第204話 令和元年11月26日(火)「冬の足音」須賀彩花

「寒いね」


 今日何度も口にした言葉をまた言ってしまう。

 先週後半もかなり冷え込んだが、今日の寒さはそれ以上だ。

 どんよりとした曇り空で雨は降ったりやんだりといった感じだったが、真冬を思わせる気温だ。

 優奈は「このペースで寒くなったら1月頃に氷河期が来ちゃうな」と笑っていたけど、これからますます寒くなることを考えたら溜息しか出ない。


 それでも休み時間はまだいい。

 綾乃が暖まりにわたしの膝の上に座ってくるからだ。

 最初はひんやり感じるが、休み時間の終わりには手放したくない人間カイロになってくれる。

 それがない授業中はキツい。

 わたしは寒がりなので余計に。

 足下から冷気がにじり寄ってくる。

 以前、日野さんが筋トレは冷え性の改善に役立つと話していたから、その効果に期待するしかない。


 今日はその日野さんはお休みなので、休み時間に日々木さんがわたしたちのグループのところにお喋りしに来ていた。

 親戚が札幌に住んでいるそうで、北海道はもっと寒いと教えてくれた。

 その代わり、学校に暖房があるそうだ。

 羨ましい。

 この辺りは内陸なので冬は寒い。

 せめて湘南付近に住んでいればと思わずにいられなかった。


 今日は部活はないが塾がある。

 今月から通い出した塾にいつものように綾乃と一緒に行く。

 三年生になれば塾のクラスも別れてしまうかもしれないが、いまは同じクラスだ。

 幸い塾は暖房が効いていて暖かい。

 効き過ぎて暑いと思うこともこの前はあった。

 だから、塾に着くまでの辛抱だと言い聞かせて綾乃と寄り添って歩いた。


 雨は止んでいるが、雲は暗くて重い。

 まだ夕方の早い時間なのに、夜のようだ。


「朝、出掛ける時にあまりにも寒かったから中にもう1枚着て来たんだけど……」


 綾乃は自分から話題を振る方ではないので、ふたりでいるとわたしが一方的に話すことが多くなる。


「みんなはいつも通りスラッとしていて、わたしだけもこもこ・・・・だったんじゃないかなあ……」


「大丈夫。彩花、可愛いから」


 綾乃はお世辞を言って慰めてくれるが、周りが可愛い子ばかりでただでさえ見劣りするわたしがこれでいいのかと思ってしまう。

 とはいえ、寒さには勝てない。


「綾乃は寒くないの?」


 夏場は薄着が目立った綾乃だが、ここ最近寒くなってきても着込んでいる印象はない。

 優奈は暑さ寒さに耐えてこそのオシャレよと話すが、みんな我慢しているのだろうか。


「寒いよ」と綾乃は答えるが、それほど寒そうな顔をする訳でもない。


 綾乃は表情に出さないタイプだし、わたしは相手の感情を読み取ることが得意ではない。

 わたしは綾乃の言葉を額面通りに信じて、寒さ対策について聞いてみた。

 綾乃は可愛らしく小首を傾げ、「特にやってない」と返答する。

 有益な情報を期待したわたしとしては残念だが、簡単においしい情報が手に入ると望むなんて虫が良すぎるだろう。

 こういうことに詳しそうな人……と思うと日野さんの顔が浮かんだ。

 今度機会があったら聞いてみようとわたしは心の中でメモしておいた。


 塾の勉強は大変だ。

 学校の授業よりレベルが高く感じる。

 他の生徒たちも真剣な表情だ。

 わたしは取り残されないように必死でついて行く。


 授業が終わり、分からなかった――というか、腑に落ちなかった――ところを綾乃に質問していると、塾の先生がそれに気付いて近付いてきた。

 まだ入塾したばかりのわたしたちに「サービス」と言って、わたしの疑問に丁寧に答えてくれた。


「須賀さんはぐんぐん伸びそうで楽しみですね」と先生に褒められ嬉しくなる。


 綾乃はうんうんと頷き、「私も彩花に負けないように頑張る」と言った。

 勉強のできる綾乃は塾でも余裕があるように見える。


「綾乃はわたしなんかよりずっと勉強ができるじゃない」


「そんなことはないよ。そんなに大きな差はないから」


 いつもの表情なのでどの程度本気で言っているのか分からないが、少なくとも冗談ではなさそうだ。


「そうですね。これからの頑張り次第で十分追いつけるでしょう。中二から中三にかけて伸びる生徒をたくさん見てきました。あなたにもその可能性はありますよ」


 塾の先生の言葉にわたしは胸の奥がポッと熱くなるのを感じた。

 わたしは以前聞いた日野さんの言葉を思い出した。


「筋トレにしろ他のことにしろ、やればやった分の成果は出る。でも、それはごくごく僅かで、よほど注意してないと成果に気付かない。しかし、継続してやり続けたら、その成果は目に見えるものになるわ」


 わたしは自分の身をもってその言葉を実感してきた。

 何の取り柄もなかったわたしが、筋トレで自信をつけ、ダンスで自信をつけた。

 筋トレだってダンスだっていまも特別他人よりできる訳じゃない。

 トレーニングもダンスの練習もわたしより頑張っている子はたくさんいると思う。

 勉強だって胸を張って言えるほど時間を割いている訳ではない。

 それでも、やった分は身に付くと信じることができるから。

 いまのわたしは前向きに捉えられるのだろう。


「頑張ります!」と言うと、先生はニッコリと微笑んでくれた。


 塾からの帰り道もやっぱり寒い。

 住宅街はすっかり夜で、吐く息の白さが目立つ。

 街灯のともるT字路、ここでいつも綾乃と別れる。

 ひと気がないのを確認して、わたしは綾乃をギュッと抱き締めた。

 心の中に灯った火を綾乃にお裾分けしたいと思ったのだ。


「いつもありがとうね、綾乃」


 そう言うと綾乃は驚いた顔をしていた。

 感情を顔に出さない綾乃を驚かすことができて、わたしは微笑んだ。

 わたしがいろんなことに自信を持てるようになったのは、いつも側にいてくれた綾乃のお蔭でもある。


「運動や勉強で前に進めるような感じがするから、次は……カレシ作りかな? お互い素敵な彼氏を作ろうね」


 冗談めかしてそう言うと、なぜか綾乃が更に驚いた顔で凍り付いていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


須賀彩花・・・中学2年生。ダンス部副部長。学校の成績は平均くらい。週三回の塾通いを始めたばかり。


田辺綾乃・・・中学2年生。ダンス部マネージャー。クラスの女子の中で成績は上位三番手だったが、最近日々木陽稲に抜かれた。彩花にアプローチをかけているがまったく気付かれていない。


日野可恋・・・中学2年生。寒さが苦手。成績は学年トップクラス。ただ試験勉強をする時間があったらもっと有意義に使いたいと教科書をチラッと確認する程度。


日々木陽稲・・・中学2年生。放課後は可恋の家にお見舞いに行き、元気な可恋と歓談した。

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