第283話 令和2年2月13日(木)「バレンタインデー前夜」日々木陽稲
明日はバレンタインデーだ。
1年のうちに特別な日は何日かあるけど、間違いなくそのひとつだ。
いまや誕生日やクリスマスと肩を並べるんじゃないかと思う。
去年までは違った。
14日はプレゼントをもらうことが多く、わたしはお返しのチョコレートを配る日になっていた。
家族や純ちゃんにはそれなりのものを用意したが、それ以外のお返しは個包装の大入りチョコレートをひとつずつになってしまった。
中学生のお小遣いだから……。
10人20人程度ならもう少し凝ったものを返すことができた。
しかし、受験真っ只中の3年生から大量にもらったりと、本当に大変だったのだ。
今年は上級生とはそれほど接点がないので大丈夫だと思うが、油断はできない。
去年より少しだけグレードアップしたお返し用のチョコレートはすでに用意した。
家族や純ちゃん用も。
あとは可恋の分だ。
可恋は甘いものをあまり食べない。
自分の身体にとても気を使い、カロリーなど食べ物の栄養管理を徹底している可恋だからというのもあるが、菓子類は甘すぎないものを好んでいた。
以前松田さんの家で行われたパーティで出されたデザートを絶賛していたが、あれも非常に上品な味わいだった。
わたしも太ることを恐れて甘いものに抵抗を感じるタイプだったので、好きなデザートの傾向は似ている。
ただ可恋はチョコレート自体はよく食べている。
いわゆるカカオ何%などと表示された低カロリーのチョコレートだ。
もらって食べた時にわたしは苦いと感じたが、可恋は平気な顔で口に入れる。
わたしには紅茶を淹れてくれることが多いが、可恋自身はコーヒーもよく飲むし、苦いのは平気な性質なのだろう。
わたしは悩んだ末に手作りのビターチョコレートを贈ることにした。
お姉ちゃんと毎日相談し、今日のために完璧に準備をした……はずだ。
「チョコレートは扱いが難しいのよ。ショコラティエのように専門の人がいるくらいに」
そう語るお姉ちゃんは料理が好きでお菓子作りだって高校生離れしている。
チョコレートケーキやクッキーなどは作り慣れている。
それでもチョコレート作りは難易度が高いと話す。
「温度管理が難しいからね」
お菓子作りは体力勝負なんて言われることもあるが、チョコレートでは繊細さが求められる。
溶けやすく、分離しやすいチョコレートは繊細に素早く扱わなければならない。
とはいえ、わたしが作るチョコレートはそんなに難しいものではない。
味での勝負を諦め、わたしはチョコレートでイラストを描いて贈ることにしたからだ。
描くのは可恋の美しい
下書きは高木さんに何度か見てもらい、両手の親指と人差し指で円を作ったくらいの大きさのイラストが完成した。
その上にクッキングペーパーを置いてペンで下書きをなぞる。
そこまでは昨日のうちに終わらせていた。
今日はいよいよ塗り絵だ。
クッキングペーパーをコルネ状にして中に溶かしたチョコレートを入れ、先っぽを切れば思いのままにイラストが描ける……はず。
最初は線の太さが安定しなかったものの、慣れてくると意外と簡単に輪郭をなぞることができた。
ちょっとくらいなら爪楊枝を使って修正できるしね。
次はアイシングカラーという着色料を使ってチョコレートに色を付け、それで塗っていく。
顔だけだと肌の色と髪の色くらいしか使わないので、可恋の名前を入れたりしてカラフルに仕上げる。
途中で熱を入れすぎたせいかチョコレートが溶け出して慌てる場面があったが、お姉ちゃんの機転で無事に乗り越え、ついに出来上がった。
「……可恋に見えるよね?」と不安げにわたしが尋ねると、「大きく”可恋”って書いてあるからね」とお姉ちゃんが笑う。
わたしが頬を膨らませると、「よく頑張ったよ」と褒めてくれた。
わたしはニッコリと笑みを返す。
世界にひとつだけのチョコレートであることは間違いないが、世界最高のチョコレートには遠く及ばない。
可恋は世界最高のチョコレートを用意するだなんて言っていたから、チョコレートだけではダメだと分かっている。
可恋に負けないためには演出が大切だ。
そして、わたしの場合、それは服装ということになる。
これまでもチャイナドレスや執事服、袴に振り袖、ロシアの民族衣装なんてものも可恋に披露した。
「バレンタインって定番の衣装がないんだよね……」
クリスマスならサンタ、ハロウィーンならお化けみたいな仮装があるのに。
まだ可恋に見せていないパーティドレスは何着もあるが、インパクトという点では弱い。
ウェディングドレスというアイディアは心惹かれたが、学校から帰ってきて準備をするのでは時間が厳しいと思い諦めた。
やはりウェディングドレスは最高の状態で着たいしね。
お姉ちゃんに手伝ってもらいチョコレート作りの片付けを済ませる。
それから自分の部屋に行き、巨大なクローゼットを開いた。
可恋の部屋といえば超高級ベッドがドーンとあって目立っているが、わたしの部屋といえばこのウォーキングクローゼットだ。
父方の祖父である”じいじ”から買ってもらった大量の衣装が飾られている。
どれも高級品だ。
非常に残念なことに、わたしのサイズが変わらないためほとんどがいまだに着ることができる。
これだけ多くても、一着一着に愛着があり、どの服を見ても買った時の記憶が蘇る。
これは”じいじ”の教育の賜物だ。
物心ついて以来、わたしの望む服を何でも買ってくれたが、その時にプレゼンをする必要があった。
なぜこの服が欲しいのか、どんな時に着たいのか、どう着こなすのか。
実際に後日その服を着た時の写真を送り、わたしが語ったことを納得してもらうまでがワンセットになっている。
着せ替え人形ではなく、自分が着たい服を着る。
そう教育され、ファッションデザイナーを目指すいまの自分がいる。
このクローゼットにある服にはそうした思いが詰まっている。
わたしはクローゼットの中を歩き、自分の原点を見つめ直した。
明日は金曜日だが夜は可恋の家に泊まる予定になっている。
可恋の体調が回復すればという条件がついていたが、夕食後に可恋から明日は学校に行くと連絡があった。
学校が終わって、一度帰宅して、チョコレートと着替えを持って可恋のマンションへ行く。
明日も暖かくなりそうなので、チョコレートを溶かさないようにしないと。
わたしは明日が素敵な一日になると信じて眠りについた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学2年生。ファッションデザインの勉強で絵を描くことは少なからずあり、高木さんほどではないがちょっとは自信がある。
日野可恋・・・中学2年生。スポーツをしているので女子の平均よりは食べる方。ただし、バランスを重視し、時間や一回の量などかなり細かく考えている。
日々木華菜・・・高校1年生。陽稲の姉。どちらかと言えばお菓子作りはストレス解消や気分転換のため。去年は陽稲と同じ中学で、華菜に会いに来た陽稲が3年生のアイドルやマスコット的な存在となった。
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