第287話 令和2年2月17日(月)「学年末テスト目前」笠井優奈
……マジかよ。
明後日から学年末テストだなんて、悪い冗談としか思えない。
バレンタインに浮かれていた訳ではないが、週が明けて突然目の前にラスボスが現れた感覚だ。
アタシのような生徒は少なくないようで、今日の教室で日野から「テスト前よ!」と声を掛けられてから慌てて勉強し始めた姿を多く見かけた。
学級委員を引き継いだ美咲は先週からクラスの空気作りに腐心していたが、残念ながら日野のようにはうまくできなかった。
日々木さんを中心に完全にバレンタインモードだったから、美咲を責めるのは酷だと思う。
クラスのムードを変えることはできなかった美咲だが、自身の勉強はしっかり進めているようで、昨日会った時も焦る素振りは見せなかった。
綾乃や彩花も余裕がありそうだった。
ひかりは相変わらずで、水曜日からテストだと分かっているのかも怪しげだったがこれはいつものことだ。
アタシだけが直前になってバタバタしている。
これもまたいつものことではある。
アタシはこれまでテスト前の一夜漬けでなんとかしてきた。
ただ、だんだんとそれが通用しなくなってきたように感じている。
それにテストではある程度できても、これで受験がうまくいくとは到底思えなかった。
……高校受験なんてまだまだ先の話だと思っていたんだけどなあ。
部活を引退してから考えればいいなんてお気楽なことを考えていた時期もあった。
だけど、周りがちゃんと先を見据えて勉強しているのを肌で感じると焦りにも似た気持ちが湧いてくる。
特に同じくらいの成績だった彩花が頑張っている姿は気になってしまう。
そんな思いに駆られているのに、実際にはなかなか勉強が手につかず、ダンス部のことなどに時間を取られてしまうから余計に落ち着かなくなる。
日野と電話で話した時に効率的な勉強のやり方を聞いてみた。
すると、アイツは「効率的に勉強しようと思うのは良いけど、勉強そっちのけで効率的な勉強法を追い求めるというのは本末転倒よ」と言いやがった。
痛いところを突かれた気分だった。
確かに、そういう情報をネットで漁っていた。
しかも、それだけで勉強した気持ちになっていた。
「毎日1時間でもいいから、他のことをせずに勉強だけに充てる時間を作るといいんじゃない」と日野からアドバイスを受けたが、それですら明日からやろうと後回しにしてしまっている。
「悪い、美咲。勉強教えて」とアタシは休み時間に頭を下げて美咲にマンツーマンで教わった。
彩花と綾乃は付きっきりでひかりに教えている。
ひかりが高校へ行かないとしても、それは勉強しなくていいという意味ではないと日野から言われている。
今回のテストでも成績が悪い部員は練習やイベントへの参加を見合わせるようにと日野と顧問の岡部先生からお達しがあった。
渋々その提案を受け入れたが、部長のアタシがみっともない結果をさらす訳にはいかない。
放課後も多くの生徒が教室に残って自習が行われた。
日野の進言で副担任の藤原先生が様子を見てくれる。
日野も残って分からないところをクラスメイトに教えていた。
みんなが勉強する雰囲気ができているから、ひかりや三島、安藤さんといった普段はあまり勉強しない生徒も必死に勉強している。
女子でサボっているのは麓くらいじゃないか。
「今日はありがとな」と帰り際に美咲に礼を言った。
自分の勉強の時間をアタシのために使ってくれたのだ。
「ひかりもちゃんと感謝しろよ。アタシが教えられたら良かったんだけどな……」と言うと、「友だちなんだから気にしないで」と美咲が答え、彩花も「教えることが自分の勉強になるから」と微笑んだ。
「むしろわたしの教え方で大丈夫かしら……」と美咲が眉をひそめた。
「十分助かっているよ」とアタシはすぐにその言葉に反応した。
美咲は日野の教え方と比較しているのだろう。
日野を意識するなといっても難しいことだ。
アイツはなんでも上手くやってのけるから、どうしても自分と比べてしまう。
「そうだよ。日野さんはちょっと別格だから」と彩花が軽い感じで慰めるが、その言葉は美咲の胸に刺さるだろうなとアタシは思った。
美咲は「そうね」と微笑んでいる。
彩花のように日野を自分とは別次元の存在だと認めてしまえば気にならないだろう。
だが、それを認めることは自分のプライドをいたく傷つける。
敵わないと分かっていても、どこかで少しは勝てるんじゃないかと思わないと辛い。
アタシですらそうなんだから、お嬢様の美咲にとっては尚更だろう。
「高校に行かなくていいのなら、勉強しなくていいじゃん」とひかりは心底嫌そうな顔をした。
テストの結果が悪いとダンス部のイベントに参加できなくなると脅し、周りが勉強している時は素直に従っていたのに、時間が経つとこれだ。
「たとえ高校に行かなくても必要な勉強はあるのですよ」と美咲が諭し、「頑張らないと今度のイベントに出れないよ」と彩花が説明するが、ひかりは納得しない。
「お願いだから勉強して。夜も何度か電話するから」とアタシが頼み込むと、「優奈がそう言うなら……」とひかりは頷いた。
万事この調子で、自分のやりたいこと以外は理屈では動かない。
自分が心酔している人の言葉には従順なんだけど……。
この従順さは諸刃の剣で、悪い男にでも引っ掛かったら身を滅ぼしかねない。
可愛くて素直で頭が空っぽなんて、引っ掛けてくださいと言っているようなものだ。
危なっかしいひかりを底辺の高校に入れたらどうなってしまうか。
日野に指摘されてから、それを回避するために動いてはいるが道のりは険しい。
岡部先生ですら難色を示しているので、他の教師の協力は得られないだろう。
三島も反対している。
美咲たちは反対こそしていないが、高校に進学しないという選択には抵抗を感じているようだ。
そもそもアタシたちだって受験生なのだから、ひかりを構ってばかりいられなくなる。
日野は協力的だが、あくまでも協力者の立場を貫くという。
当然だ。
ひかりはアタシの友だちだ。
「ひかりのことは、わたしではあまり力になれないわ。だけど、ひとりで抱え込まないでね」と不意に美咲がアタシの耳元で囁いた。
心配そうな視線を向けられ、アタシは美咲の顔を見返した。
アタシがやろうとしていることは無謀なことだ。
美咲たちを巻き込まない方が良いと頭では分かっている。
でも、美咲たちの力を借りなければやり遂げることは難しいだろう。
アタシが頷き、決意を固めていると、遅れがちだったアタシと美咲に向かって彩花が言った。
「いまは目の前のテストに集中してね」
アタシは美咲と顔を見合わせる。
そうだな。
ひかりのことはテストが終わってからだ。
「さすが副部長。良いこと言うね!」とアタシは笑って茶々を入れた。
††††† 登場人物紹介 †††††
笠井優奈・・・2年1組。ダンス部部長。成績は平均点くらい。志望校は私立公立どちらもいまのままだと厳しい。
松田美咲・・・2年1組。学級委員。習い事が多く、成績は中の上あたり。3年になればもっと勉強に力を入れる予定。
渡瀬ひかり・・・2年1組。ダンス部。勉強は最下位クラスだが、ダンスや歌唱の実力は抜きん出ている。他人に流されやすい。
須賀彩花・・・2年1組。ダンス部副部長。平均くらいだった成績は塾に通い出して向上中。コツコツ派。
田辺綾乃・・・2年1組。ダンス部マネージャー。成績は上の下。しかし、教えるのは苦手。
日野可恋・・・2年1組。勉強では別次元の存在。教えるのも卓越している。
三島泊里・・・2年1組。ダンス部。ひかりの友だち。成績はひかりとほぼ同程度。テスト前は千草から勉強を教わっている。
岡部イ沙美・・・ダンス部顧問の体育教師。生徒の自主性に任せているが、学生の本分は勉強という日野の言葉を受け入れた。
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