第269話 令和2年1月30日(木)「予想外」秋田ほのか

 昼休み、私は計画通り本田桃子を教室の外へ連れ出した。

 彼女は私より大柄だが、「ついて来て」と強く言うと素直に従った。

 手を引いて廊下を進んでいくと、反対側の出入口からあかりが三杉朋香を引っ張っていくのが見えた。

 三杉は本田と違い「やめてよ」と抵抗しているが、あかりは意外と馬鹿力の持ち主なので逃げ出せないでいた。


 4組の教室内やその外の廊下では何ごとかと足を止める生徒もいたが、ほとんどが私ではなくあかりたちをポカンと見ている。

 教室内は島田が何とかするだろう。

 私は予定通りに1組の教室の先まで廊下を進み、階段の踊り場に本田を連れて来た。

 あとは昼休みが終わるまで彼女を引き留めておけば私の役割は終わりだ。


 本田桃子は怯えた目で私を見ている。

 何か言われると思っているのだろう。

 私の毒舌は1年生部員に知れ渡っている。

 私自身も口を開けば何かキツいことを言ってしまいそうだと自覚していた。

 言いたいことは山ほどある。


 あんたのせいで、あかりや部長が悩んでいるのよ。

 もう中学生なんだから、金魚のフンみたいに友だちにベッタリくっついていて恥ずかしくないの?

 やる気がないのならさっさと辞めればいいじゃない。


 そんな言葉をじっと我慢する。

 しかし、表情には出てしまうようで、目の前の少女は涙ぐみかけていた。

 彼女は気が弱い。

 ちょっと先輩に注意されただけで泣き崩れるほどだった。

 あれは”怖い先輩”だったからでもあるけど……。


 いまにも泣き出しそうな本田に対して、私はどう対応すればいいか頭を悩ませていた。

 過去に私の発言で他人を泣かせたり怒らせたりしたことは何度もあった。

 私は思ったことをすぐに口にするから。

 空気を読むなんてバカのやることだと思っていたし、本当のことを言われてわめき散らすのは愚か者の証拠だと考えていたからだ。


 だが、本田に泣かれるのはまずい。

 あかりから余計なことを言うなと言われている。

 本田は三杉や国枝に付き合っているだけで、ダンス部を続ける気持ちがあるとあかりは考えている。

 4月のクラス替えのあと、本田にもう一度ダンス部に戻って来てもらうという計画も立てているようだ。

 だから、怖がっている本田をなんとか宥めなければならない。


「別に怒っている訳じゃないから」


 私がそう言ったのに、彼女はビクンと身体を震わせるだけだった。

 苛立ちと焦りと戸惑いが入り交じり、「泣かないでよ」という言葉が口をついて出てしまう。

 そして、その言葉がきっかけとなって、堰を切ったように彼女が泣き出した。


 私は半ばパニックになり、「泣かないでって言ってるでしょ」と声を荒らげてしまう。

 当然、これは逆効果で、本田は声を上げて泣き始めた。

 言ってから、しまったと後悔しても後の祭りだ。

 私は途方に暮れて、泣きじゃくる本田桃子を見ていた。


 私の方が泣きたくなるほどだ。

 頭を抱えてしゃがみ込みたくなるのを堪えていると、1組の教室から見知った顔の生徒が出て来た。

 その彼女はこちらに気付いたのに、無視して階段へと向かう。

 彼女も私の顔は知っているはずだ。

 互いに口をきくことのない相手だが、こんな時には藁をもすがりつきたくなってしまう。


「藤谷!」と声を掛けると、足を止め、振り向いた。


 藤谷は先輩たちの前では笑顔を顔に貼り付かせているのに、1年生の前ではたいてい無表情だ。

 いまも能面のような顔付きのままゆっくりと近付いてくる。


「泣かしたの?」と聞かれ、答えに詰まる。


「いじめ?」と続けて聞かれ、さすがに「違う!」と反論した。


 とはいえ、いじめと受け取られても仕方がない状況だ。

 私が誤解を解こうと考えていると、藤谷は本田の顔をのぞき込んだ。

 そして、本田の手を取りすたすたと歩き始めた。

 本田も抵抗することなくついて行く。

 自分が出て来た1組の教室前を通り過ぎ、廊下をドンドン進んでいく。

 私は呆気に取られて、ふたりの後ろ姿を眺めていた。


 藤谷が2組の教室の前を過ぎた辺りで、私は慌てて追い掛けた。

 私の役割は昼休みが終わるまで本田を三杉や国枝から引き離すことだ。

 ふたりが進む先には彼女たちがいる。


「藤谷、待って!」と呼び止めるが、藤谷は私の声が聞こえないかのように真っ直ぐ歩き続ける。


 手を引かれている本田も予想外の事態に泣き止んでいた。

 私が追いつく直前にふたりは4組の教室に入って行った。

 4組は本田たちのクラスで、私が入口のところで中を見ると藤谷が本田に何か話し掛けていた。

 本田はそれに答えて窓際を指差す。

 藤谷はそこまで本田を連れて行った。

 そこは本田の席だ。


 私はどうしていいか分からず入口に立ったまま固まっていた。

 藤谷は本田を自分の席に座らせると、こちらに向かって歩き出した。

 表情はなく、何を考えているのかさっぱり分からない。

 本田の方を一度も見ることなく、入口に立つ私を押しのけて教室を出て行った。

 廊下を見ると、彼女は自分の教室に戻るのか、最初の目的地を目指すのか、振り向くことなくすたすた歩き去った。


 私は頭を振って意識を切り替える。

 再び4組の教室の中を見回す。

 本田はじっと前を向いて座っている。

 一方、国枝はそこから少し離れた席に座って本田の方を見ていた。

 国枝の前の席には島田が横向きに座っていたが、いまはこちらに視線を向けていた。


 私の視線に気付いた島田が私のところまでやって来た。


「何があったん?」と聞かれる。


 当然の疑問だろう。

 私が起きたことを一通り説明すると、「藤谷さんかあ……」と島田は頬に手を当て困った表情を見せた。

 島田は藤谷と同じクラスなので、私より彼女のことをよく知っているはずだ。


 困惑する島田に「そっちはどうだった?」と尋ねる。

 国枝のところへ戻ろうとしないので話は済んだのだろう。


「説得やなくて、辞めるんならちゃんと辞めるって言った方がええよって伝えただけやから」


 島田はいつも笑顔だし、口調もほんわかとした関西弁なので気付きにくいが、結構ズバズバと言う方だ。

 周りとのコミュニケーションも良好だし、私より大人なんだろう……。

 あまり認めたくないが。


 私は島田の言葉に頷いた。

 私も彼女たちに戻って来て欲しいとは思っていない。

 あかりが少しでも気分がすっきりするのなら、辞めるとはっきり言ってくれた方が良いと思うだけだ。


 国枝も本田も席に着いたままだ。

 国枝はこちらをチラチラ見るが、本田は頬杖をついて窓の外に目を向けていた。

 昼休みも残りわずかだし、三杉のところへ行こうとしないのであればどうでもいい。

 それよりも私は藤谷が気になった。


 1年生部員の中ではダンスの実力は私に次ぐ。

 私と同じように問題児扱いされ、最近まで他の1年生から事実上隔離されていた。

 だから、これまでろくに話したことはない。

 藤谷はあかりに対してキツいことを言ったので私は悪い印象を抱いている。

 しかし、あかりに言わせると私もあかりにかなりキツいことを言ったので似たようなものらしい。


 ……今日は助けてもらったって言っていいのだろう。


 とりあえず礼は言っておくべきか。

 なんとなく気が重い。

 それでも明日の練習の時にでも感謝を伝えようと私は心に決めた。




††††† 登場人物紹介 †††††


秋田ほのか・・・中学1年生。ダンス部。ダンスも勉強も優秀だが、他人を見下す傾向がある。


辻あかり・・・中学1年生。ダンス部。1年生部員のまとめ役。ソフトテニス部時代に地道に練習に取り組んだ成果か力は強い。


島田琥珀・・・中学1年生。ダンス部。「嫌やわあ。もっとオブラートに包まななあ……。ところで、オブラートって何やろ?」


本田桃子・・・中学1年生。ダンス部。愛称はももち。


三杉朋香・・・中学1年生。ダンス部。愛称はトモ。


国枝美樹・・・中学1年生。ダンス部。愛称はミキ。


藤谷沙羅・・・中学1年生。ダンス部。黄色いヘアピンがトレードマーク。

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