第186話 令和元年11月8日(金)「人を見る目」笠井優奈

 放課後、体育館の一角でダンス部の練習が始まる。

 今日はいつもと違い、ウォーミングアップのあとAチームによるダンスが披露される。

 見守るのは顧問の岡部先生とBチーム、そして、見学に訪れている美咲、日々木さん、安藤さん。

 今日も日野が休みで退屈そうな日々木さんが美咲と一緒に来てくれることになった。

 美咲にとっても彼女が側にいるのは頼もしいだろう。


 マネージャーの綾乃が音楽を鳴らすと、それに合わせてAチームメンバーが踊り出す。

 アタシの前に立つセンターのひかりはキレキレのダンスを一心不乱に披露している。

 自分もダンスに集中しないとと思いながらも、どうしても周囲のメンバーの様子をうかがってしまう。

 アタシの隣りの彩花はBチームの指導が大変で自分の練習ができないと嘆いていたが、しっかりと上達が感じさせる動きを見せている。

 Bチームの他の2年生たちもちゃんと自分のダンスを表現しているように見えた。

 ただ彼女たちの中で、真面目に自主トレを励んでいる子とそうでない子との差が見えるようになってきた。

 部の練習では周りの空気に乗せられて真面目に取り組んでいても、自主練となるとどうしても面倒な気持ちが出てしまうのだろう。

 心を鬼にしてBチームに落とすという選択肢もあるが、そうすれば多くが辞めてしまうのではないか。

 ソフトテニス部のような馴れ合いの部活にしたくないと思いながらも、一度部員になった彼女たちを簡単に見捨てるようなことはできなかった。


 短いダンスを終え、岡部先生からひとりひとりに講評が告げられた。

 ひかりには絶賛のあと、かなり細かな技術の指摘。

 アタシには集中が足りないとお叱りの言葉。

 他の子たちには基本的に褒め言葉が並び、ほんの少しだけ技術的な注意があった。


 アタシ以外は踊り切った充実感と褒められた喜びが顔に表れている。

 岡部先生は口数は少ないが生徒を褒めて伸ばすタイプのようで、良いところを見つけるのが上手い。

 先生の授業を受けている1年生からも生徒に慕われていると聞いている。

 アタシたちの部の運営に対しても、表立って口を挟むことはないが、きちんとサポートをしてくれるとても良い顧問だ。

 そんな顧問から苦言を呈されたアタシは、今後演技中には部長という意識から離れてダンスに集中するという課題ができたと心に刻み込んだ。


 今日のダンスはチームとしてはまだまだだが、2学期の終わりにショッピングモールでパフォーマンスを披露することが決まったので、いまは質よりも量が最優先だ。

 まだ1ヶ月半あるとはいえ、来週は期末テストのために練習はできないし、できるだけ全員に見せ場のあるダンスを用意してあげたいと、いま急ピッチでダンスの構想をまとめているところだ。


「今日の練習はここまでです。来週はテストがあるので練習はありません。各自、自主トレを頑張ってください。あと、試験の成績が悪いと練習ができなくなるので、ちゃんと勉強するように!」


 アタシがそう言って解散を告げようとすると、藤谷が「はいっ!」と大きな声で手を挙げた。

 なんだか嫌な予感しかしないが、発言を許可しない訳にもいかず、「何?」と聞いた。


「あたしを1年生のリーダーにしてください!」


 藤谷の発言にBチームからどよめきが起きる。

 Bチームのほとんどが1年生だから当然だろう。


「……考えとく」と答えると、「いま決めてください」と藤谷はアタシに迫ってくる。


「簡単に決めるものじゃないから」


「あの子の時はすぐに決めたじゃないですか!」


 確かに秋田を指名した時は即座に決めた。

 藤谷と辻が揉める中で、Aチームにいた残りの1年生にまとめてもらいたいという本音が出た決断だった。

 まだ秋田が退部した訳ではないので、1年生のリーダーは彼女だと言い張ることもできたが、秋田が戻って来てもリーダーに関しては見直すことになるだろう。

 そのためどうしても返答は歯切れが悪くなる。


「秋田はまだ退部が決まった訳じゃないから、様子を見ながら判断していくつもり」


「あたしがいちばん相応しいと思います」と藤谷は折れない。


「なんで急に?」と訝しく尋ねるが、「リーダーにしてくれないなら退部します!」とアタシの言葉を聞くことなく駄々をこね始めた。


 すがりつくように涙目を浮かべる藤谷には悪いが、彼女をリーダーにする気持ちはまったくなかった。

 他の1年生たちが心配そうに見つめているが、藤谷をリーダーにすれば辞める1年生が続出するだろう。

 彼女たちへの暴言は減ったそうだが、まだ誰も藤谷のことを信用していない。


「悪い。いまは決められない」


 アタシがそう言うと、藤谷は目を見開き、信じられないといった顔をする。

 どうやったらそんな自信が持てるんだと思っていると、藤谷は泣きじゃくりながら駆け出した。

 向かった先は体育館の壁際に立つ美咲だった。

 驚く美咲の胸元に泣いてしがみつく。


 体育館に悲劇のヒロインを演じる藤谷の泣き声が響く。

 時折、「助けてください」だの「部長がひどいんです」だのといった言葉が混じる。

 美咲は困惑した様子でアタシに視線を送ったり、抱き付く藤谷に視線を落としたりしている。

 他の1年生は美咲のことは知らないので、何が起きているのか分からずポカンとした顔付きだった。

 2年生たち、美咲をよく知る彩花やひかりでさえいまの状況を呆然と見ているだけだ。

 正直、アタシだってどう対処していいか判断がつかない。


 とりあえず美咲たちのところへ歩いて行く。


「わたしはダンス部とは関係ないのよ」と美咲が説明しているが、藤谷は「でも、部長の友だちなんですよね」と聞く耳を持たない。


 おそらく藤谷は性急にアタシのお気に入り=1年生のリーダーの座を欲しいと思って、そのために自分に甘い美咲を利用しようとしたのだろう。

 ここで甘い判断をすれば他の部員に示しがつかない。

 アタシは覚悟を決め、口を開く。


「もうやめろ」


「部長はあたしを退部させる気なんですね!」とアタシの言葉を誤解して藤谷は更に激しく美咲にしがみつく。


 アタシがもう誤解されたままでいいかと思い始めた時、「違うのよ、部長はあなたを心配して声を掛けたのよ」と側にいた日々木さんが藤谷に優しく言った。

 藤谷は美咲の胸元から顔を離し、日々木に向いて「本当に?」と尋ねた。

 美咲のブレザーは涙や鼻水で汚れていた。

 アタシの気持ちは藤谷から離れ、美咲に謝らなきゃという思いの方が強くなっていた。


「大丈夫よ。あなたを辞めさせたいなんて思っていないわ。そうよね?」と日々木さんがアタシに顔を向ける。


 その視線は思いのほか強く、本心を言うと許さないぞと聞こえてくるような厳しいものだった。


「ああ、まあ、そうだな。無理やり辞めさせようとは思ってないよ」と日々木さんの剣幕に負けて、曖昧な答えになった。


 藤谷はそれを聞いて安心した表情を浮かべた。


「大丈夫よ。ダンス部にあなたの居場所はあるから。だから、落ち着こう」と日々木さんは藤谷にはとても優しい態度で接する。


 そして、藤谷は日々木さんの言葉に素直に従っている。

 藤谷は美咲から離れ、日々木さんにハンカチで顔を拭ってもらう。

 身長は藤谷の方が高いのに、子どもとそれをあやす母親のようにさえ見えた。


 日々木さんは「大丈夫」と「怖くないよ」の言葉を繰り返し藤谷に言って聞かせた。

 アタシがそれを見つめていると、彩花に腕をつつかれ、「解散させていいよね」と言われた。

 すっかり忘れていた。

 アタシは頷いて他の部員のことを彩花に任せる。

 部員たちはこちらを気にする素振りは見せても、誰も立ち止まらずに体育館を出て行った。

 1年生部員の着替えが終わったくらいのタイミングを見計らって、岡部先生が「今日は送って行くわね」と藤谷に声を掛けた。

 かなり落ち着いていた藤谷は素直に頷き、先生に伴われて更衣室に向かった。

 あとに残ったのは、アタシと彩花、綾乃、美咲、日々木さんと安藤さんだった。


 アタシは彩花が差し出した自分のジャージを着てから話を聞くことにした。

 すっかり身体が冷えていた。

 練習は休みとはいえ試験前だし風邪を引くとヤバい。

 部長が成績を落とすのはそれこそ示しがつかない。


「美咲、ごめん。そして、日々木さん、ありがとう」


 アタシはふたりに頭を下げる。

 ダンス部の問題なのにふたりに迷惑を掛け、助けてもらった。


「わたしは何もしていないのだから気にしないで」と美咲は言ってくれる。


 一方の日々木さんは「元々は可恋の判断ミスだから、わたしがフォローするのは当然なの」と答えた。


「判断ミス?」とわたしが聞くと、日々木さんは頷いた。


「可恋が藤谷さんを『躾のなってない犬』って評していたけど、半分当たっているけど半分は間違っているの。正確には『躾がされていなくて、とても困っている犬』って感じかな。犬扱いは失礼だけど」と彼女は微笑んだ。


「困っている?」と彼女が付け加えた語をオウム返しに尋ねる。


「そう。何が原因かは分からないけど、彼女はコミュニケーションのスキルを身に付けられていない。だから、友だちができないし、過剰な応対になってしまう。どうにかしたいと思っても、自分ひとりでは解決できないの。普通は引き籠もり傾向になりやすいんだけど、自己評価は高いから攻撃的になってしまうのね」


 日々木さんはキッパリと言い切った。


「みんな、裏表があるだとか計算だとか思っているのでしょうけどそんな複雑なことは彼女にはできないわ。藤谷さんは単純で……自分の気持ちを表現するスキルがないだけ。精神科か心療内科の先生に見てもらった方がいいと思うけど、岡部先生を通じて保護者の方と相談するしかないんじゃないかな」


「えーっと、これからどう接すればいい?」と聞くと、「話を聞くのが苦手だから、それを念頭に話をして。まったく聞かない訳じゃないでしょ? 悪口は減ったって聞いたし。確かに面倒な個性かもしれないけど、個性のひとつとして認めて欲しいな」と日々木さんは深刻そうな表情で答えた。


 美咲が「優奈……」と心配そうに言った。

 アタシは努めて明るく「誤解していたんなら謝らなきゃね」と口にする。

 藤谷が問題児であることには変わりないが、前提に悪意がないのなら、本人に変わる気があるのなら、ダンス部で一緒に成長していきたいと思った。

 美咲や日々木さんと比べれば、ひかりやアタシだって問題児だ。

 1年生についてはふたりに限らずこれまで以上に気を付けて見て行こうと彩花たちと確認した。


「それにしても日野もミスするんだ?」と場が和んだところでアタシが口を開いた。


「そりゃ可恋だって人間だから」と日々木さんは平然と答えるが、「人間! 魔王か何かだと思ってたよ」とアタシは大げさに驚いた。


 美咲は「魔王は言い過ぎですよ」とたしなめたが、「じゃあ敬意を表して大魔王でいいか」とアタシが茶化す。

 美咲は顔をしかめたが、日々木さんはニコニコと微笑んでいた。




††††† 登場人物紹介 †††††


笠井優奈・・・2年1組。ダンス部部長。元ソフトテニス部。ギャルっぽい外見と毒舌でキツい印象を与えるが、身内扱いした人には献身的。


藤谷沙羅・・・1年1組。ダンス部現在Aチーム唯一の1年生。他の1年生からは嫌われている。


松田美咲・・・2年1組。優奈の親友。火曜日に問題児扱いされていた藤谷沙羅と話をした。ダンス部とは距離を置いていたが初見学。


須賀彩花・・・2年1組。ダンス部副部長。Bチームの1年生やもうひとりの問題児である秋田ほのかを担当している。


日々木陽稲・・・2年1組。可恋から聞いた話と自分の目で見た藤谷さんの様子にギャップを感じていた。


岡部イ沙美・・・新任1年目の体育教師で1年女子を担当している。ダンス部顧問。


日野可恋・・・2年1組。今日は所用で学校を欠席。

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