第225話 令和元年12月17日(火)「振り回されるわたし」矢口まつり

「それでは第10回日々木先輩を闇の魔手から救い出す作戦会議を始めます」


「え、え、えー」とわたしは慌てふためいた。


 今日の手芸部は2年生の先輩がお休みで、顧問の先生も遅れるという話だった。

 だから、いま家庭科室にいるのは部長の朱雀ちゃんと副部長の千種さん、それにわたしの3人だけだ。

 そんな中、部活中は真面目な朱雀ちゃんが重々しい顔付きで突然会議の開始を宣言した。


「ダメだよ、まつりちゃん。ちゃんとついて来てくれないと」と朱雀ちゃんは言うけど、「10回目なんですか?」と聞くと「過去9回はあたしの頭の中でやったから」なんて話すのだからついて行くのは難しい。


「”怖い先輩”についていろいろ調べてみたんだよ」と朱雀ちゃんはわたしに話し掛ける。


 でも、わたしはその”怖い先輩”にほとんど会ったことがないので「はぁ」と頷くしかない。

 いつもなら聞き役に回るはずの朱雀ちゃんの親友の千種さんは、最近フェルト細工にハマっていて一心不乱に作業をしている。

 なんでも勇者が竜騎士にクラスチェンジするための子竜を作るという話だ。

 千種さんは手先は器用なのに絵心がないのか、いまのところ正体不明の生き物らしきものにしか見えなかった。


「あの先輩は頭がめちゃくちゃ良くて、生徒会を裏から操っているのは間違いないみたい」


 わたしが千種さんに気を取られている間も朱雀ちゃんは話題の人物について語っていた。

 今日は休んでいるふたりの2年生部員はとても優しい先輩たちだけど、それでもわたしは先輩というだけで緊張してしまう。

 朱雀ちゃんは怖くないのだろうか。


「弱点は病弱なところみたい。最近よく休んでいるんだって。攻めるとしたらそこだよね」


「でも、もうすぐ冬休みだよ」とわたしが言うと「そうだよー、冬休みだよー」と朱雀ちゃん突然机に突っ伏した。


「クリスマスパーティ、やりたいね」と朱雀ちゃんが突然話題を変える。


 机から起き上がり頬杖をついて、「日々木先輩、来てくれないかな」と切なそうに言った。

 その仕草が意外と乙女っぽくて、微笑ましく見ていたら、「ねぇ、ねぇ、何か良いアイディア、ない?」とわたしに聞いてくる。

 そんなものがわたしにあるはずもなく、わたしはぶんぶんとかぶりを振った。


「だよねー。ちーちゃんはどう?」と朱雀ちゃんが千種さんを見る。


 千種さんは顔を上げずに「ない」と答えた。

 フェルト作りに没頭していてもちゃんと話を聞いていたとは凄い! と感動していると、千種さんは顔をひょいと上げて、「何の話?」と朱雀ちゃんに問い掛けた。

 朱雀ちゃんは心得たもので、そんな千種さんに動じることなく説明し出した。


 千種さんはほんの少し考えてから、「ない」と答えて再び視線を手元のフェルトへと落とす。

 言われた朱雀ちゃんは頭を抱えて悩んでいた。

 わたしは何か言った方が良いかなと思い、「とりあえず、来てもらえるかどうか聞いてみるのはどうですか?」と提案してみる。


「それだ!」と朱雀ちゃんが立ち上がる。


「行こう、まつりちゃん」と言うが早いか、まだ座ったままのわたしの袖をつかんで引っ張ろうとする。


「わ、わたしも行くんですか?」と焦って尋ねると、「ちーちゃんは作業中だから」と部長が言った。


 いや、わたしも編み物の真っ最中なんですけど……。


 そんな抗議の声を発する前に、わたしは引きずられるように部室から連れ出された。


 2年生の教室にはほとんど生徒は残っていなかった。

 それでも、教室の扉を開けて中を覗き込む朱雀ちゃんの勇気は凄いと思う。

 わたしなんて2年生の教室に近付いただけで心臓がバクバクいっているのに……。


「残念。いないね」と朱雀ちゃんがわたしに言う。


 部活のない生徒はもう下校している時間だろう。

 わたしは上級生と話をせずに済んだと胸をなで下ろす。


「家まで行ってみようか」


 朱雀ちゃんの言葉に、わたしは驚きのあまり「え、え、えー」と悲鳴を上げ、ひっくり返りそうになった。

 朱雀ちゃんは中学校に入学早々、1年生の身でありながら手芸部を作った行動力の持ち主だ。

 多少というか、かなり強引なところはあるけど、わたしはそんな彼女に憧れる気持ちがあった。

 しかし、そんな彼女に巻き込まれるように手芸部に入部し、その後もいろいろと大変な目に遭った。

 今回も、このままだとその二の舞になってしまいそうだった。


「え、えっと、ち、千種さんのところに戻らないと!」


 一見真面目な美少女の千種さんだが、原田さんが暴走しかかった時にはあまり頼りにならない。

 なぜなら、彼女はブレーキ役というより、背中を押すアクセル役になることが多いからだ。

 そうと知りつつも、いまのわたしが当てにできるのは彼女しかいなかった。

 朱雀ちゃんと千種さんのふたりで行ってくれるといいなと淡い期待を寄せつつ家庭科室に戻った。


 部室ではわたしたちが出て行った時とまったく同じ姿勢で千種さんがフェルトを扱っていた。

 彼女が目指しているものに近付いてはいるようだが、いまだ正体不明の生き物である。

 その集中力をもっと有意義なことになんて、わたしには口が裂けても言えない。


「日々木先輩、もう帰ったみたい。でね、早く確認した方がいいと思うのよ。大事なことだからちゃんと面と向かって。だからね、ご自宅まで伺おうかなって」


 朱雀ちゃんは早口でまくし立てるように説明した。

 千種さんは手を止め、首を傾げる。

 部長を止めて欲しいというわたしの願いも虚しく、「ふたりで行って来て」と言って視線をフェルトに向けた。

 わたしは崩れるように椅子へ寄り掛かり、脱力してしまう。


「あ、でも、ちゃんと連絡してから行かないとダメだよ」と最後に千種さんにしては珍しくまともな発言をした。


「そうだね、ちーちゃん」と早速朱雀ちゃんがスマホを取り出した。


 こちらからではその画面は見えないが、何か文字を打ち込んでいた。

 そして、手が止まる。

 わたしは死刑執行を待つ気分だった。

 わたしのそばに編みかけの毛糸が見えたが、手に取る気にもならない。

 お願いだから断りの返信が来て欲しいとわたしはひたすら神様に祈った。


 時間だけが過ぎていく。

 スマホの画面をずっと見ていた朱雀ちゃんは飽きたのか手芸雑誌を手に取り読み始めた。

 千種さんはフェルトで何か分からないものを黙々と作り続けている。

 わたしはもう帰っていいかなと思いながら席を立てないでいた。


 沈黙の時間が続き、わたしはようやく帰る準備を始める。

 朱雀ちゃんはそんなわたしをチラッと見ただけで何も言わない。

 よし帰るぞと鞄を持ち、立ち上がったところで部長のスマホからチャイムの音がした。

 素早く朱雀ちゃんが自分のスマホを手に取り、画面を眺める。

 その表情が笑顔に変わった。

 ダメだ、逃げそびれた。


 わたしが逃げ出すよりも、部長が口を開くよりも早く、家庭科室の扉が開いた。

 室内の三人が一斉に視線を向ける。

 そこにいたのは顧問の橋本先生だ。


「みなさん、熱心ですね」と先生が声を掛ける。


 正規の終了時間まで10分ほどあるものの、ある程度切りの良いところで終わってもいいことになっている。

 わたしはゴミが散らばっていないことを確認してから、「わたしはこれで」と席を立つ。

 これで帰れるとホッとした瞬間、「じゃあ、あたしも」という部長の声がした。

 やっぱり帰るのをやめますなんて、わたしに言えるはずがなかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


矢口まつり・・・1年4組。たまたま朱雀の部員集めで目を付けられ強引に入部させられた。引っ込み思案な性格。


原田朱雀・・・1年3組。手芸部部長。手芸への熱意は確かなものだが、思い付きで行動することが多い。


鳥居千種・・・1年3組。手芸部副部長。成績優秀で見た目も可愛いのに言動が意味不明で変人扱いされている。


橋本風花・・・家庭科の担当教諭で手芸部顧問。一部の生徒からハッシーと呼ばれる。堅物として知られる。


日々木陽稲・・・2年1組。朱雀や千種から光の女神様と崇められている。


 * * *


【朱雀視点】


 待ち合わせ場所である学校の正門前で待っていると、ほどなく近くのマンションから日々木先輩が現れた。

 よく一緒にいるとても大きな先輩とふたりだけだった。

 あの”怖い先輩”はいない。

 あたしはチャンスだと意気込んで、先輩に駆け寄った。


「こんにちは! お呼び立てして申し訳ありません。来ていただいてありがとうございます」


 あたしが頭を下げると、日々木先輩はとても優しい笑顔を向けてくれた。

 今日は午前中は雨が降っていたが、先輩の笑顔が雨雲を吹き飛ばしたと言われても信じてしまいそうだ。


「それで、お話って?」とあたしとまつりちゃんに挨拶をしてから日々木先輩が上品に質問した。


「クリスマスなんですが……」とあたしはパーティを計画していることを伝える。


「ごめんなさい」と日々木先輩が頭を下げた。


「いえ、突然お誘いしたあたしが悪いんで、先輩が頭を下げることじゃないです!」とあたしが土下座するような勢いで謝るとニコリと微笑んでくれた。


「それじゃあ、またね」と家路につく日々木先輩の後ろ姿が見えなくなるまであたしは手を振り続けた。


 あたしの背後に隠れるように立っていたまつりちゃんはホッとした表情をしている。


「わたしもこれで」と帰ろうとした彼女の腕をあたしは咄嗟につかんだ。


「あのマンションに例の”怖い先輩”がいると思うんだ。突撃しよう!」


 まつりちゃんがフラフラと倒れる。

 あたしが腕をつかんでいたから良いようなものの、下手をしたら頭を打つところだ。


「どうしたの? しっかりして、まつりちゃん!」

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