第223話 令和元年12月15日(日)「オープンスクール」日々木陽稲

 パールホワイトのミンクのジャケットはわたしが持っている衣類の中でもいちばんの高額だ。

 それを鮮やかな赤のドレスの上に着て、頭には白いファーのロシア帽、髪は縦ロールにバッチリ仕上げている。


 可恋からは「ひぃなの被服費の感覚は一般人と比べて一桁、普通の中学生と比べると二桁違うから気を付けるように」と言われているが、「良いものを着ないとセンスは磨けない」という”じいじ”の言葉に従っているだけだ。

 当然、可恋にもわたしと釣り合う服装が求められるので、わたしは可恋のお母さんの陽子先生を口説き落として可恋の洋服代を増やしてもらった。

 それなのに可恋は高い高いと連発して、なかなか自分の服を買ってくれないのだから困ったものだ。


 今日の可恋は仕立てた紺のスーツの上にネイビーのトレンチコートと無難の極みである。

 品質は悪くないが、私が赤いコートを勧めたのに本当に嫌そうな顔をしてこちらを選んだ。

 わたしが女の子なんだからと言っても、もう男でいいと言う始末だ。

 キャシーのように上下スウェットで現れるというオシャレとは無縁の存在だとどうしようもないが、可恋はオシャレしようと思えばできるのだからもっとチャレンジしないとダメだ。


 今日は東京のインターナショナルスクールに来ている。

 キャシーがこの秋から通い始めた学校だ。

 オープンスクールということで、屋台が出ていたり、子ども向けのイベントがあったりして、そこそこの人出があった。


「みんな、普通の服装なんだから、キャシーより私たちが浮いてると思うよ」


「目立っていいじゃない」とわたしは可恋に言葉を返す。


 確かに服装ではわたしたちは注目を浴びていたが、さすがに様々な人種の生徒や大人がいる中ではそこまで目立っていると感じなかった。

 日本人の中にいると地味な服装をしていても目立ってしまうので、わたしにとってはこちらの方が不躾な視線を浴びずに済む。


 キャシーはなぜか人の少ない場所ばかり案内しようとするので、可恋に叱られしょげている。

 カトリーヌがいたので彼女に案内してもらうことになった。

 まだ小学生に当たる年齢だがとてもしっかりしている子だ。

 母国語はフランス語だが、英語も日本語もかなり話すことができる。

 見た目は歳相応の可愛らしい黒人の女の子だ。


『今日はリナは来ていないの。キャシーも来ないと思っていたわ』


『カレンとヒーナを案内するために来たんだ』とキャシーは胸を張るが、『キャシーよりしっかりしてるなんて言っても褒め言葉にならないかもしれないけど、こうして案内してくれて感謝してるよ』と可恋が皮肉を交えてカトリーヌに言った。


 どうやらこの皮肉はキャシーには通じなかったようで、可恋は肩をすくめていた。


『わたしはファッションデザイナーになりたいと思っているから、フランス語も勉強したいの。カトリーヌは三ヶ国語も話せるなんて素晴らしいわ』とわたしが褒めると、「メルシー」とカトリーヌははにかんだ。


 お昼ご飯は済ませてきたけど、屋台からは良い匂いが漂ってくるし、キャシーは息つく暇もなく何かを買って食べている。

 その美味しそうな食べっぷりに、わたしの食欲がそそられる。

 しかし、この服装で屋台の食べ物は危険すぎる。

 わたしのそんな思いを察した可恋が、スタッフと交渉して子供用の前掛けを持って来てもらった。


「うー……食べたいけど、その前掛けを付けるのはすっごく抵抗があるよ……」とわたしは唸る。


 ミンクのジャケットを持ってくれた可恋は苦笑を浮かべ、『ちょっとオシャレにしすぎたね』と言ってカトリーヌを笑わせている。

 目の前には熱々のおでんが入った皿があり、たまらない匂いがわたしの鼻をくすぐる。


『可恋は食べないの?』と聞くと、『余ったらもらうよ』と答えた。


 その横で、『食べないんだったらワタシが食べてやるよ』と食い意地の張ったキャシーがかなり本気で言う。

 ここはキャシーが先ほど案内してくれたひと気のない場所だから、可恋たち以外の視線はない。

 だが、わたしの美意識が許さなかった。

 わたしは崖から飛び降りる覚悟で低学年用の前掛けを身に付けた。

 服を絶対に汚さないオシャレなエプロンをなぜ誰も発明してくれないのかと、わたしは過去の全人類を呪った。

 それでもドレスに汁が飛ばないように恐る恐る大根を囓る。

 あったかくて、味が染みて、とても美味しい。


「……美味しい」と顔を上げて可恋を見ると、彼女はハラハラした感じでわたしを見ていた。


 つい食べることに夢中になり、汁が零れそうだった。

 わたしは慌てて食べかけの大根を皿に戻し、しっかりと皿を持つ。


『もう少し危険度の低い食べ物の方が良かったね』と可恋は言うが、わたしはこのおでんが食べたかったのだ。


 結局、大根とちくわぶを食べ切って、残りを可恋に渡す。

 可恋は前掛けなしでも器用に危なげなくおでんを食べていた。

 可恋は握力や身体感覚がすぐれていれば問題ないと話すが、キャシーのスウェットは食べ物のシミが結構ついているので可恋の言葉は疑わしいかも。


 食べ終わると、ゴスペルコンサートが行われるフロアへ向かう。

 すでにかなりの人が見物に集まっていた。

 可愛らしい服を着たシャロンがわたしたちを見つけて駆け寄ってきた。


『よく来たわね』


 シャロンは可恋を見て仇敵に再会したような視線を送る。


『招待してくれてありがとう。コンサート、楽しみにしてるよ』と可恋は微笑みを浮かべて挨拶した。


 可恋の丁寧な言い回しにシャロンも言葉遣いを改め、『来てくれて感謝するわ。今日は楽しむといいわ』と誇らしげに語った。


『わたしも楽しみにしているわ』とわたしが言うと、シャロンはわたしの姿を凝視し、『素敵な衣装ね。よく似合っているわ』と褒めてくれた。


 わたしがニッコリと微笑んで『褒めてくれてありがとう』と感謝すると、ドギマギした様子で『あなたたちはキャシーと違って真っ当な振る舞いができるのね』とシャロンがキャシーをひと睨みしてから零した。

 キャシー基準なら誰でも真っ当に見えるだろう。

 可恋は『いまキャシーを教育してるところだから、シャロンも協力してね』とこの難事業に巻き込もうとした。

 シャロンは返事をする前に、コンサートが始まると呼ばれて戻って行った。


 生で見るゴスペルは圧巻だった。

 上手いかどうかではなく、ものすごい熱量を感じた。

 まるで室内の温度が急激に上がったかのようだ。

 勝手に自分の身体が歌に合わせて動き出し、心も揺さぶられた。


「……すごい」


 わたしは可恋の腕にしがみつき、そう呟きを漏らした。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学2年生。ロシア人のような外見の美少女。裕福な祖父に衣装代を提供してもらっている。


日野可恋・・・中学2年生。黒髪ショートヘアの和風美少女。普段は男性っぽい服装が多い。


キャシー・フランクリン・・・14歳。G8。7月に来日して以来、空手を習っている。


カトリーヌ・エイベア・・・G6。小学6年生相当。アフリカ系フランス人。同じ歳の白人のリナと仲が良い。


シャロン・アトウォーター・・・13歳。G8。キャシーの同級生で、黒人の女子グループのボス。

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