第238話 令和元年12月30日(月)「嫁」日々木華菜
「やっぱり女の子はいいわね。こうしてお手伝いができて」
「うちの愛花は勉強が忙しくてさっぱりよ」
北関東にある祖父の家に例年通り親戚一同が集まっている。
年末、祖父の息子三家族に割り当てられるのが正月のおせち料理作りだ。
お祖母ちゃん指導の下で”我が家の味”を守るよう求められている。
去年までわたしの家からはお父さんが参加していた。
お母さんは仕事があるし、他の家族からの風当たりが強いという理由もあって大晦日にこちらに来るのが常だった。
そのおせち作りに今年はわたしが参加した。
「いまどきの男の子は料理もできないとなんて言うけど、やっぱり勉強が本分だものね」と話すのは次男の嫁である絵美子伯母さん。
「そうよねえ。なんだかんだ言ったって、良い大学に入って、一流企業に就職するのがいちばんの幸せだものねえ」と相づちを打つのが長男の嫁である花江伯母さんだ。
自分たちの子どもをそれなりの私立に通わせているという自慢と、公立高校に通うわたしへの当てつけが感じられる。
「華菜はえっれえ上手だのぉ」とお祖母ちゃんはわたしの料理の腕をニコニコと笑顔で褒めてくれるが、息子の嫁たちに厳しく言うような人ではない。
他の家族がわたしたち家族にきつく当たるようになったのはヒナが生まれてからだと聞いている。
一代で地元の名士にまで上り詰めた祖父は自分の三人の息子には厳しく、大学を出るまでは金を出すけど大学を卒業したあとは自分ですべて稼げという人だった。
財産も子どもには残さず、地元に寄付すると常々語っていた。
それがヒナが生まれたことで一変した。
自分とよく似たロシア系の容姿を持つヒナを養女にすると言い出し、それを両親に断られてからも多額の被服費を出す見返りに定期的にヒナを連れてくるようにというルールを作った。
彼女のクローゼットには一般人の女の子の数十倍の衣装が並び、どれもが高級品と言っていいものだった。
他の二家族がこれを面白くないと感じるのは当たり前だが、それを決めた祖父よりも贔屓されるヒナに敵意が向くことは仕方ないで済まされる問題ではない。
お盆と正月は親戚一同が集まるのが恒例であり、わたしたち家族はヒナを守るという強い意識を持って祖父宅を訪れるようになった。
わたしは従兄弟たちからヒナを守ることを使命のように感じていたし、無事に守れたことを誇りに思っている。
「お母さんが仕事熱心だと家事までやらされて大変でしょう」と絵美子伯母さんは気遣ってくれるが、わたしの母をディスる気持ちが見え見えだ。
「そうよねえ、下の子って頼りないから、周りも苦労するのでしょうね」と長男の嫁で専業主婦の花江伯母さんがおっとりとした口調で応じた。
しかし、これはうちの家族だけを揶揄した言葉ではない。
案の定、絵美子伯母さんもムッとした表情になった。
「それにしても絵美子伯母さんの髪は艶やかですね。何か秘訣でもあるのですか?」と割って入ったのはヒナだ。
最初はわたしひとりで参加するつもりだったが、ヒナが付いていくと言い張った。
お父さんは大勢の訪問客とのつき合いがあるのでヒナに構ってあげられない。
家族の部屋にひとり残すのは心配だったが、ここで伯母さんたちから嫌味を言われるのも心配だった。
結局、ヒナの希望を受け入れ、わたしの手伝いをしてもらうことになった。
ヒナの天使のような笑顔はどんな人の心でも蕩けさせる魅力に満ちたものだが、それでも最初から敵意や悪意があれば通じないとヒナは言う。
だから、これまでヒナは親戚たちとの接触をできる限り避けていた。
ヒナがついて来ると言ったのは驚きだった。
おそらく可恋ちゃんの影響があるのだろうとわたしは思う。
「花江伯母さんは肌がツヤツヤですね。うちの母が肌荒れに困っているのでアドバイスをいただけますか?」だとか、「絵美子伯母さんの手際の良さが素敵です!」だとか、「花江伯母さんの料理は見映えがとても意識されていて美しいです!」だとか、ヒナはひたすら褒めまくった。
お世辞だと分かっていても褒められて悪い気はしない。
ヒナは少し大げさなくらいに褒めている。
刺々しさが和らいだとホッとしていたら、花江伯母さんが何かを閃いたように大きな声を上げた。
「そうだわ! 陽稲ちゃんは良い子だから、うちに嫁に来ない?」
わたしは驚きのあまり手に持った食材を落としてしまった。
包丁を扱っている時でなくて助かった。
「あら、それならうちの子の方が歳が近いわ」と対抗するように絵美子伯母さんが口にする。
ヒナは困り果てたように眉をひそめてわたしを見た。
助けたいところだが、わたしも想定外のことにうまく言葉が出て来ない。
確かにいとこ同士なら結婚できるし、ヒナを嫁に迎えれば祖父の財産が手に入るかもしれないが……。
「おめーさんら、無体なこと言って子どもを困らすんじゃない」
お祖母ちゃんがピシャリと言ってくれた。
孫の前では優しい顔しか見せない人だが、眼光鋭く、さすがあのお祖父ちゃんのパートナーだと納得するものがあった。
「別に困らせるつもりなんて……」と言われたふたりは小声で呟いているが、この話を蒸し返す気はなさそうだ。
ただふたりの様子を見る限り、このアイディアを捨てたようには思えないので、お父さんに報告しておいた方が良いだろう。
困惑した気持ちは拭い切れていないようだが、ヒナはお祖母ちゃんに笑顔で感謝を伝えている。
わたしがヒナを慰める言葉を探していると、「こんなところにいたんだ」と愛花さんが現れた。
彼女はわたしと同学年のいとこで、父方のいとこは彼女以外は全員男子だ。
小学生の頃は親同士の関係もあってわたしたち姉妹と対立していたが、中学生以降は男子といるよりわたしたちといることを好むようになった。
しかし、祖父宅以外では連絡を取り合ったりしない微妙な関係でもあった。
「愛花さんもお手伝いする?」とヒナが聞くと、「えー」と嫌そうな気持ちをハッキリ顔に出した。
それでも退屈なのか台所から去ろうとしない。
わたしが料理をしているところを眺め、口にしたセリフは「男の人って料理ができる人が良いのかな……」というものだった。
「どうだろう……」とわたしが苦笑すると、「華菜ちゃんはいつでもお嫁に行けるわね。愛花も花嫁修業は必要よ」と彼女の母親である花江伯母さんがさっきとは違うことを言い出した。
愛花さんは顔を歪めたあと、「いいもの、わたしはわたしのために料理を作ってくれる人と結婚するから」と答えたが、気持ちは揺らいでいるように見えた。
「少しはできた方がいいんじゃない」とわたしが微笑むと、「そうね、少しはね」と彼女は頷いた。
しかし、すぐには覚える気はないようで、おせち作りを見るよりもヒナとのお喋りを優先させている。
自慢話が鼻につく時もあるが、最近はヒナに対して攻撃的なことを言わないので安心していられる。
「愛花さん、夏よりもスッキリ締まった感じだよね」
「よく言われるのよ」と愛花さんはヒナの言葉に満面の笑みを浮かべている。
「筋トレとか続けているんだ」とヒナが感心すると、「可恋ちゃんの教え方が良いからね」と答え、今度はヒナの顔が嬉しそうにほころんだ。
「彼女が来ていないのが残念だわ」と愛花さんは嘆いて、「二の腕のトレーニングを直接指導して欲しかったのに……」と専属のインストラクター扱いしているようだった。
「残念だよね」とヒナも同意している。
可恋ちゃんを誘わないことはヒナが自分で考えて下した決断だが、それでも寂しいようだ。
昨日もバレーボール選手の篠原さんとのツーショット写真が送られてきて、それを見たヒナは「浮気してる!」と声を荒らげていた。
あー、伯母さんたちの”うちの嫁に”発言は可恋ちゃんにも伝えておいた方がいいかなあ。
でも、言葉を選んで伝えないと殴り込んで来かねないかも……。
そう思って、わたしはクスッと笑った。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木華菜・・・高校1年生。日々木家三男の長女。料理が趣味。
日々木陽稲・・・中学2年生。華菜の妹で、”じいじ”に溺愛されている。
日々木花江・・・日々木家長男の嫁で専業主婦。愛花の母。愛花の上ふたりは男の子。
日々木絵美子・・・日々木家次男の嫁。パート勤務。子どもはふたりとも男の子。
日々木愛花・・・高校1年生。東京の私立高校に通っている。夏に可恋と知り合い、時折連絡を取っている。
日野可恋・・・中学2年生。陽稲の親友。現在、母の実家の大阪へ帰省中。
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