第270話 令和2年1月31日(金)「泣き虫」本田桃子
最近、トモとミキの口数がめっきり減った。
笑った顔を見たのはいつ以来だか思い出せない。
学校はダンス部の先輩や同じ1年生部員が絶えず顔を出すので気が休まらない場所になっている。
彼女たちは厳しいことを言う訳ではないが、それでも責められているような気分になってしまう。
アタシがいるこのクラス、1年4組はのんびりしたクラスだとよく言われる。
男子も女子もみんなおとなしめで、リーダーやクラスのボスって感じの子はいない。
女子のグループは緩い感じで、トモとミキが中心ではあるものの、そんなに垣根はなく、みんな仲良くやっていた。
アタシはトモとミキとは同じグループではなかったが、ダンス部に入部してからよく話すようになった。
人見知りなところがあるアタシはふたりのお蔭でダンス部に馴染むことができた。
ふたりはアタシより大人で、頼もしく、格好良かった。
「最近、元気ないね。大丈夫?」と頬杖をついて窓の外を見ていたアタシにまつりちゃんが声を掛けてくれた。
彼女はクラスの中でアタシといちばん仲が良い生徒だ。
人見知り同士、気が合った。
ただ、彼女が強引に手芸部に入らされた時にアタシは何の助けにもなれなかった。
だから、アタシは彼女に迷惑を掛けたくないと考えている。
「うん、大丈夫」
昨日はお昼休みにあかりたちがやって来た。
秋田さんに廊下に連れ出され、大変だった。
今日もびくびくしていたが、この昼休みはいまのところ他のダンス部員は姿を見せていない。
「まつりちゃんは今日は行かなくていいの?」と尋ねる。
3学期になって彼女が昼休みに手芸部の部室である家庭科室に行くことが増えた。
昨日も行っていて、教室にはいなかった。
「今日は平気」とまつりちゃんが答える。
その顔を見て、アタシは「まつりちゃんは手芸部を辞めたいと思ったことはないの?」と質問した。
同じ1年生の部長に振り回されて大変だと彼女はよく話している。
なのに、彼女の口から辞めたいという言葉を聞いた覚えがない。
「わたしは器用じゃないし、いろいろと大変なこともあるけど、部活自体は楽しいと思っているから。朱雀ちゃんがもう少し、もう少しだけでもわたしの話をちゃんと聞いてくれたら……」
後半は小声でぶつぶつ呟いてはっきりとは聞こえなかったが、充実している感じは伝わってきた。
そう、まつりちゃんは手芸部の話になると楽しそうになる。
大変だと言いつつもどこか楽しげだった。
そんな彼女を見ているうちに、アタシも部活をやりたいと思うようになったのだ。
ダンス部はアタシにとって大変なことだらけだ。
先輩たちだけでなく、他の1年生部員もみんな凄そうだった。
ダンスを覚えたり、人前で踊ったり、それらはもの凄くハードルが高かった。
クリスマスイベントの時に一般客の前でダンスを披露するなんて、少し前なら自分にできると思いもしないことだった。
でも、ダンスは下手くそだったけど、やり遂げた思いや仲間と一緒に踊った喜びがあった。
本当に生まれて初めての体験だった。
いま思い出しただけで目が潤んでくる。
アタシが泣き虫だと知っているまつりちゃんは「はい」とティッシュを差し出してくれた。
それを受け取って目元を拭う。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
なんだか最近泣いてばかりだ。
「ダンス部、つらい?」と真剣な顔でまつりちゃんが聞いてくる。
アタシは首を横に振った。
ダンス部は大変だけど、楽しい。
つらいことがまったくないって訳じゃない。
だけど……。
アタシはなんでダンス部を辞めようとしているんだろう。
トモとミキが辞めるから?
Aチームの練習について行けないから?
アタシにはみんなのように踊ることは無理だから?
そのどれもが正しいようで正しくないような気がする。
昨日、藤谷さんに言われた言葉が頭の中に蘇ってきた。
彼女がアタシをこの席まで連れて来て、去り際に囁いた言葉だ。
「誰が悪いの?」
それが、アタシが泣いたことに対してなのか、ダンス部を辞めることに対してなのかは分からない。
アタシが泣いてしまったのは秋田さんが怖かったからだけど、秋田さんが悪いとは思わなかった。
秋田さんはアタシのことを良くは思っていないみたいだったが、それは仕方がないだろう。
あかりや琥珀ちゃんが悪いとも思わないし、先輩たちも同様だ。
もちろん、トモやミキだって悪い訳じゃない。
じゃあ、誰が悪いのか。
その時、「アタシ」と答えかけてその言葉を飲み込んだ。
そう答えて、アタシの何が悪いのか聞かれても説明できないと思ったからだ。
結局、藤谷さんはアタシの答えを待たずに教室から出て行った。
本当に誰が悪いんだろう。
どうして、こうなってしまったのだろう。
「無責任かもだけど、わたしはももちが好きなようにやればいいと思う」
黙り込んでいたアタシに、まつりちゃんが言葉を掛けてくれた。
その表情を見れば、なんと言おうか相当悩んだみたいだった。
アタシが逆の立場だったら、何も言えないんじゃないかと思う。
どんな言葉が相手を励ましたり、勇気づけたりするのか分からないから……。
でも、必死で考えてくれたことが嬉しかった。
こうして言葉を、気持ちを伝えてくれたことが。
アタシは「ありがとう」と言って席を立つ。
「ちょっと行ってくる」と向かった先はトモとミキのところだ。
ふたりはぼんやりした表情で座っていた。
それを見て、初めてアタシはふたりが同じ年齢の女の子だと気が付いた。
アタシなんかよりずっとずっと凄くて特別な子たちだと思っていたのに、そこにいるのは普通の子どもなんだとあたしの目に映った。
「アタシ、ダンス部に戻るね」
アタシがそう口を開くと、ふたりの目がこちらを向いた。
そこにどんな感情が込められているのか分からない。
なぜなら、アタシの目は涙でかすみ、よく見えなくなっていたから。
「アタシがいままでダンス部でやってこれたのはふたりのお蔭だよ」
アタシの顔はぐちゃぐちゃになっているだろう。
涙腺は崩壊し、鼻水も止まらなくなってきた。
それでもなんとか声を絞り出す。
「ふたりがたとえ辞めても、ふたりの分まで頑張るから……」
アタシはそこで泣き崩れ、しゃがみ込んでしまった。
トモとミキに支えられてなんとか自分の席まで戻る。
本当は顔を洗いに行きたかったのに、もう昼休みが終わる時間だ。
アタシはハンカチで顔を押さえて午後の授業を受けた。
††††† 登場人物紹介 †††††
本田桃子・・・1年4組。ダンス部。愛称はももち。
矢口まつり・・・1年4組。手芸部。
三杉朋香・・・1年4組。ダンス部。愛称はトモ。
国枝美樹・・・1年4組。ダンス部。愛称はミキ。
* * *
ホームルームが終わり、アタシは飛び出すように教室を出ようとした。
しかし、「ももち!」と強い口調で呼び止められる。
その声に心臓がギュッと鷲づかみされたように感じてしまう。
振り向くと、トモとミキがアタシを見ていた。
トモは気まずそうな顔で「悪かったな」と言った。
アタシは「そんなことないよ」と首を横に振る。
ミキが「応援してるから」と言ってくれた。
それだけでアタシは目頭が熱くなってきた。
「ほら、また泣きそう! 練習行くんだろ。遅れるぞ」とトモが笑った。
アタシは頷き、「行ってくるね」とかすれた声を出す。
アタシは一目散に駆け出した。
やっぱりふたりは大人で、頼もしく、格好良いと思いながら。
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