第262話 令和2年1月23日(木)「美術部」高木すみれ

「部長、これ見てもらえますか?」


 1年生の山口さんが手に持っていたノートをあたしに差し出した。

 マンガを読んだり、お喋りしたりするだけの部員が多い美術部の中で、創作活動に勤しむ数少ない部員だ。

 クラスメイトと協力して異世界転生ものを描いていて、時々こうして見せてくれる。


 絵柄は少女マンガ特有の繊細なものだ。

 まだどこかで見たような感じの絵だが、描き続けていけば自分のタッチができてくるだろう。

 一方、キャラクターやストーリーはかなりギャグ調で、相当ぶっ飛んでいる。

 異世界に転生した勇者と魔法使いが光の女神を助けるために闇の魔王と戦うというお約束の内容だ。

 ファンタジーの世界観はよくあるゲーム的なものだが、絵柄とのミスマッチやキャラの奇抜さが目を引くので、インターネットに投稿すれば人気が出そうだった。


「相変わらず面白いね」とあたしが感想を述べると、山口さんは嬉しそうに微笑んだ。


「コマ割りだけど、ここのところはもう少しシンプルにした方が分かりやすいんじゃないかな」


 あたしはマンガの作画能力を高く評価されることが多いが、自分自身ではたいしたことがないと思っている。

 見やすく、デッサンはしっかりしていて、美しい絵は描けるが、オリジナリティに乏しい。

 いろいろなマンガのいいとこ取りをしただけで、あたしにしか描けないような絵だと思っていない。

 マンガではどうしてもどこかで見たような絵しか描けなくて、油彩などに惹かれるようになった。

 だから、絵の描き方に関してあたしが教えられることはない。


 ストーリーやキャラクター作りに関しては駆け出しの素人レベルだ。

 黎さんの手伝いで描いている同人誌はすべて作画のみで、ストーリーやキャラクターは他の人がやってくれる。

 日頃クラスメイトを観察して、ふとした仕草などをマンガの中に取り込むことはあるが、物語を作る能力という点ではあたしは皆無に近い。


 あたしが教えられるのはコマ割りなどの技術的なことくらいで、部長らしい仕事はできていない。

 実際には部長にそういう役割を求めている部員はいないし、歴代の部長もそんな仕事はしていなかったけど。


 この美術部では描いている部員の方が肩身が狭い。

 いまだってあたしたちは美術室の片隅でこっそり会話している。

 あたしが部長になって、少しは改善したいと思っているのだが、数の力はいかんともしがたい。


 それにイラストなどを描いている子でもいまの美術部の雰囲気の方が良いという意見が少なくない。

 描くことが当然となると、色々とプレッシャーを感じることが多くなる。

 ちょっと絵を描くのが好きなだけの子にとっては、そんなプレッシャーは嫌だよね。

 文化系の部活はこのくらいのぬるさが丁度良いのかもしれないと最近は思うようになった。


「部長はオリジナルを描かないんですか?」


 あたしの同人活動については信用できる人にしか教えていない。

 作品を見せたことがあるのはほんのごく少数の人だけだ。

 山口さんには叔母の同人サークルの作画を手伝っていると伝え、一般向けの同人誌を見せたことがあった。

 それ以来こうして自分の絵を見せてくれるようになったのだが、同時にオリジナルについて聞かれるようになった。


「そのうち描きたいとは思っているんだけどね」


 いつもの返答をする。

 こんな風に言うから毎度同じ質問を繰り返されることになると分かってはいるのだが、これが正直な気持ちなのだから仕方がない。

 絵画に比べて優先順位が落ちるとはいえ、マンガだって好きだし、描いている以上オリジナルの作品を描いてみたい気持ちはある。

 ネットで「描く技術はあっても描きたいことがないんじゃ意味がない」みたいな意見を目にするたびに心臓にグサッと刺さる。

 見返してやりたいという思いはあるのに、いざ描こうとしても描きたいことが浮かんでこない。


「部長ならきっと素敵な作品が描けますよ」なんてキラキラした目で言ってくれるのはありがたいが、それは大きなプレッシャーでもあった。


「山口さんは描かないの? オリジナル」と話題を変えると、「ちーちゃん……、あ、クラスメイトと描いているとすごく勉強になるので、もうしばらくは……」と顔を赤らめながら答えた。


 彼女は友だちがいなくていじめられていたそうだが、日野さんの協力もあってクラスに居場所を見つけた。

 友だちとひとつの作品を作り上げるために協力するなんて羨ましい限りだ。

 いまは、そんなかけがえのない時間を大切にした方が良いと思い、「そうだね。楽しんで描くことができているのなら続けた方が良いね」と言っておいた。


 彼女は弾んだ声で「はい」と頷き、去って行った。

 顧問の美術教師が入って来たからだ。

 顧問は大柄な男性で白髪頭のせいで年齢よりも老けて見える。

 小野田先生や田村先生より歳下と聞いて驚いたことがあった。

 無駄口は一切言わないが、指導者としてあたしは尊敬していた。


 山口さんに話し掛けられるまで描いていたデッサンを見てもらう。

 こうしろああしろとは言わず、あたしが反省点を述べて、それから次の課題について話し合う。

 技術を磨くだけでいいのかというあたしの疑問は何度も先生にぶつけた。

 それに対する答えは、技術を磨く時間は必要で、それ以外を身に付けたければそれ以外の時間にすればいいと至極もっともなものだった。

 そうと分かっていても、焦ったり心が揺らいだりしてしまうのだけど。


 次の課題が決まった。

 自画像だ。

 定期的に出される課題だが、あたしは苦手意識を感じていた。

 だからこそ繰り返しやらされるのだろう。


 描きたいもの、伝えたいものがない空っぽなあたしを描かなければならない。

 日々木さんや日野さんのように描かれるために生まれてきたような人ならと思わずにいられない。

 あたしは自分の顔が嫌いだ。

 鏡を見るのも嫌になる。

 これからしばらくはそれと向き合わなければならない。

 孤独な作業の始まりだ。




††††† 登場人物紹介 †††††


高木すみれ・・・中学2年生。美術部部長。叔母が運営する大手同人サークルで作画を担当しているが、18禁メインなのでそのことは隠している。


山口光月みつき・・・中学1年生。美術部員。昼休みに鳥居千種と行っている創作活動がいちばんの楽しみになっている。


日野可恋・・・中学2年生。姿勢の良さや筋肉の付き具合など肉体美に際立つものがある。


日々木陽稲・・・中学2年生。伝説上の生き物かと思うほどの絶世の美少女。

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