第168話 令和元年10月21日(月)「通し稽古」日々木陽稲

 ひとりだけ真冬かと思うような厚手のコートを着た可恋が廊下で険しい顔をしている。

 片手にストップウォッチを持ち、時折「次!」と鋭い声を上げる。

 廊下には、楽屋から舞台の袖までの距離を示した緑のテープ、そこから壇上をランウェイのところまで進む部分を示した黄色のテープ、そして、ランウェイを示した赤のテープが貼られている。

 さすがに直線だと他の教室の入口を塞いでしまうので、階段の踊り場の方向へ進み、そこから折り返して2年1組の教室の前の廊下を通る形だ。

 教室を楽屋に見立て、本格的なウォーキングの練習が始まった。


「次! そこ、準備遅いよ!」


「ごめんなさい」と可恋に叱責された塚本さんが謝っている。


 わたしは廊下でウォーキングのチェックをしているが、どうやら楽屋がバタバタしているようだ。


「リラックスしてね」とわたしは塚本さんに声を掛ける。


 塚本さんと麓さんが並んで歩くものの、お互いが離れすぎだ。


「そこ、手を繋いで!」とわたしがリクエストすると、塚本さんが驚いて固まっている。


 麓さんはかなり嫌そうな顔をしているが、「ほら」と催促すると嫌々といった雰囲気で手を繋ぐ。


「もっと楽しそうに!」と言っても、ふたりの距離は遠いままだ。


「ちゃんと指示に従うように」と可恋が冷たい声で言うと、ようやく近付いた。


 まだ仲が良い雰囲気は微塵も感じられないけど。

 麓さんは可恋の言うことしか聞いてくれないので、わたしは可恋のところまで行って、「このふたりはもう少しどうにかならないかな」と相談した。

 可恋はわたしをジロリと睨み、ふたりを呼んだ。


「ひぃながお気に召さないみたいなので、言う通りにするように。麓さん、少しくらいは演技をして。やらないのならあなたの恥ずかしい写真をお兄さんに送るわよ」


 可恋の脅迫に麓さんはそっぽを向いてフンと鼻を鳴らす。

 可恋はスマホをポケットから取り出すと素早く操作した。


「とりあえず第一弾を送ったわ。第二弾は合宿の時のドレスの写真をあなたのお兄さんと小西さんに送るわね」


「おい、待て!」と麓さんが慌てて可恋に食ってかかる。


「忠告するのが遅くなったけど、今日の可恋はいつもの数倍機嫌が悪いから気を付けた方がいいわよ」とわたしは溜息をつきながらそう教えてあげた。


 今日はみんな制服姿で練習している。

 廊下は少し肌寒くて、ずっと立っているとちょっと冷える。

 可恋はコートまで着て防寒対策をしているのに、それでも寒くて機嫌が悪化している。


「塚本さんも気を付けてね」とわたしが言うと、塚本さんは激しく首を振って肯定した。




 通しでのウォーキングの練習が終わり、教室の中で反省点をチェックする。


「ひぃな、やっぱり無理」


 可恋が不機嫌な理由のもうひとつがわたしの提案だった。


「えー、だって前半と後半で衣装が替わるんだから、メイクや髪型も変えたいじゃない」


「手が足りないし、時間も足りない」と可恋が却下する。


「着替えを練習して時間を短縮できない?」と聞くと、「少しは短くできても、焦ってミスしたら余計に時間を取られるよ」と可恋は否定的だ。


 わたしはすがるように着替えやお化粧を担当する松田さんたちを見る。

 しかし、松田さんは「難しいと思います」とうなだれた。


「松田さんたちもモデルをやるからね。いまでもかなりギリギリなんだよ。これ以上の負担は避けた方がいい」


 可恋にそう言われても諦め切れず、わたしは「他に手を借りるとか」と口にする。

 可恋は顔をしかめて、「クラスの出し物だからね」と即座に却下した。


「男子も音楽や照明、警備など役割を担ってる。一部予備として担当のない生徒がいるけど、事実上戦力外なので役に立たないよ」


 男子を楽屋に入れる訳にはいかないので、最初から男子の手を借りることは考えていない。

 可恋が言いたいのは、女子にもモデルしか担当のない子がいて、その子たちに手伝ってもらおうとするならわたしが動くしかないということだろう。

 具体的には、純ちゃん、三島さん、麓さん、森尾さん、伊東さんだ。

 やる気にさせるだけでもハードルが高いが、メイクの技術、段取りの把握、周囲との連携など一から覚えてもらおうとすれば大変な労力が必要だろう。


「全員は無理でも、ひぃなが自分で頑張れる分はやって構わないから優先順位をつけて対応して」


 落ち込みかけたわたしを可恋がフォローしてくれた。

 松田さんたちも着替えなどに余裕ができれば手伝ってくれると言ってくれた。

 わたしは楽屋での助手に純ちゃんを指名して、可恋のフォローを受け入れた。


「じゃあ、もう一度通しの稽古よ。今度は着替えの時間を30秒長く取るわよ」


 実際に着替えはしないが、各自更衣場所で指定された時間座って待つことになっている。

 衣装合わせを済ませた生徒は着替えの時間を実測していて、それを目安にしているが、着替えが手間取る可能性を可恋は心配していた。


「あと、待ち時間を書いたカードは封筒に入れてる。その封筒のいくつかに『トラブル』のカードも入ってるから、そこに書かれた時間も追加してね。モデル担当がつきっきりで対応できたら20秒短縮していいからね」


 いつの間にか可恋はそういう仕込みをしていたようだ。


「高木さん、カウントお願い」と可恋が言うと、「それでは始めますね。3、2、1、0」と高木さんがカウントダウンをした。


 高木さんは本番では撮影を担当する。

 リハーサルでは時間の計測を可恋から頼まれていた。


 最初は既に一着目の衣装を着ている前提なので、モデル担当の指示通りに舞台に出て来る。

 わたしと可恋が一組目なので、ふたりで並んで歩いて楽屋代わりの教室に入る。

 本来ならわたしと可恋も着替えをするが、確認作業のためにわたしたちは廊下に出て様子を見る。

 クラスの女子は15人なのでペアだと1人余る。

 そのため藤原先生に数合わせで入ってもらうことになっている。

 今日は練習に不参加なので、高木さんだけひとりで歩いた。


 前半が終わると、ちょっとしたイベントが用意されている。

 わたしはMCとして参加しなければならない。

 可恋が時間を計りながらそれを眺めていた。


 その間に半分くらいの生徒は着替えを終わっている。

 ただ可恋が言うようにメイクまでは手が回らない。

 前後半の間のイベントに参加する生徒は2回着替えが必要だし、モデル担当の子が多いのでこの間にできることは限られてしまう。


 後半は時間調節も兼ねてソロとペアが半々ずつくらいになっている。

 可恋が一番手でわたしがラスト。

 時間はトータルで1時間の予定だが少しくらいなら押しても問題ないらしい。

 しかし、観客がダレたと感じてしまうと失敗だと可恋は言った。

 テンポ良く、キビキビ動くことと口酸っぱく可恋は声を掛けている。


 二度目の通し稽古が終わると即解散となった。


「みんな風邪を引かないように注意してね。各自の課題はあとでメールするから確認しておくように」


 サッと片付けを済ませ、可恋はそう言ってみんなを送り出す。

 わたしたちも帰ることにする。

 外は雨が降り出していた。


「可恋、どうする?」と彼女のマンションの前で尋ねると、「あるもので済ますよ」と答えた。


 この雨の中、近くのスーパーマーケットまで買い物に行くのも億劫という顔付きだ。


「あとでお姉ちゃんと行くよ」とわたしが言うと、「泊まる気満々でしょ」と可恋は笑った。


「明日休みだし」


「好きにして。来る前に電話してね」


 わたしは「分かった」と返答し、手を振って可恋と別れる。

 隣りを歩く純ちゃんを見上げて、「晩ご飯一緒に食べる?」と聞く。

 可恋は安藤さんも連れて来ればと目配せしていた。

 純ちゃんが頷いたので、「あとで誘いに行くね」とわたしはニッコリと微笑んだ。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・2年1組。文化祭の企画のファッションショーではデザイナー兼司会を担当。


日野可恋・・・2年1組。ファッションショーでは統括として全体を見る役割を担う。


松田美咲・・・2年1組。ファッションショーではモデル担当。着替え、メイクなどの他、舞台に送り出すのも仕事。


塚本明日香・・・2年1組。ファッションショーでは衣装管理の補助。以前、日野と麓の諍いを目撃したことがある。


麓たか良・・・2年1組。最初はファッションショー当日にサボって良いとほのめかされていたのに、いまは逃げることが許されなくなった。


高木すみれ・・・2年1組。美術部としての絵画の出展もなんとか目処がたった。


安藤純・・・2年1組。母の帰りが遅いと連絡があったので、妹の翔も連れて行くことに。

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