第183話 令和元年11月5日(火)「理不尽な先輩」秋田ほのか

「あなた、他の1年生のことバカだと思ってるでしょ?」


「だったら、何なんですか」


 私は眼鏡越しに先輩の顔を睨みつけた。

 相手は私より頭一つ分くらい背が高い。

 それでもお構いなしに私はこの失礼な先輩に敵意をむき出しにしていた。


「自分を棚に上げて他人を見下す人は大人にも多いからあなたに限った話ではないけど」と私の態度を意に介さず前置きすると、「あなたのダンス部の改革案を見たわ。ひどいものね。まったく使い物にならないわ」と見下すように言った。


 昼休み。

 ダンス部の副部長が教室に来て私を呼び出した。

 廊下には副部長以外にもうひとりいて、私と話がしたいと言った。

 日野と名乗ったこの女子生徒は、副部長が「またあとで来るね」と言ってその場を離れるなり先の言葉を言い放ったのだ。


「やってもいないのに何が分かるんですか!」


「やらなきゃ分からないの?」と先輩はバカにしたように私の反論に答える。


 私は瞬時に頭に血が上り、眼鏡が曇ったことに気付く。

 ダンス部では見た目を考慮してコンタクトを使っているが、今日は練習が休みだ。

 私はこの苛立たしさのすべての原因である先輩に対し声を荒らげた。


「できない訳がないです! 私ならできます! できる人だけでやればいいです!」


 なぜこんな簡単なことが分からないのかと私は熱くなる。

 目の前の先輩はそれとは対称的に冷たい眼差しを私に向けた。


「そう言うのなら、あなたひとりでやれば?」


「こんな簡単なことができないなんてバカじゃないです! バカは必要ありません」


 私は熱に浮かされるように大声を張り上げた。

 ダンス部の改革案は一晩寝ずに考え抜いて書いた私の魂の籠もったものだ。

 少数精鋭の最高のダンスチームを作るための最善の計画だと自画自賛している。


 先輩は溜息を吐くと、「会話もできないなんて、小学生からやり直したら?」と口にした。


「何様よ! あなたに何が分かるのよ!」


 それまでかろうじてあった、先輩に敬語を使うという分別も吹き飛んだ。

 こんなバカは相手にならない。

 時間の無駄だ。


「じゃあ、あなたは何様なの?」と先輩が不敵な笑みを浮かべた。


「私の成績は……」と反射的に答えようとすると、「学年上位ってだけでしょ。せめて学年トップを取ってから誇って欲しいわね」と鼻で笑う。


 なぜ私の成績のことを知っているのかという疑問よりも、痛いところを突かれたという思いがまさった。

 私の試験の成績は自信の拠り所のひとつだが、学年トップを取ったことはない。

 定期テストの学年順位が発表される訳ではないが、上位陣の点数はなぜか正確な数字が噂で流れてくる。

 男女数人ずつ私より確実に上の結果を残した生徒がいることを知っていた。


「あ、あなたは……」と言い掛けた途端、目の前に成績表が突きつけられた。


 1学期の中間テストのもので、恐ろしいことに満点が並んでいる。

 私がそれを見て口籠もると、「世の中にはテストの点でしか頭の良さを判断できない人が多いからね」とつまらなそうに彼女は吐き捨てた。


 そして、今度は別の紙を私に手渡した。

 そこには「退部届」と大きく書かれていた。


「な、何よ、これ!」と驚くと、「字も読めないの?」と私の感情を逆なでしてくる。


「そ、そういう意味じゃない」と大声で言い訳する。


 なんで私に退部届が渡されるのか、その意味を問うているのだ。

 そう言う前に、「個人種目なら構わないけど、団体競技には仲間をリスペクトできない人は不要なのよ」と先輩は淡々と告げた。


 私は「不要」の言葉に目の前が真っ暗になった気がした。

 眼鏡が曇ったせいではなく、文字通り目の前が真っ暗になることがあるんだと変な感心をしてしまったのは現実逃避のせいかもしれない。

 しばらくの間、私の思考は完全に停止していた。

 ようやく頭が働き出して思い浮かんだのはひとつの疑問だった。


「どうして部長でもないあなたが、退部届を突きつけるようなことができるんですか!」


 先輩は「頭の回転が遅いわね」と嘆いてから、また別の紙を私に見せる。

 委任状と書かれた紙には部長、副部長に加えて顧問の先生の名前まで書き込まれていた。


「話はついているの。岡部先生を説得するのは大変だったけど、最後には理解してもらったわ。退部しても希望すれば個人指導をしてくれるそうよ。優しい先生で良かったわね」


 私はよろめきそうになり、廊下の壁にもたれかかる。

 まったく理解不能だった。

 理不尽と言っていい。


「私はダンス部の1年生の中でいちばん上手いんです。1年生だけでなく、部長と渡瀬先輩の次だと思っています。その私がどうして辞めさせられるんですか!」


 私ほど熱心に練習している部員もいないと思っている。

 まったく意味不明だ。

 部長からは1年生のリーダーにだって指名されていたのに。


 うちは貧乏だが、親は私に希望を見出し、勉強にはお金を掛けてくれた。

 勉強しろとうるさくはあったが、小学生の時から塾に通い、私は必死に勉強した。

 そんな私の唯一の趣味がダンスだった。

 安上がりな趣味ということもあって、親も許してくれた。

 勉強と同じようにコツコツ練習して少しずつ踊れるようになることに喜びを感じていた。


 中学では運動会で創作ダンスの発表がある。

 私はそれをとても楽しみにしていた。

 これまではずっとひとりで踊ってきた。

 グループで踊ることでもっと素敵なものができると思っていたのだ。

 しかし、現実は甘くなかった。

 クラスメイトとは揉めまくり、当然ダンスも満足とはほど遠いものとなった。


 そんな時に見た上級生のダンスは私の新たな希望となった。

 来年にはもっと素晴らしいダンスが踊れるのではないかと。

 そして、ダンス部創設の話を聞いて、私は飛びついた。


「話を聞いてなかったの?」と頭の悪い生徒に困り果てた教師のような顔をして先輩が言った。


 話は聞いていた。

 記憶力には自信がある。

 それなのに、何がいけないのかが分からない。


「あなたは他の1年生を見下している。でも、さっきも言ったように団体競技では仲間をリスペクトできない人は必要ないの」


「……どうして?」とその言葉にピンと来ない私は聞き返す。


「チームスポーツとはそういうものなのよ。それが理解できないなら個人でやればいい」


 そこには先ほどまでの私を糾弾するような強い思いは込められていないようだった。


 どうしたらいいんだろう。

 このままだとダンス部を辞めさせられる。

 それなのに、どうしたらいいのかがまったく分からない。


「時間をあげるわ。ただ、あなたが私の言葉を嘘だとか陰謀だとか言って、自分と向き合うことから逃げるのなら時間の無駄になるだけよ」


 先輩からこれまでなかった射すくめるような視線を感じた。

 私の考えを見透かされた気がした。

 なぜなら、これは理不尽な先輩が私を部から追い出すための陰謀だと考え始めていたからだ。

 だって、どう考えても、私が辞めさせられるなんておかしなことだから。


 副部長が戻ってきた。

 私を見て、何か言い掛けて口をつぐむ。


「副部長には……”団体競技では仲間をリスペクトできない人は必要ない”って言葉の意味が分かりますか?」


 私は絞り出すように言葉を紡いだ。

 副部長はそれを聞いて目を瞬かせ、それから「リスペクトするから仲間でしょ?」とさも当然という顔付きで答えた。


「リスペクトって尊敬という意味ですよね?」と尋ねると、「うーん、この場合は敬意を払うって感じかな」と真剣な顔で答えてくれる。


「……敬意」と私は訝しい気持ちで繰り返す。


「そうね、抽象的なことを考えることができないようだから具体的な課題をあげましょう。1年生の部員それぞれの、あなたより優れたところを見つけなさい」


 それまで黙っていた日野先輩が人差し指を立てて言った。


「私より優れたところ?」


 副部長が胸の前で両手を合わせ、「それは良い課題だね」と微笑んだ。


 他人の欠点はすぐに見つけられるが、自分より優れたところだなんて考えたこともなかった。


「藤谷もですか?」と問題児の名前を挙げると、「もちろんよ」と課題を出した先輩が即答した。


 予鈴が鳴り、ふたりの先輩は自分たちの教室に帰っていく。

 去り際に、日野先輩が「特に期限は設けないけど、答えを出すまでは練習は自粛してね」とほとんど退部勧告のようなことを氷のように冷たい声で言った。

 副部長は心配そうな顔をしていたが何も言わずに立ち去った。

 私は本鈴が鳴るまでその場に立ち尽くしていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


(2年1組の教室に戻りながら)


須賀彩花(ダンス部副部長)「何も泣かさなくても……」


日野可恋「(微笑みながら)何様って言われたからね」


須賀彩花「!(足を止め、凍り付く)」


日野可恋「それは冗談として、荒療治だけど鼻っ柱を折ったからあとは本人次第ね」


須賀彩花「大丈夫かな……」


日野可恋「サポートするのはいいけど、安易に助けないようにね。1年生だから本当は時間を掛けて本人に気付かせるのがベストかもしれない。でも、創設したばかりのいまのダンス部では厳しいわ」


須賀彩花「うん……。だけど、わたしにできることがないか考えてみる!」

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