第216話 令和元年12月8日(日)「驚き」日々木華菜

 高校は2学期の期末テスト直前だ。

 わたしは中学時代だいたい平均点くらいを維持していた。

 高校受験はかなりやる気を出し、なんとか平均より少し上のところに入学できた。

 入学後はついて行けるように勉強を頑張っているのにと言うべきか、頑張っているからと言うべきか、ここでもだいたい平均点くらいの成績を収めている。


 ただ、理系が苦手で文系はやや得意、家庭科だけは大得意という教科によるバラツキがある。

 最近わたしは調理師や栄養士という進路を思い描くようになった。

 栄養士を目指して大学を受験するのなら、理系は避けて通れない。

 そう思って力を入れているのに、苦労の成果がなかなか出なくて困っている。


 ゆえやハツミは英語が得意で、他の科目も私より成績が良い。

 しかし、どちらも理系は教えられるほど得意じゃないと言っていた。

 成績優秀なアケミは各教科まんべんなくできる。

 妹にも勉強を教えているそうで、人に教えるのが得意かと思ったら意外とそうではないと話す。


「相手がどこまで理解しているのか分からなくて……。面白いことも言えないし……」


 それでいて将来の目標のひとつに教職を挙げているので、これからそうした技術も身に付けないといけないだろう。


 そんな試験前の大変な時期ではあるけど、今日は可恋ちゃんの退院祝いをうちで開くことになっている。

 本人は入院はよくあることなんて言うが、元気になったのはおめでたいことなので強引にわたしやヒナが決めてしまった。

 最近は寒くてうちに夕飯を食べに来ることが減っていたというのもあるし、彼女はひとりでの食事が多いから賑やかな席を用意しようという意図もあった。

 時期的に鍋パーティが最適だろう。

 純ちゃんやその妹の翔ちゃんも呼ぶことが決まり、楽しみな一夜になりそうだった。


「三角比ですか。単位円を使った方が理解しやすいんじゃないですか」


 リサ曰くネイティブの高校生並みの英語を身に付けた可恋ちゃんに勉強を教わることになった。

 わたしが試験前だと知り、恐縮した可恋ちゃんが申し出てくれたのだ。

 午後、予定の時間より少し早くわたしの部屋に現れた彼女は、わたしがまだ数学の問題に手こずっているのを見てそう言った。


「分かるの?」と中学2年生に尋ねると、「この程度なら」と平然と答える。


 頭の作りが違っているとはいつも思っているけど、本当に彼女は規格外だ。

 歳下だとか関係なく、むしろこれはチャンスだと思った。

 彼女の教える能力には定評があるし、ここは素直に教えてもらおう。


「可恋ちゃん、お願い! 数学、教えて」


 彼女は「いいですよ」と微笑むと、頬に手を当て少し思案する。

 白紙のメモ用紙にいくつか図形問題を書き、「これを解いてもらえますか?」と言った。

 中学レベルの問題で、簡単に解けるものもあれば、少し時間が掛かったものもあった。

 その間、彼女はわたしの数学のノートをパラパラめくって眺めていた。


「数学で大事なことは、自分が何を理解できていて、何を理解できていないか見極めることです。土台がぐらついていては上に安定した建物は建てられません。本当は中学に戻って土台を固めたいところですが、時間がないので今日は点が取れる勉強をしましょう」


「点が取れる勉強?」


「定期テストって基本的に、誰もが解ける問題、少し勉強したら解ける問題、ある程度勉強したら解ける問題、凄く勉強した人だけが解ける問題のように分かれています。数学は特にその傾向が強いです。ですから、いまは100点を目指すのではなく6、70点を目指します」


 可恋ちゃんは試験範囲を確認した上で、教科書やノートからいくつかのポイントを抜き出した。

 そして、参考書や問題集からそのポイントに関する問題を集め、「これを頭に叩き込んでください。似たような問題が出ても解けるように」と微笑んだ。


 それらはまったく手に負えないというレベルの問題ではなかった。

 時間を掛けてなんとか解答すると、「繰り返し解いて、もっと早くできるようになりましょう」と指摘された。

 そして、「試験でこの問題より難しいと感じたらあとに回してください」と言われる。

 いまのわたしでは挑んでも時間の無駄になる可能性が高いのだろう。


「アケミは勉強できるけど、他人がどこでどう躓いているのか分からないと言っていたの。可恋ちゃんはどうして分かるの?」


 天才には一般人の考えが理解できないなんて物語で描かれることがある。

 勉強が分からなかったなんて経験したことがなさそうな可恋ちゃんになぜ理解できるのか不思議だった。


「私の場合、効率良く勉強する方法を考えたからでしょうね。普通、頭が良い子は高校や大学で壁にぶつかるまで特に意識せずに漫然と勉強していても良い成績が取れます。私は学校に行けないことが多かったのでそういう訳にはいきませんでした。授業を聞かずに理解することは死活問題だったんですよ」


 そういえば今年の4月にヒナがおたふく風邪や忌引きで2週間ほど休むことがあった。

 その時授業にまったくついて行けなくなったと彼女は呆然としていた。

 わたしよりも成績の良いヒナでさえそうなるのだ。

 かなり休みがちだったらしい可恋ちゃんが好成績を維持してきたのは並大抵の苦労ではなかったのだろう。


 ちなみに、「効率良く勉強する方法」について聞いてみたところ、「真似をするのは難しいと思いますよ。空手で培った集中力と、これまで得た知識との関連付けで効率化してますから」という言葉が返ってきた。

 料理で新しいレシピを覚えるのにこれまでの知識の蓄積が生きてくるでしょうと譬えてもらい、なるほどと納得した。

 知識はあればあるほど新しい知識を吸収しやすいなんて目から鱗だった。


 今日はお母さんが付き合いで遅くなるということで、わたし、お父さん、ヒナ、可恋ちゃん、純ちゃん、翔ちゃんの6人で鍋を囲む。

 準備はお父さんがほとんどをやってくれて、ヒナも少し手伝ったと誇らしげだ。


「こうして大勢で鍋を囲むなんて本当に久しぶりです」


 可恋ちゃんが嬉しそうに言った。

 大阪にいた頃に空手道場の先生の自宅で何度か経験しただけだと話してくれた。


「祖母の家で暮らしていた時は、祖母と母と私でお鍋をしたことはありますが、その頃はもう母が忙しくてのんびりと食べた記憶がありませんし……」


「今度作りに行くね」とわたしは可恋ちゃんに声を掛ける。


 冬場は体調を崩しやすいので、寒いとうちまで来るのも難しいようだ。

 夜は冷え込むしね。


「ありがとうございます」と微笑む可恋ちゃんにヒナが「お正月は大阪に帰るの?」と尋ねた。


 わたしとヒナは冬休みは北関東の祖父の家に行くことになる。

 昨年はわたしの受験があって三が日の間だけと短期だったが、今年はもう少し長くなるかもしれない。

 ヒナは可恋ちゃんに一緒に来て欲しいと思っているだろう。


「帰らない。冬休みはどこか暖かいところで過ごしたかったんだけどね。体調を崩した時のリスクがあるから家にいるよ」


 可恋ちゃんの言葉にヒナががっくりとうなだれた。

 祖父の家はここよりも気候が厳しい。

 彼女の体調を考慮すれば無理に誘うことはできない。


「三が日は”じいじ”の家で過ごすけど、日程についてはお願いしてみるね」


「私にばかり気を使わなくてもいいよ、ひぃな」


 可恋ちゃんはそう優しく言うが、ヒナは悲しげな表情を浮かべたままだ。

 この年齢になれば親戚の家に行くより友だちと一緒にいたいと思うのは当然だ。

 わたしも同じ気持ちなのでヒナの背中を押してあげたい。


 多めに用意してあった鍋の具材もあらかたなくなった。

 わたしが食べた量を1とすると、お父さんと可恋ちゃんが1.2ずつ、ヒナと翔ちゃんが0.8ずつ、純ちゃんが1.8以上という感じだった。

 黙々と、しかし、豪快に純ちゃんは食べる。

 その食べっぷりの良さは、いつも作り甲斐を感じさせる。


 そろそろお開きというところで珍しく翔ちゃんが自分から口を開いた。


「あの……」


「どうしたの?」とすかさずヒナが応対する。


「うち……、引っ越すかもって……」


「「え!」」


 わたしとヒナの驚きの声がハモった。

 純ちゃんはきょとんとしている。

 可恋ちゃんは悠然とお茶を口に運ぶ。

 そして、お父さんは険しい顔で翔ちゃんを見ていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木華菜・・・高校1年生。料理が好きなだけの普通の高校生と自認している。


日野可恋・・・中学2年生。「普通」のような定義できない基準に意味はないと考えている。


日々木陽稲・・・中学2年生。自分が「特別」だと自覚しているが、その分ひとのために尽くそうと思っている。


安藤純・・・中学2年生。ただ泳ぐことが好き。


安藤翔・・・小学5年生。姉は「特別」だと思っている。

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