第286話 令和2年2月16日(日)「甘い香り」須賀彩花

 暖かい日が続いていたのに、今日の日曜日はあいにくの雨で寒く感じた。

 お昼には雨が止んだものの、どんよりと黒い雲が空を覆っている。


 わたしは空を睨みながら何を着ていくか迷っていた。

 今日は美咲の家で集まりがある。

 いつものメンバーで集まるだけだが、美咲からチョコレートのお返しがあると聞いている。

 2月初めから今日は空けておいてと言われていたのでとても楽しみにしていた。


 何度も行ったことがある美咲の家だが、いつも着ていく服に迷う。

 彼女はお金持ちだ。

 中学生のわたしにはお金持ちといっても漠然としたイメージしかない。

 例えば日野さんのマンションも驚くほど広いリビングがあってお金持ちだと感じるが、美咲の家との違いはよく分からない。

 美咲の家は大きいけれど、マンガに出て来るような豪邸ではない。

 庭はこぢんまりとしているし、玄関や廊下がもの凄く広いということもない。

 それでも日野さんに言わせると大きな差があるらしい。


 そんな美咲の家に行くのに、あまりに普段着だと恥ずかしいし、かといってあまりに余所行きだと浮いてしまわないか心配になる。

 わたし以外は可愛い子ばかりで何を着ても似合うもの……。

 こうしたマイナス思考は減ったものの、それでも事実は事実だしね。


 この冬に買った焦げ茶色のスカートに白のニットを合わせた無難な選択に落ち着き、上にいつものコートを引っ掛けて家を出る。

 もう少し服装選びのセンスがあればと願わずにいられない。

 しかし、そもそも手持ちの服が限られているのでセンスがあっても宝の持ち腐れかもしれない。


 本当はお年玉をもっと衣服費に回したかった。

 でも、今回のバレンタインデーでチョコレートにかなりのお金を投入してしまった。

 お母さんに知られると無駄遣いだと叱られるかもしれない。

 クリスマスに続いて、わたしはお世話になっている人たちにチョコレートを贈ることにした。

 手作りは無理だと早々に諦め、この1週間くらいあちこちのお店を駆け回った。


 美咲には高級そうな生チョコ、優奈には一風変わったギフトチョコ、ひかりにはシンプルなミルクチョコレート、綾乃には濃厚なチョコムース、明日香ちゃんにはチョコレートのカップケーキ、日野さんにはトリュフチョコ。

 他にもたくさん入ったチョコレートをいくつか買って、それを組み合わせて小さなビニールに入れ、リボンを掛けてダンス部のみんなに贈った。

 すべてに手書きのギフトカードを添えたので、それを書くのに時間をかなり使ってしまった。

 これで目前の学年末テストで成績を落としたらとんだ笑いものだ。


 ただ、贈ったみんなが喜んでくれたのでわたしは満足している。

 去年のバレンタインデーは贈る相手もいなかったし、もらうこともなかった。

 他の子たちが盛り上がっているのを眺めているだけだった。

 彼氏に贈るという夢は達成できなかったものの、この一大イベントに参加できたことが嬉しかった。


 途中で綾乃と合流し、ふたりで美咲の家に到着した。

 綾乃はパーカー姿で、フードをかぶっていても寒そうに見えた。


「寒くない?」と声を掛けると、綾乃は「平気」と答えたが、わたしにピッタリとくっついてくる。


 美咲の部屋にはすでに優奈が来ていて、自分の部屋のようにくつろいでいた。

 綾乃は下はショートパンツにタイツ姿だが、優奈は膝上のスカートに生足という出で立ちだった。

 外では上にコートか何か着ているのだろうが、相変わらずオシャレのためには暑さ寒さを我慢するんだなと感心した。


 時間に少し遅れてひかりがやって来て、全員が揃った。

 ひかりはパンツにジャンパーという普段着で、特にオシャレをしている訳ではないのに十分に可愛いのだからズルい。

 わたしは小学生の頃からこの家に何度も来ているのに、メンバーの中でいちばん緊張している感じがする。


 全員が揃ってから美咲が席を外し、カートに載せたトレイを押して戻って来た。

 二段になっていて、下にティーセット、上にホールのチョコレートケーキが載っている。

 甘い香りと豪華な見た目に思わず「おおっ」と声を上げてしまった。

 優奈やひかりも興奮気味だ。


 美咲が手にしたのは刃先がとても長いナイフだ。

 わたしの家なら普通に包丁を使うのに、こんなところにも違いがある。


「五等分は難しいわね」と美咲がどう切り分けるか悩んでいると、「八等分でいいんじゃない。私はひとつで十分だよ」と綾乃が真っ先に提案した。


「そうね、わたしもひとつでいいわ」と美咲は言って惜しげもなくホールケーキにナイフを入れた。


 わたしの皿には二切れ載せられた。

 手に取ると想像以上にずっしりとしていた。

 ダンスをするようになって食べる量が増えたので、これでもペロリと食べてしまいそうだが、わたしは綾乃に「こっちは半分こしようね」と声を掛ける。

 わたしと綾乃のやり取りを見ていた優奈が「そうだな」と呟いて、自分のケーキの尖ったところをフォークで切り取ると、それを突き刺した。

 そして、紅茶を淹れている美咲の口元に「ほら」と運ぶ。


 優奈の行動に戸惑った美咲は動きが止まってしまった。

 紅茶を零しそうで怖い。

 わたしと綾乃が立ち上がり、慌てて手伝う。

 美咲が驚く様子をニヤニヤと笑って見ていた優奈はなおもケーキを美咲の口元に突きつけたままだ。


「食べてよ」と優奈が口にすると、「無作法です」とようやく美咲の硬直が解けた。


 しかし、眉間に皺を寄せながらも美咲の顔は赤く染まっていく。


「友だち同士なら普通じゃん」と言った優奈はわたしの顔を見た。


「分け合うのは普通だけど、いきなり口元にっていうのはどうかなあ」とわたしは苦笑した。


 結局、「はい、あーん」と言って押し通した優奈に美咲が従った。

 優奈は調子に乗って、今度はひかりにもケーキを食べさせる。

 ひかりは躊躇うことなくパクッと食べてしまい、優奈はわずかに不満げだ。


「今度はアタシに食べさせてよ」とふたりに要求し、ひかりは渋々、美咲は嬉しそうに一口を差し出していた。


 そんな優奈たちを眺めていたら、綾乃が物欲しそうにこちらを見ているのに気付いた。

 そういえばあげると言ったのに、まだあげていない。

 彼女の皿に取り分けようとしたら、綾乃はわたしを見て口を開けた。

 いつの間にか優奈や美咲もわたしたちを興味深そうに見ていた。

 今度はわたしが固まる番だ。

 わたしの部屋でふたりきりの時はお菓子を食べさせたりすることはたまにあったけど、こんな風に注目されると照れてしまう。


「ほら、綾乃が待っているよ」と優奈に言われて、わたしはケーキを目の前の少女の小さな口に運ぶ。


 女の子同士でいったい何をやっているんだろうと思うが、綾乃が嬉しそうだからまあいいか。

 誰も言葉にはしないが、1ヶ月半後にはクラス替えが待っている。

 ダンス部の繋がりがあるから急にいまの関係がなくなってしまうことはないはずだが、クラスが替わればいろんな変化は起きるだろう。


 チョコレートの甘い香りとともに、わたしはこの楽しい時間をずっと忘れずにいたいと強く願った。




††††† 登場人物紹介 †††††


須賀彩花・・・中学2年生。美咲とは小学生からの友だち。しかし、1年生の時はクラスが別で疎遠だった。


田辺綾乃・・・中学2年生。夏休み頃から彩花を慕っている。しかし、彩花が気付く様子はない。


松田美咲・・・中学2年生。両親の方針で公立中学に通っている。優奈は親友と言える存在。


笠井優奈・・・中学2年生。現在はダンス部部長として忙しい日々を送っている。彼氏持ちだが美咲には秘密にしている。


渡瀬ひかり・・・中学2年生。今年のバレンタインデーにはたくさんのチョコレートをもらい大喜びだった。

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