第185話 令和元年11月7日(木)「人を見る目」松田美咲

 日野さんからは気負わなくていいと言われたものの、わたしは緊張した面持ちで彼女と対峙した。

 正直なところ、何を話していいか分からない。

 あれこれ考えてきたとはいえ、まとまらないままにこの時を迎えてしまった。


「初めまして、松田美咲です。部長の笠井優奈や副部長の須賀彩花の友人です」


 わたしは姿勢を正し、できるだけ落ち着いて挨拶した。

 相手を緊張させないようにというより、自分自身の緊張をほぐすために笑顔を作る。

 最近習い始めた発声の練習の賜物か、思っていたよりしっかりとした声が出た。


「1年の藤谷沙羅です」と相手の少女は名乗るとにこやかな笑顔を見せた。


 可愛らしく、溌剌とした感じに見える。

 黄色い髪留めがとてもよく似合っている。

 優奈たちから彼女の人となりを事前に聞いていなかったら、わたしはすっかり騙されたかもしれない。

 いや、そんな予断はしてはいけないと思い直す。


「お時間を取らせてごめんなさい。少しお話がしたいのだけど、いいかしら?」


「なんだかとてもお嬢様って感じの喋り方ですね!」と藤谷さんは満面の笑みを浮かべる。


「ありがとう。あなたはダンスがとてもお上手なんですってね。一度見たみたいわ」


「松田先輩って凄く素敵ですね。なんて言うか……上品って感じ?」


 目をキラキラさせてそう語る彼女はそんなに悪い子には見えない。

 ただ気になることはあった。


「ダンス部は楽しいですか?」と質問すると、「はい」と元気よく答えたあと、わたしの手元のポーチを見て、「そのポーチ可愛いですね! どこで買ったんですか?」と聞いてきた。


 わたしが丁寧に購入先を説明し、欲しいなら紹介すると話している最中に、彼女は自分の髪留めについて語り始めた。

 わたしは彼女の話に相づちを打ち、たまに自分の意見を差し挟む。

 しかし、わたしが話し出すと彼女は別のことに興味を移す。

 部長の優奈のこと、昨日見たテレビのバラエティ番組、先生への不満、憧れの恋愛について……。


 女の子同士の会話で話題がどんどん移っていくことはよくあるが、彼女の場合は基本的に他人の話を聞くのが苦手なのだろう。

 会話のキャッチボールができず、自分の思い付きで会話を進めていく。

 日野さんが「躾のなってない犬みたい」と彼女を例えた言葉が頭に浮かぶ。

 わたしに懐こうとする姿勢はうかがえるものの、コミュニケーションのスキルが足りていないようで、なるほどと思ってしまった。


 日々木さんから困った時は笑顔で押し切ればいいとアドバイスを受けていたので、彼女の奔放な会話に微笑みながら相づちを打つ形で対応した。

 時折、彼女の発言に友だちの悪口などが混ざり、そういう時だけ毅然と「そんなことを言うものではないわ」と注意した。

 不満そうな表情をすることもあったが、悪口を言いそうになると口籠もったりと少しは気を使うようになったみたいだった。


 ほとんど彼女の話を聞くだけで時間が過ぎてしまい、この会談が意味のあるものだったかは分からない。

 わたしは人見知りではないが、初対面ですぐに親密になれるほどコミュニケーションスキルが高い訳ではないので、これが精一杯だろうと自分を慰めた。


 優奈たちから聞いた藤谷さんは、相手によって大きく態度を変え、自分より目上の人には親しげに自分をアピールする一方で、目下だと判断した人に対してはかなり意地悪なことを言ったりするそうだ。

 このように表裏のかなりあるタイプの人は、過去にもわたしの周囲にいた。

 わたしの前ではとても親切で良い子を演じながら、わたしのいないところでは異なる態度を取る人たちが。

 残念ながら、わたし自身の力でそれを見抜くことはできなかった。

 小学生の頃、両親は新しくできた友だちを家に連れて来るようにとわたしに言った。

 問題のある子はわたしからその点を指摘し、それが直らないようなら距離を取るようにと忠告を受けた。

 そうしないとわたしの他の友だちが悲しむからと言われ、わたしは素直にその言葉に従った。

 中学生になると自分で見る目を養うように言われて、友だちについて何も言われなくなったものの、わたしが友だちを家に連れて行くと両親は喜んでくれる。


 それが二日前のこと。

 今日の昼休みに藤谷さんが2年1組の教室までやって来た。

 彩花と綾乃はもうひとりの1年生のところへ足を運んでいた。

 ダンス部の部長である優奈が廊下に出て彼女に応対していたが、なぜかわたしが呼び出された。


 わたしが廊下に出ると、藤谷さんは嬉しそうな顔で「こんにちは、先輩」と挨拶してくる。

 満更でもない気持ちになってしまうが、優奈が見ている手前それを顔に出さないように気を付ける。

 わたしが挨拶を返すと、藤谷さんはおねだりするように両手を合わせ、「松田先輩、あたしのダンスを見たいって言ってくれましたよね。明日の練習を見学に来てくれませんか?」とわたしが断るだろうと微塵も思っていないような笑顔で提案した。


 その申し出にわたしは固まった。

 これまでわたしはダンス部とは距離を置いてきた。

 それを知っている優奈に視線を送ると、「もし時間があるなら、見学しに来ない?」と少し硬い表情で彼女は言った。


 明日の放課後は習い事があるので断ることはできる。

 しかし、少しくらいなら見学する時間もあった。

 わたしは「明日は……」と逡巡し、「少し考えさせてください」と回答を先送りした。


 優奈は藤谷さんにわたしが習い事に通っていることを説明し、別の日でもいいじゃないと慰めているが、藤谷さんは見るからに落ち込んでいた。

 その態度のどこまでが演技かわたしには分からず、同情して見に行くと言い掛けたところで、優奈は藤谷さんに教室に戻るよう言った。

 トボトボと帰って行く彼女の後ろ姿を見て、「いいの?」と優奈に訊く。


「大げさなだけだから、美咲が気にすることはないよ」と優奈は苦笑した。


 優奈はすぐに真剣な顔に戻り、「見学の話はよく考えておいて」と小声で囁いて先に教室に戻って行った。

 わたしは考え事をしながら遅れて教室に入る。

 そこで、日々木さんと目が合った。

 今日は日野さんが欠席なので、彼女の側には安藤さんがいるだけだ。


 わたしは呼ばれたように感じたので日々木さんの席に向かった。

 日々木さんはにこやかな笑顔でわたしを迎えてくれる。


「さっきの子がダンス部の?」と聞いてくる。


 どうやら教室の入口の外で話していたのを見ていたようだった。


「そうです。ダンス部の1年生の藤谷さん」とわたしが答えると、日々木さんは人差し指を頬に当てて考え中のポーズを取った。


「何か気になります?」と尋ねたが、しばらく考えた末に「たいしたことじゃないから」と日々木さんは微笑んだ。


「松田さんはお悩み中なのに時間を取らせてごめんね」と謝ったあと、「わたしの意見じゃ参考になるかどうか分からないけど、やるかやらないかを迷っているのなら、やった方がいいよ」とドキッとするくらい深遠を見るような瞳をわたしに向けて、日々木さんは忠告してくれた。


 彼女は容姿ばかりが注目されるが、時々超越したような雰囲気を醸し出し、わたしでは手が届かない存在だと感じてしまう。

 わたしが何も言えずに立ちすくむと、日々木さんは一転して笑顔となり、「聞いてよ、可恋って身体が弱いって知っていたけど、笑顔の練習をしただけで体調崩すのよ」と話題を変えた。




††††† 登場人物紹介 †††††


松田美咲・・・2年1組。学級委員。資産家の一人娘でお嬢様。親の教育方針により公立中学に通う。


藤谷沙羅・・・1年1組。ダンス部所属。同じ1年の辻あかりと練習中にケンカして以来問題児扱いされているが、当人はあまり気にしていない。


笠井優奈・・・2年1組。ダンス部部長。美咲の親友と言える関係だが、ダンス部創設以来少し気まずい。


日々木陽稲・・・2年1組。校内で知らない人がいないレベルの美少女だが、本人はコミュ力の高さを自信の拠り所としている。それを支えているのは人を見る目。

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