第247話 令和2年1月8日(水)「迷い」日々木陽稲

 今日は3学期の始業式。

 朝は冷たい雨が激しく降り、凍えるような寒さの令和2年の登校初日となった。

 微熱が続いていた可恋は当然のように欠席し、教室では彼女の不在はいつものこととして受け入れられていた。


「どう、具合は?」


 夕方になってから、わたしは可恋の家にお見舞いに行った。

 同行してくれたお姉ちゃんは早速キッチンに立っている。


「ぼちぼちってところね」


 可恋はベッドで上体を起こしてそう答えた。

 部屋着姿の可恋はやつれた印象こそないが、少し気怠そうだった。


「いまお姉ちゃんが夕食を作っているよ。食べられそう?」と伝えると、可恋は頷き、「いつもありがたいわ」と微笑んだ。


「大阪にいた時は寝込むと祖母が来てくれたけど、引っ越してからはひとりでの食事だから食べるのが億劫で……」


 こんな可恋の言葉を聞くと、毎日家族で食卓を囲むことができるわたしは幸せなんだと実感する。

 可恋自身は自分は恵まれている方だと話すが、寂しい気持ちは絶対にあるはずだ。


「今日は寒かったよぉ!」


 わたしは声を張り上げ、なるべく明るく振る舞う。

 可恋の体調が悪い時こそ、わたしが元気でないと。


「みたいだね。雨もひどかったんでしょ?」


 可恋の部屋は暖かさに包まれ、外の喧噪はまったく入ってこない。

 まるで天国のような場所だが、病室のように思ってしまうのは先入観のせいだろうか。


「お昼には収まったけど、嵐みたいだったのよ。今日まで冬休みだったら良かったのに」


 みんな真面目に登校していたが、この天候を嘆く声は多かった。

 可恋だったら、たとえ元気でもずる休みしていただろう。


「そんな天気の日に、ただ始業式のためだけに行くなんて大変だね」と可恋は他人事みたいに話す。


「でも、久しぶりにみんなと会えるから」とわたしは反論する。


 可恋ならインターネットで繋がればいいじゃないと言い出すかと思ったが、「そうね」と少し寂しそうに微笑んだだけだった。


「それで、みんなは元気そうだった?」


「うん、マスク姿は多かったけど、体調が悪そうな子はいなかったかな」


 うちのクラス、特に女子は、筋トレの成果なのか風邪で休む生徒が少ない。

 文化祭後も続けている生徒がどれほどいるかは分からないけど……。


「ダンス部は気合いが入っている感じだったし、塚本さんや千草さんはホームルームが終わると廊下へ飛び出して行ったし、ただ……」


 わたしが言い淀むと、可恋はわたしの目を見て急かさずに言葉の続きを待った。


「高木さんのところがギクシャクした感じだったのよ……」


 わたしが見た限りでは高木さんと伊東さんの間が少しおかしかった。

 ケンカしている訳ではなさそうだが、最近はかなり仲が良くなってきていただけに、以前に戻ったかのようで気掛かりだ。


「しばらく様子見かな」と可恋はさほど心配する素振りもなく言った。


 高木さんならもし手に負えなくなったら相談してくれるだろうとわたしも思う。

 人間関係にトラブルはつきものだし、些細なトラブルで他人がしゃしゃり出て口を挟むのは余計なお世話と言えるだろう。


「そうだね」とわたしは同意し、様子を見守ることはしっかり続けようと心に刻んだ。


 男子のことなど、クラス内の他の出来事を報告し終わった頃に、お姉ちゃんが呼びに来た。

 夕食の準備が整ったらしい。

 可恋はいつもよりは身体が重そうに見えるが、しっかりした足取りで歩いていた。

 手洗いなどを済ませて食卓に戻って来た可恋は普段通りに見えた。


「見取れてないで席に着いて」と可恋がわたしに笑いかける。


 どうしても心配して彼女の一挙手一投足を目で追ってしまう。


「今日の可恋が美人だったから、ついね」とわたしは笑い返した。


「熱々の会話もいいけど、熱々の料理が冷めないうちに食べてね」とお姉ちゃんは何とも言えないような表情でわたしたちに声を掛けた。


 食事中の話題は、わたしの従妹である香波ちゃんたちのことだった。

 土曜日に札幌から来た彼女たち家族は月曜日に東京で買い物をしたあと、TDLに一泊し、昨日無事に帰宅したと連絡があった。

 東京での買い物にはわたしも付き合い、別れ際にはまたも泣かれそうになった。

 またすぐ会えるよと言いたかったが、高校受験が控えているので夏に行けるかどうかは分からない。

 昨年は三回も札幌に行ったが、それはかなりイレギュラーなことだった。


「これまでは2、3年に一度札幌に行っていたから、次は高1の夏かなあって思うけど、先のこと過ぎてピンと来ないよね」


「その時、わたしは高3かあ……」


 わたしの言葉を聞いたお姉ちゃんが溜息とともにそう呟いた。

 お姉ちゃんは大学進学か専門学校に進むかで迷っているそうだ。


「お金と時間、それに行きたい気持ちがあるなら行けるんじゃない」と可恋は簡単に言う。


 長期休暇は父方の祖父である”じいじ”の家に行くのが慣わしとなっているが、夏休みであれば他のところへ行く時間は取れるだろう。

 それに、”じいじ”の家に行くのは被服費を出してもらっていることへのお礼や義務感が強いが、札幌の親戚は慕ってくれる従妹たちに会いたい気持ちが強い。

 もちろん、”じいじ”には大変感謝している。

 それでも、どちらで過ごすか選べるのなら迷わず札幌と答えるだろう。


「可恋は夏休み、どうするの?」


 去年、可恋が札幌に行ったのはたまたまそこで空手の大会があったからだ。

 わたしが香波ちゃんたちに会いたいからといって、可恋について来て欲しいと願うのは筋違いのように思う。


「今年はオリンピックがあるし、全中にも顔を出すと思う」


「出るの?」とわたしは尋ねる。


 当たり前だがオリンピックではなく全中の方だ。

 オリンピックは彼女の憧れの選手であり、知り合いになった神瀬こうのせさんが代表に内定しているので、観戦に行くことが決まっている。

 一方、空手の中学生の全国大会である全中は可恋の出場を望む声がある。

 彼女の通う空手道場の師範代や、昨年の全中準優勝者が強く望んでいる。

 彼女が所属するNPOのアピールにもなると師範代は出場を勧めていた。


「……」


 可恋は珍しくはっきりと答えず、純ちゃんのように小首を傾げた。

 自分で決めるのは面倒なので、周りの誰かに決めて欲しい時の顔付きによく似ている。

 もし可恋が出場するのなら、わたしは万難を排してでも観戦に行く。

 だから、出場するかどうか可恋らしくパパッと決断して欲しいと思うのだが、「決められない時は、じっくり自分の想いに耳を澄ませるといいんじゃないかな」とわたしは言った。


 純ちゃんがいまのスイミングクラブに移る時もこんな顔をしていた。

 それまで純ちゃんが決められない時はわたしが代わりに決めていた。

 でも、この時はお父さんから注意された。

 とても大切な決断だから、純ちゃん自身が決めないといけないと。

 辛抱強く見守ってあげることが友だちの役割なんだと。


 何事にも即断即決する可恋が迷っているんだ。

 わたしはにこやかに微笑み、可恋を支えようと決意した。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学2年生。お金と時間、行きたい気持ち、それに、可恋の存在が揃わないと札幌行きは難しそう。


日野可恋・・・中学2年生。空手、形の選手。大会への出場を拒んでいたが、拒み切れなくなりつつある。


日々木華菜・・・高校1年生。陽稲の姉。調理師や栄養士が将来の目標。


里中香波・・・小学6年生。札幌に住む陽稲の従妹。間もなく中学受験を迎える。


安藤純・・・中学2年生。陽稲の幼なじみ。競泳の選手。高校の進学先を決めるためにも結果が求められている。

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