかしいよ」と勉強不足を日程に責任転嫁するが、ほのかはふんと鼻を鳴らした。
ほのかはあたし以上にダンスの練習に時間を掛けているはずなのに、成績は優秀だ。
頭の作りが違うのだろう。
ポンコツなあたしの気持ちを分かってもらうのは諦めた。
「バレンタインは楽しかったなあ」と話題を変えて思い出にふける。
小学生の時は当然チョコレートの学校への持ち込みなんてできなかった。
お小遣いも少なかったし、親が買ってくれたチョコレートを食べるだけのイベントだった。
それが中学生になるとまったく別物になった。
ダンス部内でも部長やひかり先輩にチョコレートを渡すという話で1年生は大いに盛り上がったし、渡す時は本当にドキドキした。
これまでも部長への憧れの気持ちは強く抱いていた。
しかし、それをプレゼントという形ではっきり表すのは初めてのことだった。
最初はバレンタインデーにどの様に関わっていいか分からず、チョコレートを贈っていいのかさえ悩んだ。
周りが盛り上がるうちに自分だけが贈らないという選択はできなくなった。
チョコレートを選ぶだけで興奮し、バレンタインデーの前は頭の中がピンク一色みたいになった。
部長からありがとうと言われた時なんて、もう気絶するくらい嬉しかった。
部長のことばかり考えていたせいで、当日ほのかに「私にはないの?」と言われて青ざめたり、副部長から手書きメッセージ付きのチョコをもらって舞い上がったりしたのも良い思い出だ。
贈る喜びだとか、もらったときの幸福感だとか、クリスマスとは違った独特のイベントだなあと思ったものだ。
そのバレンタインデーがピンチになっている。
なんと、こんな風にチョコレートを持ち込んでやり取りすることが来年は禁止されるんじゃないかという噂が広がっている。
それを聞いた時はショックで動転してしまった。
その噂によると、この学校の裏のボスがひとつしかチョコレートをもらえなかったから持ち込み禁止にするそうだ。
裏のボスって、例のあの怖い先輩だよね。
ひとつだけでももらえたんだから良いじゃないかだとか、そんな理由で禁止にするなんてだとか、理不尽だという思いが湧き上がった。
しかし、そうは思ってもあの人に反対意見を伝えるのは恐ろしい。
長身で美人だが、とても厳しそう。
ジッと見られただけで震え出してしまう。
あの目で睨まれて泣き出さずにいられる1年生がいるかどうか怪しいものだ。
「本当にバレンタインデーが禁止になるのかなあ……」
「別にチョコレートの持ち込みが禁止されるくらいいいじゃない」とほのかは深刻に受け止めていない。
「えー、でも先輩に渡すのは学校じゃないと難しいよ!」とあたしは声を上げた。
「来年のバレンタインの時期は、いまの先輩たちは高校受験だから渡せるかどうか……」とほのかに指摘されたが、それなら尚更学校以外で渡すのは難しいだろう。
「琥珀も禁止に賛成って言ってたんだよなあ……」
琥珀は大きな袋入りのチョコレートを買って1年生2年生の部員に配っていた。
クラスメイト相手にも義理チョコとして配ったそうだ。
結構痛い出費だと零していた。
「部員全員に包装してカードまで付けて配ってくれはった副部長なんて相当お金と時間を掛けたと思うんよ。一律に禁止してくれた方が助かるなあ」と琥珀は言っていた。
そんなにばらまかなきゃいいじゃないと思ってしまうが、性格的にそうしないといられないのだろう。
他の1年生部員は不満に思っても行動に移しそうにない。
ほのかや琥珀が反対しないのなら、あたしひとりでは太刀打ちできそうにないと思っていた。
そんな時、休み時間に廊下でももちと会った。
この噂について話すと、あたしと同じように抗議することを考えている1年生がいると教えてくれた。
「3組の手芸部の人がお願いに行くんだって」
「そうなんだ」と驚くと、「自分がチョコを渡さなかったことが原因なら自分が立ち向かうしかないって燃えているんだって」とももちが詳しい事情を説明してくれた。
ともかく行動に移そうとしているのがあたしだけではないと知り、少し安心する。
ももちの友だちが手芸部の部員だそうで、あたしも協力したいと伝えてもらうことにした。
あたしがそんな話をすると、「ついて行ってあげてもいいわよ」とほのかが上目遣いでこちらを見ながら言った。
「ホント! ありがとう」とあたしが喜ぶと、「ついて行くだけだからね」とほのかは釘を刺したが、それでも心強い。
あの先輩に相対するにはひとりでも多い方が良い。
よーしと気合を入れているとほのかが眉をひそめて告げた。
「そんなことよりテストが先よ」
……分かってはいるんだよ。
でも、そんな現実から目を背けたいじゃない。
そう返したかったが、口から出たのは「……あー、そうだね」という言葉で、あたしはがっくりと肩を落とした。
††††† 登場人物紹介 †††††
辻あかり・・・1年5組。笠井部長を慕ってダンス部に入部した。1年生部員のまとめ役。成績は真ん中より下。
秋田ほのか・・・1年2組。ダンスも学校の成績も優秀だが他人を見下すことが多い。チョコはあかりにだけあげた。
島田琥珀・・・1年1組。両親が関西出身で関西弁を話す。人当たりは良いが自分の意見ははっきり言う。
本田桃子・・・1年4組。愛称はももち。手芸部の矢口まつりと仲が良い。
怖い先輩・・・1年生を何人も泣かせた、生徒会を裏から操っている、教師を顎でこき使っている、学校中の不良が束になっても勝てない等、様々な噂の持ち主。
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