第191話 令和元年11月13日(水)「大人の苦労」藤原みどり
今週は気分が良かった。
……たったいままでは。
月曜日に職員室で岡部先生が教頭から注意を受けた。
試験前なのに彼女が顧問をしているダンス部が練習をしたらしい。
岡部先生は教師になったばかりの新任1年目だ。
学年が違うし、彼女が体育教師ということもあって、私とはあまり接点はない。
私にとってこの学校の教員の中で唯一の後輩に当たるが、あろうことか彼女には来年度の担任の話が出ていた。
私でさえ4年目の来年度に初担任となるというのに。
彼女は生徒に人気があるというが、優しい顔ばかりしていれば人気は出るだろう。
話し下手だと本人は言っていた。
それで教師が務まるのかと思うが、体力だけはバカみたいにあるようで、他の先生たちから何かと頼まれることが多かった。
それを黙々とこなしてポイントを稼いでいる。
嫌な時はちゃんと断りなさいよと忠告してあげたこともあったが、勉強になりますからと殊勝なことを言っていた。
それからは私もどんどん仕事を振ってあげた。
主にソフトテニス部の仕事を。
彼女がダンス部の顧問になり、そうした仕事を任せられなくなって私の雑用が増えた。
それが原因の苛立ちも彼女が叱られる姿を見て溜飲が下がった気がする。
私の評価だって最近はかなり上がってきているのだ。
運動会や文化祭でのクラス指導を評価されている。
学級委員が松田さんに替わって、クラスの運営もやりやすくなった。
私が作成した期末テストの国語の問題も田村先生に褒めてもらった。
いまだに田村先生には苦言を呈されることがあるものの、最近は担任の小野田先生からはお小言をもらわなくなった。
……諦めたような視線を向けられることがあるのは気がかりだけど。
仕事は充実している。
あとはプライベートだ。
夏の終わりに付き合い始めた男性とは1ヶ月ほどで別れた。
仕事が忙しくなったからと言われたが、仕事よりパートナーを大事にしない男には興味がない。
いまでは別れて良かったと思っている。
当時はやけ酒に友人を付き合わせて迷惑を掛けたりしたが、過去の話だ。
最近は日々木さんに服装のコーディネートをお願いし、そのお蔭か合コンでは男性の食い付きも良くなっている。
ただ結婚相手と考えると、なかなか良い男性が見つからない。
谷先生のようにモテていても選り好みしているうちにアラサーという事態は絶対に避けたいと思っている。
同じ歳の友人の間にちらほらと結婚の話が出始めてきている。
玉の輿なんて贅沢は言わない。
結婚しても教師は続けるつもりだ。
子どもが欲しいというのもあるが、それ以上に幸せな家庭を築きたいと強く願っている。
刷り込みかもしれないが、それこそが女の幸せだと思いながら育ってきたのだから。
プライベートも充実させると意気込んでいた矢先にその話を聞いた。
田村先生との何気ない雑談だった。
「谷先生、結婚するらしいわ」
「え゛!!!」
私は聞き間違いかと思った。
谷先生は逮捕されて有罪判決を受け、服役しているんじゃなかったっけ……。
私が奇声を発したので、田村先生は驚いていた。
「何よ、そんなに驚くこと?」
「驚きますよ。彼女、刑務所に入ってるんじゃ?」
「控訴してもうすぐ二審ね。だから刑務所じゃなく拘置所にいるわ」と田村先生が淡々と答えた。
「どちらにしても出会いなんてないじゃないですか」
「最初に接見した弁護士に一目惚れされたらしいわ」
「は?!」
開いた口がふさがらないとはこのことだ。
「さすがにその人は弁護からは外れて、彼女の支援をしていると聞いたわ。弁護士の職を投げ打ってでも貴女を守るって言われたそうよ。ロマンチックな話よね」
田村先生はまったく感情の籠もっていない声でそう言った。
何か世の中間違ってない?
谷先生は確かに美人だけど、生徒に売春を斡旋するような悪人よ。
それが見初められて結婚だなんて……。
私は両の拳を握り締め、わなわなと震えた。
それまでの良かった気分は吹き飛び、様々な感情が嵐のように渦巻いていた。
一日目のテストが終わり、ホームルームが行われる。
特に連絡事項もなく、挨拶だけで終わりとなったが、生徒全員に私の不機嫌さが伝わったと思う。
見かねたのか、廊下に出ると日野さんが声を掛けてきた。
「何か用?」と尖った声で私が聞くと、「何かありましたか?」と相変わらず平然とした態度で彼女は訊いてきた。
こんなことは生徒に言えることじゃないと思ったが、よく考えると日野さんはこの件について詳しかったはずだ。
私は廊下の隅に連れて行って小声で「谷先生の結婚のこと、知ってた?」と尋ねた。
「ええ、そのようですね」と日野さんは頷く。
詳しく聞き出してやろうかと思ったら、先に日野さんが口を開いた。
「そんなことより、藤原先生はお付き合いされている方はいないのですか?」
私が言葉を詰まらせると、更に「もし良ければご紹介しましょうか?」と言い出した。
中学生のくせに何を言うかと思いながらも、私は何も言えないでいた。
それを肯定と受け取ったのか、彼女は言葉を続ける。
「母がいまの大学で教鞭を執るようになったのは今年の4月からですが、卒業生の方たちとも交流があるので先生に相応しい方をご紹介できると思いますよ」
彼女の母親は著名な大学教授で、東京の超有名私大に在籍している。
「せ、生徒やその保護者から、そういう話は……」となんとか理性を保ち、私は断ろうとした。
「母から小野田先生経由で紹介すれば問題ないでしょう」と日野さんは微笑みを浮かべて何でもないことのように言う。
「べ、別に結婚を焦っている訳じゃないのよ」と言い訳するが、日野さんはすべてを見透かしたような表情で頷いただけだった。
……ああ! この子はホント!
そう思いながらも、私は相手について条件を付けることだけは忘れなかった。
††††† 登場人物紹介 †††††
藤原みどり・・・2年1組副担任。国語担当。2学期からほぼ担任の仕事を任されている。「誰よ! こんなの大人の苦労じゃないって言った人は! 大変なのよ! この歳になったら切実なのよ!(以下略)」
岡部イ沙美・・・1年女子を担当する体育教師。新任1年目。ダンス部顧問。
田村恵子・・・2年の学年主任で国語担当。今年度限りでこの学校を去る。
小野田真由美・・・2年1組担任。理科担当。今年度限りでこの学校を去る。
谷ほのか・・・元音楽教師。不祥事により懲戒免職となった。現在、実刑判決を不服として控訴中。
日野可恋・・・2年1組の生徒。欲望に忠実な人は扱いやすくていいよね。
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