第261話 令和2年1月22日(水)「ダンス部」本田桃子
「辞めたいと思うんは仕方ないと思うんよ」
昼休みにアタシたちの教室までやってきた琥珀ちゃんが、いつものふわふわした笑顔を向けた。
トモは顔をしかめ、ミキは笑みを浮かべて彼女の言葉を聞いていた。
アタシは「辞める」という言葉に心臓がギュッと鷲づかみにされたようだった。
「どうしても辞めたい言うんなら快く送り出してあげたい。でもな、他の人まで巻き込むんは最低の人間のやることやと思うんよ」
琥珀ちゃんの表情も声のトーンも変わらない。
だから、一瞬何を言っているのかよく分からなかった。
トモは睨みつけるような顔になり、ミキは笑みが顔に張り付いたように固まった。
凍り付いた空気にアタシはオロオロしてしまう。
何と口を出せばいいか考えているうちに、「またね」と言って琥珀ちゃんは自分のクラスへ戻って行った。
すぐにチャイムが鳴り、アタシは自分の席に着く。
結局、トモもミキもアタシも一言も発しなかった。
アタシの席は窓際で、授業中もホームルームの時間もボーッと外を眺めていた。
一昨日、ダンス部の練習をサボった。
金曜日にアタシがAチームに選ばれてから、トモとミキがよそよそしくなった。
ダンス部の他の子がいる前ではいままでと変わらなく振る舞うのに、いない時はアタシを無視することが増えた。
ふたりだけでコソコソ話し、アタシは仲間に入れてもらえない。
日曜日にあかりから自主練に誘ってもらっていたのに、アタシは行けないと連絡した。
月曜日にトモとミキがアタシの前で今日は練習に行かないと言った。
試されていると思った。
ふたりは特に何も言わなかったけど、アタシが練習に行けばもう友だちではいられないのだと感じた。
だから、ふたりと一緒に帰った。
夜はお腹が凄く痛くなって、お母さんに救急病院に連れて行ってもらった。
昨日は学校に行きたくなかった。
でも、休むのも怖くて重い足を引きずりながら登校した。
トモとミキは普段通りって感じでホッとした。
休み時間や放課後には副部長や他のダンス部の子がやって来て色々と話をした。
あ……、話をしたというのは正確じゃない。
アタシはほとんど何も話せなかった。
沈黙の時間が長くて辛かった。
副部長はアタシが押し黙るとすぐに解放してくれたけど、1年生部員の中にはアタシを問い詰めるような子もいた。
気が付くとホームルームが終わっていて、教室は閑散としていた。
いつもならトモやミキが「帰るよ」だとか「部活行くよ」だとか声を掛けてくれるのに、ふたりの姿もすでになかった。
……どうしよう。
今日はダンス部の部活がある。
でも、声を掛けてくれなかったということは、トモやミキは今日も行かないつもりなのだろう。
アタシはどうしたらいいか分からなかった。
外は明るく、陽の光が降り注いでいる。
それを浴びる窓際は暖かかった。
しかし、いつまでもここに座っている訳にはいかない。
帰るか、部活に行くか決められないまま、とりあえず教室を出る。
廊下は凍えるほど冷たかった。
悲しくてたまらなかった。
ひと気のない廊下で立ちすくみ、アタシはむせび泣いた。
立っていられなくなり、しゃがみ込んでしまう。
膝に頭をつけ、目を閉じ、泣き声を漏らす。
涙は止まらず、泣き声は助けを求めるように徐々に大きくなった。
本当に誰かに助けて欲しかった。
だけど、人の気配はしても、誰も声を掛けてくれなかった。
どれくらい経っただろう。
寒すぎて風邪を引きそうという思いが頭を過ぎり、それをきっかけに涙は少し収まった。
アタシは周りに人がいないことを確認してから立ち上がり、フラフラとトイレに向かって歩き始めた。
顔を直したいということよりも、生理的な現象を解決する必要に迫られたのだ。
用を済ませてトイレの個室から出ると、ちょうどトイレに入ってきた子と目が合った。
知った顔だった。
でも、なんでこんなところにいるのかが不思議だった。
向こうもアタシに気付き、眉間に皺を寄せてアタシの顔をジロリと見る。
「あなた、ダンス部の1年生だったわよね?」
アタシが頷くと、「なんでこんなところにいるの?」とアタシが抱いた疑問と同じことを彼女が言った。
何と答えていいか分からなくて、「藤谷さんは?」と疑問を疑問で返してしまった。
彼女は不機嫌そうに「ちょっとね……」と言葉を濁した。
「そんなことより、あなた酷い顔よ」と藤谷さんは突然話題を変える。
泣き腫らしていたので自分でも分かっていたが、面と向かって言われるとグサッときた。
アタシは慌てて洗面台の鏡の前に向かい、怖々と鏡をのぞき込んだ。
確かに酷い顔だった。
藤谷さんはアタシに目もくれず、個室に入っていった。
彼女が用を足して出て来るまで、顔を洗ったり目元に濡れたハンカチを押し立てたりとアタシなりに努力したがあまり改善できなかった。
手を洗うついでにアタシを見た藤谷さんは眉をひそめて「これあげるわ」と自分のポーチから未使用のマスクをくれた。
「ありがとう」と言って受け取り着用する。
充血した目元は変わらないものの、赤くなった鼻の頭が隠れるので少しはマシになったようだ。
彼女はトイレを出る手前で振り向き、「それで、あなた練習はどうするの?」と尋ねた。
アタシは藤谷さんの方を向き、答えようとしたのに言葉が出て来ない。
口を開いた状態で固まってしまう。
それを見た藤谷さんは「その顔じゃ来ても無駄ね。そう言っておくわ」と言ってさっさと出て行った。
アタシは肩を落とした。
いや、肩の荷が下りたというのが本音だったかもしれない。
自分で決められなかったことを誰かに決めてもらってホッとしたというのが正直な気持ちだった。
藤谷さんは秋田さんと一緒で、ダンスは上手いけど口が悪くて1年生の間で嫌われている。
藤谷さんは「特別扱い」でこれまでずっと2年生と一緒に練習していた。
他の1年生部員と関わることは少なく、アタシは話したことすらなかった。
廊下に出ると、もう彼女の姿は見えなかった。
急いで練習に向かったのだろう。
それがとても羨ましく思えた。
アタシはまだ明るい中を、余計なことを考えないようにただ黙々と足を動かして家路を急いだ。
††††† 登場人物紹介 †††††
本田桃子・・・1年4組。ダンス部。特例でAチームに抜擢された。愛称はももち。
三杉朋香・・・1年4組。ダンス部。Bチーム。愛称はトモ。
国枝美樹・・・1年4組。ダンス部。Bチーム。愛称はミキ。
島田琥珀・・・1年1組。ダンス部。Bチーム。両親が関西出身で関西弁を話す。3組ほどではないが、1組も問題のある生徒が多く、「勘弁してえな」と思っている。
藤谷沙羅・・・1年1組。ダンス部。Aチーム。1組の女子はまとまりに欠け、沙羅はそれほど浮いた存在にはなっていない。
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