第182話 令和元年11月4日(月)「思いの丈」日々木華菜

「本当に凄かったんだから!」


 わたしが思いの丈をぶちまけると、ゆえは子どもをあやすように「はい、はい」と柔らかな笑顔を向けた。


「昨日からLINEでも電話でもそればかりじゃない」とゆえに言われても、わたしはいまだに醒めやらない興奮で頭がいっぱいだった。


「でも、本当に本当に凄かったのよ!」


 自分のボキャブラリーが足りないことをこれほどもどかしく思ったことはない。

 わたしは昨日の体験をどう言葉にすればいいのか、いまのわたしの気持ちをどう伝えればいいのか、このままだと忘れていってしまうんじゃないかと焦るような思いに駆り立てられていた。


 それほど昨日は特別な夜だった。

 可恋ちゃんの家で行われたホームパーティ――というより晩餐会と言った方が適切だと感じる席で、わたしは最高の体験をした。

 その女性の出張料理人は普通に予約をしたら1年も2年も待つ必要があるという人気の方で、今回は特別に依頼してすぐに来てもらうことができたそうだ。

 わたしは料理が大好きで、テレビや雑誌で高級料理を見るのも好きだった。

 まだ高校生だからそういう料理を口にする機会はほとんどないが、こんな感じかなと想像していた。

 しかし、それが想像に過ぎないことがよく分かった。

 本物は凄い。

 想像を超えたところにある。

 料理は五感をフルに使って味わうものだと実感した。

 テレビなどで見た目は伝わっても、香りや触感は伝わらない。

 ましてや味は決して……。


 わたしは昨日の料理を微に入り細に入り思い付く限りの言葉で語った。

 ゆえはこんな饒舌なわたしに驚いているだろう。

 両親は休日だけど今日は仕事だし、妹のヒナは可恋ちゃんの家に泊まってまだ帰って来ていない。

 この熱い感情をひとりで抱え込むことができず、わざわざゆえに来てもらったのだ。


「ごめんね、ゆえ。わたしひとりで喋りまくって」とさすがに気を悪くしていないか心配になってわたしは謝った。


「いいよ。こんなカナ、初めて見て、面白いなって思ってるだけだから」とゆえは笑ってわたしが淹れた紅茶をすする。


「でも、なんでこんなにカップケーキが大量にあるの?」とゆえはわたしの部屋のテーブルで山盛りになっているカップケーキを訝しげに見た。


「あー、ゆえが来てくれるまでこの思いを伝える相手がいなかったら、ついね……」


 わたしは気を紛らわせるためによくお菓子作りをするが、今日はさすがに作り過ぎた。

 あとで純ちゃんの家にもお裾分けに行こうと思っている。

 わたしの言い訳を聞いて声を立てて笑ったゆえは、「でも、羨ましいな」と呟いた。


「いまのわたしでは全然技術が足りなくて作れないけど、いつかきっとゆえにも食べさせてあげる」


 わたしが決意を込めて言うと、「ありがとう」とゆえは微笑み、「もちろん料理もとても羨ましいんだけど、そういうパーティに参加できることが羨ましいなって」と口にした。


「ゆえはいろんな人と交流しているし、パーティみたいなものもやっているんじゃないの?」


 ゆえは顔が広く、交流の場にも積極的に参加する。

 合コンの幹事までやっている。

 友だちがたくさんいるゆえを羨ましいと思ったことは数え切れないほどあった。


「うーん、わたしがやっているのは中学生高校生のその中での交流だからね。もっと広い世界を知らないとダメかなって可恋ちゃんを見てると思うようになったの」


 ゆえは凄いなと素直に思う。

 わたしにとって可恋ちゃんは凄すぎて、料理以外のことは真似たり比べたりする相手ではないと思っている。

 歳下だけど、彼女は特別だから……。


「キャシーのご両親から感謝祭のホームパーティに招待されたの。感謝祭は28日の木曜日だけど、平日だからその週末。ヒナと可恋ちゃんは行くけど、親は仕事だし、わたしは迷っているの。英語が話せないしね……。向こうがオッケーしてくれたらだけど、ゆえ、来てくれないかな。ゆえならキャシーとも面識あるし」


「行く」とゆえは自分のスケジュールも確認せずに即答した。


「ゆえは凄いね。あの可恋ちゃんに負けないって気持ちがあって」と感心すると、「カナだって料理では負けないって言ってるじゃん」とゆえは笑った。


「料理だけだよ」とわたしが言うと、「わたしだって自分のいちばん得意なところで負けたくないと思っているだけだよ。可恋ちゃんと料理で競って敵うなんて思ってないもの」とゆえが答えた。


 目から鱗が落ちた気がした。

 料理しか敵うところがないと思い、気後れを感じることもあった。

 だけど、わたしだって料理なら勝負を挑むことができると前向きに捉えていいんだ。

 そういう発想ができるゆえは凄いとわたしは感心した。


「ハツミたちも行けないか聞いてくれる?」というゆえに、わたしは頷く。


 たとえゆえたちの参加が断られたとしても、わたしはキャシーのホームパーティに参加しようと心に決めた。

 わたしは昨日の出張料理人、黒松さんの言葉を思い出す。

 わたしと変わらない体型で、パッと見は本当に普通の人なのに、彼女は堂々としていて存在感があった。

 わたしがどうすれば黒松さんのようになれるのか尋ねると彼女はこう言った。


「たくさんの経験を積むことが大切です。特に実際に自分の目で見て、耳で聞いて、香りを嗅いで、手で触れて、舌で味わうこと。可能な限り最高級のものを体験すればそれは財産になると思います」


「でも、わたしはまだ高校生だし、お金もないし、ひとりで高級レストランに入るなんてできないし……」とわたしはできないことを数えてしまう。


「そうですね。しかし、社会に出れば口を開けて待っていても誰も餌を運んできてくれません。自分のやりたいことをやるためには、自分で道を切り開くしかないのです」


 それは自分で道を切り開いてきたという自負に満ちた発言だった。


 高校生でも入れる店はたくさんある。

 お金はバイトで稼ぐことができる。

 ひとりでレストランに入れないなんて、そんなところで臆しているようでは自分の夢なんて叶えられるはずがない。


 キャシー家のパーティは料理とは直接関係ないかもしれないが、これもきっと経験だ。

 わたしはゆえの顔を見る。

 友だちのたくさんいるゆえが、わたしの頼みに応えて今日は駆けつけてくれた。

 ゆえに友だちであることを誇ってもらえる存在でありたいなんて、高望みしすぎだろうか。

 しかし、いまは心からそう思った。




††††† 登場人物紹介 †††††


(キャシーが泊まっていくと駄々をこね、陽稲も対抗して泊まることになった昨日の夜のこと)


日野可恋『キャシーは英語を勉強すべきだわ』


キャシー『なんだって?』


日々木陽稲『日本語じゃなくて?』


可恋『キャシーはもともと低かった英語の理解力が日本に来たことでまったく成長していない。文化祭に歳下の子を連れて来ていたけど、同年齢の子たちにはガキ扱いされて相手にしてもらえてないんじゃない?』


キャシー『どうしてそれを!』


可恋『やっぱりね。ご家族はスポーツの世界に進むなら勉強しろと言わなくても良いかと考えてるようだけど、私はバカは相手にしないわよ』


キャシー『ワタシはバカじゃないぞ!』


可恋『だったら、感謝祭のホームパーティに同じ年齢の友だちを連れて来なさい』


キャシー『わ、分かった。それくらい簡単だ』


陽稲『大丈夫なの、キャシー』


キャシー『心配いらない。ヒーナ』(キャシーは力こぶを作ってみせ、陽稲は頭を抱えた)

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