第172.5話 令和元年10月25日(金)「本番」高木すみれ
「それでは、ファッションショーの開演です!」
日々木さんが舞台の中央に立って高らかに宣言する。
その言葉の直後にスピーカーから大音響が流れ出した。
アップテンポの洋楽が雨音をかき消し、照明が少し落とされた。
あたしは舞台袖でビデオカメラを構えていた。
表側の撮影は男子が担い、あたしは楽屋などの舞台裏を担当する。
あたし自身もモデルとして参加するため、客席側から見れないのはとても残念だ。
ふしぎの国のアリス風の可愛いワンピースを着た日々木さんの元へ、キュートな姿の日野さんが歩み寄る。
普段のかっこいい感じではなく、可愛らしさを強調していた。
……それでも、可愛いより格好いいと感じてしまうんだけどね。
日野さんが日々木さんをエスコートしてランウェイを歩き始める。
堂々としていて本物のモデルのようだ。
舞台袖からはランウェイの先は見えない。
「次、行くよ」の声と友に、松田さんと笠井さんがあたしの横を抜けて舞台に出て行く。
日々木さんたちとは違い、ふたりは男性的なストリートファッションで決めている。
舞台の中央辺りでふたりにスポットライトが当たると、観客からどよめきのようなものが上がった。
チラリと見た限り、観客席はかなり埋まっていた。
大半が女子のようだ。
あたしは自分の番が回ってくるまで、舞台袖で出番を待つクラスメイトの姿を撮影した。
みんな、緊張感を漂わせている。
出番が終わったあと楽屋からすぐに戻って来た日々木さんが彼女たちに「リラックスね。楽しんで行こう」と声を掛けている。
最初は須賀さん、途中からは笠井さんの合図で、モデル役が舞台に向かう。
講堂の中は音楽が溢れているのに、彼女たちが唾を飲み込む音ははっきりと聞こえるのだから不思議だ。
ガーリーな衣装を身につけた藤原先生が舞台袖にやって来た。
20代半ばだが、童顔なので中高生っぽい服装でもさほど違和感がない。
あたしは先生とペアを組む。
自分の番がもうすぐとなり、あたしはビデオカメラを日々木さんに託し、ゆっくりと息を吐いた。
撮影担当としてはとても楽しいファッションショーだが、自分がモデルとして人々の前に立つのは恐怖以外の何ものでもない。
そんな気持ちが伝わったのか、「ほら、笑って」と日々木さんに言われた。
彼女は舞台の上でも、この舞台袖でもずっと笑顔を保っている。
「日々木さんは怖くないの?」とつい聞いてしまう。
以前、彼女は大勢の前では緊張すると言っていた。
ピアノの発表会で頭が真っ白になりまったく弾けなかったと聞いたけど、もう完全に克服したのだろうか。
「怖いよ。とっても緊張する。可恋が側にいてもね。でも、だから笑顔でいようって思ったの。わたしが不安そうにしていたら、みんなも不安になっちゃうでしょ。きっと可恋も同じだと思うし」
日野さんの堂々とした姿は演技ではなく素のような気がするが、あえて反論する必要はないだろう。
……やっぱり凄いな。
中学生でもそれだけ周囲に気を使えるなんて。
あたしはこの文化祭が終わると美術部の部長に就任する。
あたしに日々木さんのような気遣いができるだろうか。
そんな思いを「高木さんならできるよ」と日々木さんが吹き飛ばしてくれた。
あたしはぎこちない笑顔を浮かべて頷いた。
もっと頭が真っ白になるかと思っていたら、実際に舞台に立つとそこから見える光景に惹きつけられた。
多くの顔がこちらを見ている。
1年生の時の合唱だとそんなに見られている感じはしなかったが、いまは熱い視線を浴びるとはこういうことかと思ってしまうほどだ。
ランウェイを歩くと、あたしと藤原先生に視線が集中する。
舞台袖からは遠くて、いっぱいいるとしか思わなかった観客が、ランウェイでは近くて、ひとりひとりの顔がハッキリ見えた。
……視線ってこんなに違うのか。
たまにオタクだからと蔑む視線を浴びることはあるが、たいていは普通のなんでもない視線を向けられるだけだ。
こんなに強い、パワーのある視線なんてそれこそフィクションの演出にしか存在しないと思っていた。
そして、気付く。
日々木さんたちはこういう視線をいつも浴びているんだと。
視線はあたしの感情を高ぶらせたけど、一方で怖さも強く感じた。
テンションは上がるのに、疲労感もどっと押し寄せてきた。
息も絶え絶えといった感じでランウェイを歩き終え、舞台袖に入った時には倒れんばかりにへとへとだった。
「お疲れ様」と日々木さんが笑顔で出迎えてくれた。
その日々木さんがあたしと入れ違いに舞台に立つ。
今度は男の子っぽい出で立ちだ。
髪はまとめて帽子に隠しているので、本当に少年のように見える。
観客の黄色い歓声が上がり、それが落ち着くのを待ってから話し始めた。
「2年1組のファッションショーにお集まりくださり、ありがとうございます。このショーは多くの方の協力によって開催することができました」
そして、協力してくださった先生方などの名前を挙げ、感謝を伝える。
「それではショー後半の前に、ダンス部によるパフォーマンスをご覧ください!」
講堂内にどよめきが起きた。
スポーティな衣装を着た笠井さん、須賀さん、渡瀬さんの三人が駆け出して行く。
日々木さんが話している間は静かだった音楽が切り替わり、激しいダンスミュージックが鳴り響いた。
三人はランウェイで踊り始めた。
あたしはつい身を乗り出して見てしまう。
いまなら彼女たちに観客の目が釘付けなので平気だろう。
ベースは運動会の創作ダンスだが、更にクオリティが上がっているように見えた。
「上手くなってるね」
「ひっ!」
まったく気配がないままあたしの後ろに来て舞台を見た日野さんがそう言って、あたしは小さな悲鳴を上げた。
「驚かさないでください」
「ごめん、ごめん」
誠意のない謝罪の言葉にあたしは肩をすくめた。
ダンス部の三人が戻って来ると、いよいよ後半がスタートする。
カオスの時間の始まりだ。
トップバッターは日野さん。
漆黒のドレスは魔王の名にふさわしい……なんて口が裂けても言えないけど。
中学生らしさはどこへ消えたのかと首を捻りながら、あたしはビデオカメラを日々木さんに再び任せて着替えのために楽屋へ向かった。
楽屋は熱気と臭気に包まれていた。
ウッと息を止めてしまう。
あたしは手近にあった消臭スプレーを撒いたが、焼け石に水という感じだった。
「高木さん、急いで」と笠井さんに呼ばれ、慌てて着替えに向かう。
あたしの衣装は魔女のコスプレだ。
キョンシー風の結愛さんと楓さんを従えて登場するので、ハロウィーン仕様というのが正しいかもしれない。
色物枠で扱われることにちょっぴり不満を感じていたが、前半のランウェイで疲れ果てたのでこっちの方が気楽に感じた。
楽屋は想像以上の慌ただしさになっていた。
舞台に向かう生徒へは「ゆっくり歩いて来て」と声が掛かる。
着替えが終わり、メイクを調整してもらったあたしは、「何か手伝おうか」と聞いたが、「すぐに出番だよ。なるべく時間稼ぎして」と頼まれただけだった。
あたしはふたりを伴って舞台袖に行く。
日々木さんの顔に疲れと焦りがわずかながら見て取れた。
それでも無理をしてあたしたちに微笑みかけてくれた。
「楽しんできて!」
あたしは彼女の言葉にしっかりと頷き、舞台に出て行く。
観客を退屈させない程度に時間稼ぎをするなんてさじ加減はあたしにはできない。
……あたしは魔女。あたしは魔女。あたしは魔女。
あたしは思い通りに動かないふたりの使い魔をどうにかしようとする魔女という感じで一芝居うった。
適当な思い付きだし、打ち合わせもしていない。
セリフのない小芝居だが、結愛さんと楓さんがあたしの意図を察して付き合ってくれたお蔭で顰蹙ものにはならずに済んだ。
お客さんの反応なんて気にする余裕は全然なかったが、舞台袖に戻ると「凄かったよ!」と日々木さんが褒めてくれた。
あたしとしては彼女の喜ぶ顔を見れただけでやった甲斐があった。
その場にへたり込むあたしに、日々木さんは「休んでいていいよ」と言ってくれた。
あたしは結愛さんと楓さんに抱えられるようにして楽屋へ戻った。
楽屋ではなぜか英雄扱いされた。
「助かった!」と口々に言われる。
舞台上では時間の感覚はなかったが、思いのほか時間を使えたようだ。
「意外な才能ね。演劇部に入ったら?」と日野さんが笑顔で言った。
「みんなの頑張りを見て、夢中でやっただけですから……」
「ありがとう。森尾さんと伊東さんもね、本当に感謝するわ」と日野さんが労ってくれた。
カーテンコールまで休ませてもらい、最後はみんなで楽屋を出る。
カーテンコールは男子を含めたクラス全員が舞台に立って観客に挨拶をする。
男子はハロウィーンに合わせて思い思いの仮装をした。
あたしは隅っこの方にいるつもりだったのに、「今日のMVP」と日野さんに言われて結愛さんたちと一緒に真ん中に連れて行かれた。
カーテンコールでは拍手が鳴り響いた。
やり遂げた充実感が湧いてくる。
頭を下げ、手を振って、拍手に応える。
女子は連れ立って楽屋に戻る。
もう暑さも寒さも臭いのひどさも何も気にならなくなっていた。
達成感と虚脱感が漂う中、最後に戻って来た日野さんがみんなを見て言った。
「明日こそが本番よ。反省会始めるわよ!」
えー、勘弁してよ……という全員の思いを撥ね除ける鋭い視線で、日野さんは女子全員に活を入れた。
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