第268話 令和2年1月29日(水)「タイムリミット」辻あかり

「もう少し時間をもらえませんか」


 あたしは思わずそう口に出した。

 あたしがこんなことを言うなんて思ってもいなかったのだろう、部長はわずかに顔を曇らせた。

 あたしだって憧れの存在である部長を困らせたくはない。

 しかし、いまのままで素直にはいと頷くことはできなかった。


 ダンス部の練習後、あたしはほのかや琥珀と一緒に部長に呼ばれた。

 トモやミキたちが練習に来なくなって以降、部長は苦しげな表情を見せることが増えた。

 部長はあたしの責任ではなく自分の責任だと言ってくれたが、それでもあたしは責任を感じている。


 部長は思い詰めた顔付きであたしたちに語った。


「これからはダンス部の活動に集中するように。辞めるか続けるかは本人の意思を尊重するから」


 ここ最近、休み時間や放課後にあたしたちや先輩たちが頻繁に彼女たちのところに通っている。

 彼女たちのことに気を取られて練習が疎かになっているのは事実だろう。

 いつまでもずるずるとこの問題に付き合っていられないのは頭では理解できる。

 でも……。


 あたしの咄嗟の言葉に、部長は少し間を置いて「2月になったら次のイベントに向けて集中する」と告げた。

 学年末テストのあとに近隣の小学生相手にダンスを披露する計画が進んでいる。

 試験前は練習ができないので、本当はもっと早く練習に集中したいところだろう。

 今日が29日なので、1月は今日を入れても3日しかない。

 わずか3日で何かできるかどうか……。

 だけど、やるしかない。


 あたしは「ありがとうございます」と頭を下げる。

 部長はまだ顧問の岡部先生と話をするようなので、あたしたちは先に更衣室へ向かった。


「もうええんちゃうん?」と更衣室に入るなり琥珀が言った。


 琥珀は「戦力やない子は引き留めんと辞めさせてあげてええと思うんよ」と持論を口にする。

 彼女の言うことが正論だろう。

 あたしも分かっている。


「トモもミキもももち・・・も、まだ辞めるって言っていないから……」


 あたしがどうしても引っ掛かっているのがそこだった。

 3人と何度も話をした。

 放課後はあたしたちを避けてすぐに帰ってしまうが、休み時間はいつも雲隠れできる訳ではない。

 しかし、あたしたちが一方的に話すだけで彼女たちはほとんど自分の思いを語らない。

 いつも気まずそうな顔をしたまま、聞き流しているだけだ。


「はっきり辞めると言えば、それ以上は引き留めないけど……」


 あたしの歯切れの悪い言葉に、いつもニコニコしている琥珀が珍しく真顔になってあたしを見つめた。

 何か言い掛けて止め、「急ぐから」と手早く着替えて出て行った。


 気が付けば、ほのかも着替えが終わっていた。

 あたしは「ごめん」と言って急いで着替える。

 だが、着替えの最中にもこれからどうしたらいいのかという思いが頭に浮かび、何度も手を止めてしまった。

 ほのかはそんなあたしに何も言わずにじっと待ってくれていた。


 ほのかも去る者は追わずという考えだ。

 それなのにあたしに付き合ってくれている。

 あたしが自主練で集中力を欠いていても、何も言わずに困った顔をするだけだ。

 何でもポンポン思ったことを口にしていたほのかに、こんなにも気を遣わせるなんて。


「……どうしたらいいんだろう」とあたしは呟いた。


 正直、説得の言葉はもう使い果たした。

 考えつくすべての言葉を並べ、思いつくすべての方法を試した。

 それが彼女たちの心に届いた気配はない。

 あと2日しか残されていないのに、打つ手が思い浮かばない。


「やっぱり1対1で話すのがいいんじゃない」とほのかが提案した。


 いつも3人一緒にいて、特にトモとミキはひとりになることを明らかに避けていた。

 何度か1対1に持ち込もうとやってみたが、うまくいかなかった。

 突破口を見出すにはもうそれしか残っていないような気がする。


「そうだね。でも、それをするのだって難しいよ」


「時間がないんだから強引にやっちゃえば? 嫌われたくないからって下手に出ていたら変わらないわよ」とほのかは眉間に皺を寄せた。


 ダンス部に戻って来て欲しいから、これまで丁寧に接してきた。

 その態度がほのかには不満だったようだ。

 タイムリミットが迫る中、多少の強引さは仕方ない……のだろうか。


「分かった」とあたしは迷いを吹っ切るように言った。


 残りは2日。

 彼女たちと話す時間は限られている。


「あたしがトモをどうにか連れ出す。琥珀にミキを引き留めてもらって、ほのかはももちを連れ出してくれる?」


 あたしは作戦を立てる。

 琥珀の都合次第だが、明日の昼休みに決行したい。

 放課後はホームルームが長引くと先に帰られてしまうからだ。


 ほのかは仏頂面のまま「分かったわ」と答えた。


「ももちには余計なことを言わないでいいからね」とあたしは釘を刺す。


 ももちは他のふたりと違い、迷いが見られる。

 最悪、4月にクラス替えがあってトモやミキとクラスが別れたら、その時にダンス部に戻って来てもらうというプランも考えていた。

 だから、余計なことを言って、ダンス部に戻りたくないと思われることは避けたかった。


 ほのかは最近は自重しているが、口が悪い。

 説得には不向きだ。

 あたしも弁が立つ方ではないが、あたし、ほのか、琥珀の3人の性格を考えると、トモとミキの説得にあたしと琥珀が当たり、ほのかはももちを隔離しておいてくれればと思う。


「分かっているわよ」と更に眉間の皺を深めてほのかが答えた。


 1年生の教室前の廊下の両端にトモとももちを引っ張って行くことなどを打ち合わせてから、ようやく更衣室をあとにした。

 やることが決まって、さっきよりは心が軽くなった。

 どう説得すればいいのかは分からないが、もう当たって砕けろだ。


 外は晴れ間がなくなり曇り空になっていたが、ここ数日の寒さが消え去り、暖かくて気持ちが良い。

 頑張るは禁句にしているけど、いまの自分の心情に最適な言葉は「頑張ろう!」だった。

 頑張ればきっと……。




††††† 登場人物紹介 †††††


辻あかり・・・中学1年生。ダンス部。1年生部員のまとめ役。優奈を慕ってソフトテニス部からダンス部に移った。


笠井優奈・・・中学2年生。ダンス部部長。


秋田ほのか・・・中学1年生。ダンス部。実力は1年生の中ではトップ。


島田琥珀・・・中学1年生。ダンス部。関西弁少女。塾や習い事などで自主練ができず、Bチーム所属。


三杉朋香・・・中学1年生。ダンス部。愛称はトモ。


国枝美樹・・・中学1年生。ダンス部。愛称はミキ。


本田桃子・・・中学1年生。ダンス部。愛称はももち。

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