第210話 令和元年12月2日(月)「入院」日々木陽稲
可恋が入院した。
一昨日、感謝祭のパーティのあと可恋とわたしは、可恋のお母さんの陽子先生に車で送ってもらって帰って来た。
いつもの土曜日のように、わたしは可恋のマンションに一泊し、昨日の午後に帰宅した。
午前中までの可恋は普段通りだったと思う。
しかし、わたしを送り届ける時には少しダルそうにしていた。
無理しなくていいよとわたしは言ったが、寄るところがあるからと可恋は答えた。
買い物だと思っていたら、病院に向かったようだ。
そして、夕方に可恋から電話が掛かってきた。
「どうもインフルエンザみたいなの。いつもの大学病院に入院することになりそう」
「え、大丈夫なの!?」
わたしは驚きのあまり、かなりの大声を出した。
可恋が病気がちなのは知っているが、わたしと知り合ってから入院するのは初めてなので激しいショックを受けた。
「よくあることだしね。入院した方が安心だから」
電話だから表情や雰囲気は伝わってこない。
可恋の声は落ち着いていて、普段のそれと変わらないように聞こえる。
それが、わたしを気遣うためだと分かっている。
いつもと比べるとわずかに声に張りがなく、無理をしている感じは伝わってきた。
「詳しくはまた連絡するけど、今週は学校を休むと思う。ひぃなも体調には気を付けてね」
可恋の言葉にわたしは泣き出しそうになっていた。
でも、泣いちゃダメだと思い、わたしは奥歯を噛み締め絞り出すように「早く元気になってね」と言った。
わたしの不安な気持ちを隠し切れたとは思わないけど、精一杯明るく言ったつもりだ。
「ひぃなが元気なことが私の心の支えだから」
可恋は優しく囁いた。
わたしの涙腺が崩壊しそうなのに気付いたのか、「じゃあ、またあとでね」と可恋は電話を切った。
大丈夫だと信じているのに不安は波のように押し寄せ、わたしの心を掻き乱す。
堰を切ったように涙が零れ、わたしは枕に顔を押しつけてすすり泣いた。
脳裏に浮かぶのは可恋の様々な表情だった。
今年4月に教室で初めて会った時の姿。
寒い保健室前の廊下で見せた寂しげな可恋の顔。
長く生きられないかもしれないとわたしに告げた切なそうな表情。
初めてお泊まりした時のベッドの温もりと安らいだ顔付き。
空手着を身にまとった時の凜々しさ。
ヌードデッサンの時の恥じらい。
わたしが選んだドレスを着た時の戸惑いや照れた様子。
悪巧みを考える時の目元、わたしをからかう時の口元、囁き掛ける甘い声、頭を撫でる手の温もり、わたしの心を落ち着かせる体臭までもが次々とわたしの記憶から蘇ってくる。
そして、安心しきった顔、寂しげな顔、得意そうな顔、それらはわたしだけに見せてくれたものだった。
「どうしたの、ヒナ!」
夕食の準備ができたと伝えに来たお姉ちゃんが泣いているわたしを見つけた。
わたしは「可恋が……」と駆け寄ってきたお姉ちゃんにすがりついて、可恋の入院のことを伝えた。
お姉ちゃんも最初は心配そうな表情を見せたが、ぐっと顔付きを引き締めて「きっと大丈夫だよ」とわたしを励ました。
食欲はなかったけど、「ヒナがちゃんと食べることが可恋ちゃんの望みだと思うよ」とお姉ちゃん言われて頑張って食べた。
いまも可恋はお姉ちゃんと連絡を取り合って、わたしの食生活を確認している。
可恋に心配を掛けることはしたくなかった。
今日は朝から雨でジョギングは中止した。
昨夜はなかなか寝付けなかった。
そんな中で、できる限りいつも通り行動しようとわたしは決心した。
可恋からは昨夜に続いて朝にもメッセージが届いていた。
寝ているといろいろと気になることが思い浮かび、気になって眠れなくなるからわたしに伝えるそうだ。
普段の理路整然とした連絡ではなく、思い付きのようなものが多く、中には「キャシーを泣かす」といった意味不明なものもあった。
一方で、わたしはインフルエンザの予防接種を済ませているのにお見舞いは禁止だとか、純ちゃん以外のクラスメイトには入院のことは知らせないようにだとか、真面目な連絡も混じっていた。
今週は三者面談があって短縮授業なので、退屈な一週間になりそうだった。
11月に入ってから可恋が休むことが増え、教室にいなくても誰も気にしなくなっている。
わたしが元気がないのも可恋がいないせいだとみんな認識している。
どうしても可恋が心配で授業中は集中を欠いたけど、クラスメイトたちからは特に不審に見られることはなかった。
とはいえ、真剣に勉強しないと元気になった可恋にいろいろ言われてしまうはずだ。
明日からは頑張ろうという思いで今日の授業を終えた。
純ちゃんとふたりで帰ろうとしたら、廊下で1年生の原田さんと鳥居さんがわたしを待っていた。
わたしの前では元気に振る舞う原田さんが、重い石でも飲み込んだような苦しげな表情を浮かべていた。
その深刻な雰囲気に思わず「どうしたの?」と声を上げる。
わたしよりも憔悴した面持ちで原田さんは「ここではちょっと……。ついて来てもらえますか」と懇請した。
いつものように手芸部の部室である家庭科室に行くと思っていた。
だが、「他の部員や顧問が来るかもしれないので……」と言って中学校を出て行く。
住宅地を歩いてたどり着いた一軒の家に入っていく。
彼女の自宅だそうだ。
わたしたちもお邪魔して、彼女の部屋に案内され、4人で小さなテーブルを囲んで座った。
彼女が作ったと思しき手芸の品々がたくさん飾られた部屋だった。
興味の赴くままにいろいろなものに挑戦したんだなと微笑ましくなる。
原田さんはみんなが席に着いてからも、なかなか話を切り出せずにいた。
苦悶の表情を浮かべ、辛そうに視線を彷徨わせている。
その横で鳥居さんが原田さんを支えるように温かく見守っていた。
ふたりの信頼関係の強さが眩しくもあり、羨ましくもあった。
わたしが可恋のことを考え出した矢先に、ついに原田さんが口を開いた。
「……金田さんが家出したんです。たぶん、わたしのせいです」
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・2年1組。今年4月に祖母を交通事故で亡くしており、それも頭に過ぎった。
日野可恋・・・2年1組。生まれつき免疫力が極度に低い体質。体力強化と節制、自己管理によって人並みの生活を送っている。
安藤純・・・2年1組。陽稲の幼なじみで護衛役を務める。
原田朱雀・・・1年3組。手芸部部長。手芸部創設の際に陽稲の協力を得た。
鳥居千種・・・1年3組。手芸部副部長。朱雀の幼なじみ。
金田歩美・・・1年3組。
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