第171話 令和元年10月24日(木)「文化祭前夜」日野可恋

 今日はひとりだとドキドキして眠れそうにないからと、ひぃなが泊まりに来た。

 明日から文化祭。

 気持ちが高ぶっているようで、ひぃなはいつもより落ち着きがない。


「なんで可恋はそんなに落ち着いていられるの?」と非難がましく聞かれるが、ひぃなの舞い上がっている様子を見ているからと答えたら火に油を注ぐことになるだろうか。


「明日は校内向けだから、リハーサルのようなものよ」と私は答えた。


「でも、でも、緊張するよぉ」とひぃなは力説した。


 彼女はファッションショーの司会進行の大役を担っている。

 1対1でのコミュニケーションではまったく緊張しないのに、大勢の前で話すことは得意ではない。


「じゃあ、雨で中止になるのを望むの?」といじわるな質問をすると、ひぃなは大きく首を横に振り、「それは絶対にイヤ!」と叫んだ。


 台風の影響で明日は大雨の予報となっている。

 警報が発令されれば、最悪明日は中止の可能性もある。

 土曜日の一般公開だけになってしまっても私は構わないが、ひぃなは明日もやりたいと強く訴えた。


「天候ばかりはどうしようもないね。それにしても、雨男・雨女がいるんじゃないかって思うくらいイベントは雨に祟られるわね」


「そうだよねー。運動会の時もバタバタしたものね」とひぃなが頷いた。


 運動会は幸いにも当日は雨が降らず、運動場で開催できたが、前日までは雨の予報で体育館での開催準備をしていた。


「いるとすれば、1年生でしょうね」と私が言うと、「そうなの?」とひぃなが首を傾げる。


「1年生の遠足の時も大雨で学校が休校になったのよ」


「あー、あったね」


 予定通りに計画を進めていきたい私はこういう不測の事態が嫌いだ。

 そういう可能性を計算に入れているとはいえ、はた迷惑この上ない。


「1年生と言えば、原田さんたちは大丈夫そうなの?」


 ひぃなが心配そうな顔になって私に尋ねた。


「わずか1週間での突貫作業だからね。厳しいことには変わりないみたいよ」


 原田さんのクラスはお化け屋敷の企画は時間的に無理だと判断され、急遽合唱に変更された。

 指導している小林先生はもう少し時間があればと頭を抱えていたらしい。

 しかし、時間がないことも問題だが、やる気不足も深刻そうだ。


「去年の1年3組も麓さんたちのせいで問題のあるクラスだったと聞いているけど、今年の1年3組は別の意味でかなり大きな問題があるわね」


「別の意味って?」


「クラスがバラバラなのに、教師もまとめることを放棄してたから」と私が指摘すると、「あー」とひぃなが声を出す。


「去年の1年3組は麓さんたちに対抗するために千草さんが中心となって団結していたっていうしね。彼女のようにまとめられる生徒がいない上に、担任が放置じゃ悪くなる一方だったんでしょうね」


「それは辛いね」とひぃなは沈んだ表情を見せた。


 イジメが発覚してようやく担任教師に指導が入ったが、クラスの問題は担任の能力に左右されやすい。

 生徒にとっては担任の当たり外れは運任せとなっている。


「空気って大事なのよ。想像している以上にね。人間は社会性のある動物だから周囲の空気にもの凄く影響を受けるの。本人は気付いていなくてもね」


「可恋でも?」


 私は頷いてから、「短時間なら警戒していれば平気だけど、毎日通う場所だとそうもいかない。じわじわと浸食されるわ」と答えた。


「そっかー」


「原田さんたちは手芸部を作って昼休みは家庭科室に避難していたから少しはマシだったんだろうけど、ネガティブな感情は感染するのよ」


「わたしも相手の感情に引き寄せられることがあるからなあ……」


 ひぃなは他人の感情を読み取ることにかけては人並み外れたものがある。

 一方で、その相手の感情に引きずられやすい性質でもある。

 相手に共感できることは長所ではあるが短所にもなりうる。

 しっかり自覚してコントロールできれば強みになるだろう。


「ネガティブな感情を強く持つ人や場所は避けられるものなら避けた方が良い。それが処世訓としては正しいでしょうね。ただし、いつでも避けられる訳じゃないし、そうやって排除していけば、排除された側は恨みが募ることになる。排除された人たちを自己責任、自業自得だと非難するのなら、そういう人たちから攻撃されても自己責任、自業自得だと言えるわ」


「じゃあ、どうするの?」


「余裕があれば、そういう人たちをポジティブに変えていく努力をすることね。それが回り回って自分にもプラスとして帰ってくる。情けは人のためならず、の言葉通りに。でも、いまの日本はそんな余裕がない人ばかりだと言われているわね。本当にそうかどうかは分からないけど」


「うちのクラスは良い雰囲気だよね」


「そうね。須賀さんなんかはその影響がかなりプラスに働いていると思うわ」


「これってやっぱり可恋の力なの?」


「うちのクラスだってキャンプの頃までは結構ギスギスしてたよね。面倒事を個別に捌いていくより、そういう面倒事が起きないようなクラスにした方が楽だと思ったのよ」


「キャンプはいろいろあったものね」とひぃながしみじみと語る。


「私ひとりの力ではないけど、あれで膿を出せたのは大きかったわね」


 大きなトラブルではあったが、それがかえってクラスをまとめることに繋がった。

 もちろんそのために様々な手を打ったからできた訳だが。


「あと、文化祭でのファッションショー開催という大きな目標を打ち出せたこともプラスに働いたわね」と私はひぃなに微笑んだ。


「あれから放課後にみんなで練習したり、話し合ったりすることが増えたものね」


 そういう意味で学校行事はクラスをまとめるのに役立つ。

 ただし、ひとつ間違えれば押しつけと感じられてしまう。


「明日、明後日がその集大成だから頑張らないとね」


「そうだね……、寂しくなるね」とひぃなは切なげに息を吐いた。


「寂しいと思うのなら、ひぃながみんなを巻き込んで何かすればいいじゃない」


 私の言葉にひぃなが目を輝かせる。


「何かって?」


「それはひぃなが考えることでしょ」


「でも、可恋は冬場は学校に来れないことが多いよね。わたしひとりでできる?」


「別にひぃなひとりでやろうと思わなくても、協力してくれる人は多いでしょ」


「うーん、そうだけど……」


「難しく考えることはないよ。協力してくれるってことは相手にもメリットがある訳だしね。ひぃなと一緒に何かできるってだけでも嬉しいものだよ」


「分かった。考えてみる」


 ひぃなはそう言ってにっこりと微笑んだ。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・中学2年生。事前にできることはすべてやった。心配は天候だけ。


日々木陽稲・・・中学2年生。可恋が落ち着いているから安心できるけど、それでもそわそわしてしまう。

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