令和2年2月

第271話 令和2年2月1日(土)「はなむけ」日々木陽稲

 今日は土曜日なのでいつものように午前中は家の掃除に時間を費やす。

 細々とした家事を手伝うことはあっても、明確に決められたわたしの家事の分担はこれだけだ。

 すべての家事をひとりでこなす可恋を見ていると、わたしももう少し手伝った方がいいと思うが、いまのところ手は足りていると両親に言われている。


 お姉ちゃんが作ってくれたお昼ご飯を一緒に食べ、お姉ちゃんと一緒に出掛ける。

 わたしはお泊まりの用意をして可恋の家へ。

 お姉ちゃんはファッションショーの話し合いのためにゆえさんの家へ。


 可恋の家まで送ってくれるお姉ちゃんに、「どう、進んでる?」と尋ねると、「うーん、どうだろう。初めてのことだからね……」と心もとない返事が来た。

 わたしたちの時は可恋が進み具合をコントロールしていて、可恋に任せておけば大丈夫だと思っていた。

 他のクラスが文化祭の準備に追われている時期も、慌てることなく着々と準備が進んでいったと思う。


 玄関でわたしの大きな鞄を可恋に渡し、お姉ちゃんはゆえさんの家へ向かった。

 お泊まりはほぼ毎週のことなので生活用品なんかは可恋の家に置かせてもらっている。

 だから、荷物は少ないはずなんだけど、わたしの場合は服がかさばってしまうのだ。

 わたしの部屋着などは客間のクローゼットを借りてそこに詰め込んでいるが、明日着る服を二種類、それに合った小物などを持って来ると意外な量になってしまう。

 なんで二種類かって言うと、その日の気分や可恋の服装に合わせる必要があるからだ。


 可恋は体調が良さそうだ。

 水曜日に大学病院へ定期検査に行く時は、病原菌をもらいに行くようなものだと嘆いていたが、大丈夫だったみたい。

 わたしが洗面所で手洗いやうがい、消毒殺菌などを済ませ、リビングに入ると、可恋は紅茶を淹れていた。

 この紅茶の香りを嗅ぐと可恋の家に来たと感じる。


 デザートはいちごのチョコレートソース掛け。

 ソースは甘すぎず、いちごの甘みや酸味を引き立ててくれる。

 こんな至福の時間がずっと続けばいいのに、午後はお勉強だ。


 わたしは持って来たノートを鞄から取り出す。

 冬になって可恋が学校を休むことが増えたため、わたしが可恋に勉強を教える……なんてことはなく、ノートをもとにどんな授業が行われたか可恋に伝えるのがわたしの役目だ。

 時折可恋から授業のポイントが問題形式で出され、それに答えられないと可恋の”授業”が始まってしまう。

 可恋の”授業”は分かりやすくて良いものの、それでも勉強の時間は早く終わらせたいので、間違えないようにこちらも必死になる。


 可恋は「ひぃながきちんとノートを取ってくれるから助かるよ。これでテスト対策ができる」と言うが、テスト対策はわたしやクラスメイトのためであって、可恋ならそんなことをしなくても困らないだろう。

 それを指摘すると、「そんなことないよ。日本じゃ習った解き方じゃないと×になることがあるからね」と笑っていた。


 休憩を挟みながら続いた勉強が終わると、可恋が背筋を伸ばした。

 ほんのわずか空気が変わったのが分かる。

 なにか話があるのだろうと思い、わたしも気持ちを切り替える。


「小野田先生が教師を辞めるんだって」


「えっ!」と驚きの声を上げてしまう。


 担任の小野田先生が4月にこの学校を去ることは聞いていた。

 しかし、教師を辞めるって……。


「本人から聞いたんだけど、不登校児支援のNPOに参加するって」と可恋は淡々と話す。


「そうなんだ……」


 小野田先生は厳しい先生だと生徒の間に知れ渡っている。

 生徒に懐かれている田村先生とは対照的で、生徒との間にきっちり線を引くような先生だ。

 1年生の時から担任だったが、コミュニケーション能力に自信があるわたしですらプライベートな話をしたことがない。

 眼鏡の奥の目が鋭く、何を考えているのか分からない先生だった。

 でも、先生が目配りしてくれたから4組は平穏なクラスだったんだと思う。


「花束を贈るなり、寄せ書きするなり、何かできないか松田さんと相談してみよう」


 可恋がわたしを誘うように言った。

 松田さんはいま学級委員なので彼女中心に動く方がいいだろう。


「そっか……。辞めちゃうのか」


 学校を去ることに違いはないのに、なんだか無性に寂しくなった。

 小野田先生と話す機会が増えたのは可恋がいたからだ。

 最初は可恋のことを警戒している様子だったが、キャンプ以降は可恋の味方になってくれた。

 可恋も信頼していた。

 だから、こうしてプライベートな情報を聞けたのだろう。


「残念だね……」と眉をひそめた可恋は、「もっと早く知ってたら、うちのNPOに勧誘したのに」と言葉を続けた。


 思わず「そこか!」とツッコみたくなる。

 だって、わたしたちの行動が巡り巡って先生の責任問題になり、辞めることに繋がったのだから。

 その責任を感じているのかと思ったら、スカウトできなかったことを本気で後悔しているようだった。


「女子学生アスリートのサポートを掲げてるけど、スポーツ方面からの人材は集まってるのに、教育現場からの人材が足りてなくてね」


 同じ中学生なのに、可恋とわたしでは視点が違う。

 わたしだけでなくほとんどの生徒にとって、世界は学校が中心であり、先生が学校を辞めるなんて聞けば、世界からいなくなるように感じてしまうものだろう。

 可恋にとっては、学校は世界の一部に過ぎず、担任教師だからって特別なものはないのかもしれない。


「先生が辞めちゃうことに責任みたいなものは感じていないの?」とわたしは確認する。


「責任? 渡瀬さんの件はいつか破綻したと思うし、それを世間に隠すことができたとしても、小野田先生は自分の責任を感じて何らかの行動を起こしたと思うよ」


 サバサバした表情で可恋が答える。


「それに、もう少しうまくやれたかもしれないという反省はあるけど、この結末を知っていたとしても私は同じ行動をしたと思う」と可恋は毅然と語る。


 谷先生との関係が長引かずにキッパリ蹴りがついたことで、渡瀬さんや三島さんはいまダンス部で頑張ることができている。

 4月に学校を去る校長先生や田村先生、小野田先生も新しい環境に備え前向きに取り組んでいると可恋が教えてくれた。

 キャンプの事件にわたしが関わったところはほとんどなかったが、わだかまりのようなものは残っていた。

 それが払拭された訳ではない。

 ただ可恋が平気なら、わたしはそれで良かった。


「絵なんてどうかなあ? ファッションショーの時のドレス姿を絵にして贈るの」


 わたしが思い付きを提案すると、「良いアイディアだと思うけど、高木さん任せになっちゃうね」と可恋が笑う。

 絵が無理なら写真を額装して贈ってもいい。

 校長先生にエスコートされた小野田先生はきらめいていた。

 普段は白衣姿も多いが、やはり正装して舞台に立つと誰もが光り輝く。

 それを残さずしてどうするのと、わたしは熱弁を振るった。


 はなむけなのだから最高のものを贈りたい。

 感謝の気持ちを込めて。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・2年1組。1年生の時は安藤純、山田小鳩、宇野都古と仲が良かった。4組には他に塚本明日香がいた。


日野可恋・・・2年1組。1年生の3学期に転校してきたが、欠席続きで仲の良かった生徒はいない。1組には高木すみれ、須賀彩花がいたがほとんど会話はなかった。


日々木華菜・・・高校1年生。陽稲の姉。ファッションショーの準備は進んでいるのかまったく分からない!


小野田真由美・・・2年1組担任。50代のベテラン教師。理科を担当。

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