第187話 令和元年11月9日(土)「記者会見」日々木陽稲

「初めまして、日野可恋です。今日はお忙しい中お集まりくださり、ありがとうございます。この配信をご覧のみなさんにも感謝を伝えたいと思います」


 営業スマイルのような笑みを浮かべた可恋がモニターの中で語り始めた。

 ここは記者会見場の隣りにある配信用のブースだ。

 若いスタッフが数人、真剣な表情でパソコンを操作している。

 わたしと純ちゃんはこの部屋の隅っこに座り、いま隣りで行われている会見の映像に見入っていた。


 簡単な自己紹介を済ませた可恋は緊張をまったく感じさせない表情で言葉を紡ぐ。

 見守るわたしはドキドキが止まらなくてじっとしていられないくらいなのに。


「私たちのNPOは学生及びその年代の女性アスリートを支援するために設立されます。その柱は次の三つです」


 淀みなくハキハキと可恋は話す。


「トレーニング、医療、法律です」


 可恋の言葉に合わせるように、大きな文字のテロップが画面に表示された。


「トレーニングはアスリートにとって大きな関心事だと思います。最新のトレーニング理論を各種協会や他のNPOと連携し、アスリートの元に届けていきたいと考えています」


 筋トレのことを語る時の可恋はいつもの三割増しくらい生き生きとしているが、それがいまも表れている。


「成長期におけるトレーニングのあり方は様々な研究が行われていますが、これまでの知見をもとにその選手の競技特性や個人の素養に合わせて、私たちと一緒に考えていけたらいいと思っています」


 その後、可恋は具体例を提示し、分かりやすく説明した。

 そして、表情を引き締め、次の項目へと話題を移す。


「次に、医療。女子選手は生理の問題と向き合わなければなりません。個人差はありますが、これは決して軽い問題ではありません」


 可恋は真剣な眼差しをカメラに向けて、語り掛ける。


「過去には生理が止まるくらいの猛練習が当たり前とされた時代もありました。当然、それが健全なスポーツのあり方だとは思いません。健康的に競技と向き合うためには、選手自身が自分の身体のことをよく知らなければなりません」


 それから可恋はずらずらと大学病院など連携する医療機関の名前を読み上げた。


「生理に限らず女性特有の身体的な問題についてできるだけサポートしていければと考えています」


 可恋はほとんど手元のメモに視線を落とすことがない。

 学校を欠席したこの二日間で覚えたのだと思う。

 その可恋が手元のメモをめくった。


「法律は、学校や部活で起きるハラスメントに対応していきたいと考えています。洋の東西を問わず、男性指導者による女性アスリートへの性的ハラスメントは起きており、とても深刻な問題です。しかし、表面化することは少なく、被害者が競技を継続するために泣き寝入りするケースが多いと聞きます。そうした現状を少しでも変えていきたいと思っています」


 協力者として弁護士やジャーナリストの名前を挙げ、「この分野の第一人者である私の母、日野陽子もサポートしてくれます」と可恋の隣りに座る陽子先生に視線を送りながら付け加えた。


「また、SNSなどインターネット上での誹謗中傷にも対応したいと考えています。有名税という言葉がありますが、アマチュアのアスリートには一切関係ないと思っています。これは警告ですが、このNPOのプログラムに参加するアスリートへの誹謗中傷は必ず法的に対応します。大人げないと捉える方がいらっしゃると思いますが、大人ではないので問題ないですよね」


 あ、魔王だ、と思うくらい可恋は悪のオーラを漂わせていた。

 不敵な笑みと呼ぶのが相応しいような笑顔で、目つきが非常に怖い。


「法的な対応を検討するのはマスメディアによる過剰なプライバシー侵害や誹謗中傷も同様です」と目の前にいるであろう多数の記者、メディア関係者を見渡した。


「この三つの柱とは別に、女性アスリート同士の交流や情報交換も積極的に行えたらと考えています」


 営業スマイルに戻った可恋がビジョンを語り、ようやく長広舌が終わった。

 次に共同代表となる高校生アスリートの篠原アイリスさんがマイクを握った。


「えーっと、もの凄く緊張してる篠原アイリスです。よろしくお願いします」


 頭を下げ、マイクに額をぶつけるという事態に会見場から笑いが起きた。


「つかみはオッケーやな。うちは可恋ちゃんみたいに頭が良くないから、本音で喋らせて欲しい」


 そう言ったアイリスさんは砕けた関西弁で自分がこのNPOに加わった経緯や思いを語った。

 訥々と自分の言葉で彼女は話す。

 時折笑いを取りながら。

 おそらく同世代には可恋の理路整然とした言葉より伝わったんじゃないかと思う。


 彼女の話が終わると、会見場では質疑応答が行われた。

 記者の質問の半数は陽子先生に向けられた。

 知名度の高い陽子先生だが、こうした記者会見に出席するのは珍しいそうだ。

 参加している記者の大半は陽子先生主導でこの活動が計画・遂行されていると信じて疑わないだろう。


 次に質問が多いのは東京オリンピックの代表入りも期待されている女子バレーボールの篠原さんで、その愛嬌があるキャラクターから記者の質問も好意的なものばかりだった。


 そんな中、ひとりの男性記者から可恋に質問が飛んだ。


「資料によるとあなたが在籍する中学校は今年文科省の官僚による売春事件が起きた学校ですよね。あなたの学校で起きたこの件に関して感想をお聞きしたい」


 言葉遣いこそ丁寧だが、子ども相手だと見下すような雰囲気があった。

 すぐに同席した弁護士が「NPOの活動と無関係な質問です」と遮ったが、可恋は「答えます」とマイクを取り、視線をその記者に向けた。


「とても残念な事件でした。被害に遭われた生徒、そのご家族、友人の皆さんには心から同情します」


 可恋が痛切な表情で答えたが、男性記者はなおも食い下がった。


「文部科学省に対して言いたいことはありますか?」


「個人の起こした事件ですので、組織とは無関係だと思います」


 モニターには別のカメラで撮影された質問した記者の顔も映っている。

 可恋の模範解答に苦虫を噛み潰したような表情になっていた。


 知り合いのジャーナリストである志水さんも質問に立った。


「このNPOの活動の対象となる学生の女性アスリートへ、いちばん伝えたいことは何でしょう?」


「私たちの活動はトップアスリートだけに向けたものではありません。今日部活を始めた学生だって対象なのです。スポーツを楽しむ。その障害になるものがあれば、それを取り除くお手伝いをする。それがこのNPOの活動方針です」


 可恋が代表を務めるNPO『F-SAS』は来年4月の法人化を目指すと発表して会見が終わった。

 配信動画の観覧者数はそれほど多くないが、これだけの記者が集まったのは陽子先生たちがかなり宣伝したからだそうだ。


 わたしは純ちゃんと配信用ブースから控室へ移動した。

 会見に出席した三人だけでなく、桜庭さんを始め多くの大人がいて、出席者を労っていた。


「お疲れ様、可恋」


 わたしが駆け寄ると、さほど疲れた様子もなく可恋が微笑んでくれた。


「退屈だったんじゃない?」


「そんなことないよ! もう心臓が爆発するんじゃないかってくらいドキドキしてたし、終わってホッとしたよぉ」


 わたしの言葉が大げさに聞こえたのか陽子先生やアイリスさんまで笑った。


「うちの雄姿見てくれた?」とアイリスさんが気さくな笑みをわたしに向ける。


 今日初めて会ったのにとてもフレンドリーで、わたしと同じくらい初対面の人ともすぐに仲良くなれる人だ。


「素敵でした! 可恋よりアイリスさんの言葉の方がわたしたち中高生には伝わると思います」


「ありがとう! 可恋ちゃんがプロみたいに話すから、ダメダメだぁって落ち込むところだったよ」


 アイリスさんは純ちゃんと同じくらいの身長だ。

 わたしの周囲には可恋やキャシーなど背の高い子が多いので、見上げるのには慣れている。

 ……普通のクラスメイトに対しても見上げることになっちゃうんだけどね。


 陽子先生や桜庭さんはすぐに次の仕事に向かった。

 アイリスさんも「名残惜しいわぁ」と言いながら、新幹線で大阪へ帰るために急いで出て行った。

 会見は東京で行われたので、わたしたちも地元まで帰らなくてはならない。


「外に出たら、可恋、指差されたりしない?」と聞くと、「ないない」と笑う。


「テレビのニュースで流れるとしても母やアイリスさんの映像がメインでしょ」


 いつもの可恋の姿を見て安心したわたしは、つい不安を口にした。


「可恋が手の届かないところに行っちゃわないかな」


 それを聞いた可恋は声に出して笑った。

 そこまで笑わなくてもいいのに……。


「私は変わらないよ。連絡のやり取りが少し増えたり、月一くらいのミーティングに参加したりはするだろうけど、そもそも冬場は動けないしね」


 可恋は優しい声でわたしに言った。


「そもそもキャシーのことや安藤さんのことなど、面倒な部分を専門家に丸投げできる場所として作ったんだから」


 可恋は学校における生徒会のようなものだと説明した。

 面倒事は生徒会――というか、小鳩ちゃんに全部押しつけている。

 スポーツ分野でそういう場がなかったから作っただけと簡単そうに可恋は話す。

 それが全国紙の新聞記者まで集まる記者会見に繋がるんだから、わたしの想像の範疇を超えている。


 顔バレが心配ならタクシーで帰ろうという可恋を引っ張って電車で地元まで帰った。

 わたしと一緒にいると人々の視線はわたしに集中する。

 可恋が少々有名になったとしても、わたしといる限りそんなに騒がれないんじゃないか。

 それもまた、わたしの役目だと思うことにした。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学2年生。ロシア系の容姿を持つ美少女。可恋に藤谷さんのことを指摘すると「さすが、ひぃなだね。お礼にご馳走するよ」と言われ、いつものように・・・・・・・可恋の手料理を食べた。満足だよ!


日野可恋・・・中学2年生。空手の競技者だが大会に出場していないので知名度は皆無。F-SASは桜庭さんがいつの間にか名付けていて、気が付いた時にはもう変えられなかった。Female、Students、Athletes、Supportの頭文字を取ったそうだ。


篠原アイリス・・・高校3年生。卒業後は実業団チームとプロ契約を結んだ上で大学に進学する予定。父親がアメリカ人で母親が日本人。日本語をしっかりマスターしてから英語を覚えさせようとしたが……。


安藤純・・・中学2年生。競泳選手。身長170 cm台後半。F-SAS会員(参加メンバー)。会見後、陽稲に「ちゃんと聞いてた?」と訊かれて頷いたが、聞いたからといって理解した訳ではない。


日野陽子・・・可恋の母。著名な大学教授で女性に関する社会問題のオーソリティ。彼女を尊敬するジャーナリストは多いが、当然敵視する人もいる。


志水アサ・・・フリージャーナリスト。可恋と知り合って以来、日野先生とのパイプを作り、教えを請うている。


桜庭・・・女性実業家。F-SAS設立に尽力している。運営メンバーに友人の醍醐かなえを引き抜こうとしたが、所属企業から泣いて引き留められてしまった。

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