第167話 令和元年10月20日(日)「観覧車」松田美咲
横浜の夕景が眼下に広がる。
観覧車から見下ろす景色は壮観だ。
暗がりが迫る中で、あちらこちらに灯りが点り始める。
宝石のようなその灯りに心が惹きつけられる。
地上で見ればただの灯りなのに、上空から見ればとても暖かくきらびやかに感じる。
ここ最近のわたしは、そうした灯りに包まれているのだと気付かされることが多かった。
「綺麗だね」
彩花が興奮気味に呟いた。
今日のご褒美デートを彩花は始終楽しげにエスコートしてくれた。
「そうね。今度はみんなで来たいわね」
「そうだね」と彩花がわたしを見て微笑む。
「べ、別に彩花とふたりきりが嫌と言う訳じゃないのよ」と慌てて言葉を足すと、「うん」と彩花は優しく頷いた。
彼女とは同じ小学校で、小学生の時はクラスがずっと一緒だった。
あまり目立たない子で、ふたりきりで遊んだ記憶はない。
中学二年生になってまた同じクラスになり、同じグループの一員になってからもその印象は変わらなかった。
「彩花は……彩花はどうしてそんなに成長できたのかしら」
いつからだろう。
彩花の存在感が際立つようになったのは。
特に二学期になり、創作ダンスの選抜チームに選ばれた頃から自信に満ちた表情をするようになったと思う。
みんなの陰に隠れるようだった彩花が堂々と振る舞う姿を見て驚いたことが何度もあった。
わたしが選ばれなかったAチームに彼女が選ばれ、ひたむきに前を向いて頑張る様子を見て、悔しい気持ちになるほどだった。
「自分じゃよく分かんないや」と彩花が照れる。
「みんなによく変わったねって言われるけど、ほんの少しだけ自信がついたかなって思うくらいで、本当はそんなに変わっていないのにね」
「そのほんの少しの自信が大きいのでしょう」
わたしの言葉に彩花は首を傾げている。
実感がないのだろう。
わたしはこれまでたくさんの習い事を経験している。
初めはできなかったことがちょっとしたきっかけでできるようになると、コツをつかんだように他のこともできるようになることがある。
そこには自信の要素も大きく関わる。
逆に、できないという壁にぶつかった時には自信が失われ、悪循環に陥るのだろう。
いまのわたしがまさにその状況だった。
「これ」と言って日野さんから手渡されたのは一枚のメモ用紙だった。
昨日、彼女の自宅で文化祭の準備のための衣装合わせが行われた。
それが終わった後、少し話がしたいとわたしだけ彼女の部屋に呼ばれた。
「私は子どもの頃は病気ばかりでいつ死んでもおかしくないくらいだったの。体力もなくて、歌を歌うことさえできなかったわ」
日野さんは微笑を浮かべて語り始めた。
「10歳を過ぎた辺りからようやく体力がついて、1年の半分くらいは普通に過ごせるようになった。それまではできないことばかりで、いろんなものを諦めていたんだけどね。勉強や運動、友だちも……」
そこで一度言葉を句切り、彼女はわたしから視線を逸らした。
「人並みくらいには何でもできたいと思ったから、空手道場で音楽をやっている人から先生を紹介してもらい特訓したのよ。これは関東で信頼できそうな音楽や声楽の先生の連絡先よ」
「日野さんは、わたしができないことがあることを認めた方が良いと優奈に話したのでは?」
「そうよ。何でもできなきゃダメなんて思ったら疲れるじゃない」
日野さんはニヤリと笑う。
彼女はわたしよりも考え方が大人なんだろう。
きっと彼女の方が正しい。
そう理解していても、わたしは自分の考え方を変えられずにいた。
「わたしには姉がいたんです」
いままで誰にも話したことはなかった。
優奈にも。
「会ったこともない姉ですが。わずか1歳にもならないうちに亡くなったと聞いています」
日野さんはじっとわたしの話を聞いてくれている。
「両親はわたしに姉の分まで様々な体験をして欲しいと語ったことがあります。決して押しつけられたりはしませんが、両親のそんな想いをわたしも大切にしたいと思っています」
わたしは恵まれている。
家は裕福で、両親は優しく、常にわたしのことを考えてくれている。
健康に育ち、たいていのことはすぐにできるようになった。
学校でも、それ以外でも、多くの友だちがいて、わたしの成長を助けてくれる。
だから、子どもっぽい意地だとしても、諦めたくなかった。
「わたしのせいでみんなに心配を掛けていることは心苦しく思っています。しかし、もう少し時間が欲しいです」
わたしの切なる訴えを、「そうだね。時間をかけていいと思うよ」と日野さんは肯定してくれた。
「わたしはもう少し歌やダンスを頑張ろうと思います」
わたしは彩花に向かって宣言した。
「うん。美咲ならできるよ」
彩花は笑顔でわたしの手を取り、ギュッと握ってくれた。
その温かさに彼女のパワーを分けてもらった気分になった。
はっきりと口にしたことで心が軽くなった。
帰ったら優奈にもちゃんと伝えよう。
観覧車のゴンドラがゆっくりと地面に近付いていく。
つぶさに見えるようになった灯りのひとつひとつは人の賑わいを感じさせた。
上空から見えた美しさとは違ったきらめきだ。
わたしは夏や冬に同じような富裕層の子女たちと交流を持つ。
フィクションだと、高慢で鼻持ちならない我が儘のように描かれたりするが、そんな子は社交の場で相手にされない。
みな、意識が高く、社会問題に関心を持ち、ボランティア活動に積極的だ。
わたしは彼ら彼女らに会うたびに刺激を受けている。
でも、優奈や彩花からだってわたしはいろんなことを学んでいる。
多様な経験は人生の糧になると両親はわたしを公立中学に進学させた。
いまはその判断にとても感謝している。
観覧車から降り、大地を足で踏みしめたわたしは、夕闇が降りた空を見上げる。
残念ながら雲に覆われ星は見えない。
わたしは天空から見守ってくれているであろう姉に、頑張るからねと心の中でそっと告げた。
††††† 登場人物紹介 †††††
松田美咲・・・中学2年生。由緒ある家柄の資産家の一人娘。両親の教育方針により公立中学校に通っている。
須賀彩花・・・中学2年生。美咲の小学校からの友だち。中1ではクラスが別れて疎遠になっていた。
笠井優奈・・・中学2年生。中学に入ってから知り合った美咲の親友。ダンス部創部をきっかけにすれ違い状態になっている。
日野可恋・・・中学2年生。免疫力が非常に低い体質で幼少期は入退院を繰り返していた。いまも冬場は体調を崩しやすい。
日々木陽稲・・・中学2年生。美咲の広い見聞の中でも特別だと思う存在。日本人離れした美しい容姿と尊敬に値する性格の良さを持つ。ただし、現在はファッションショーに向け暴走中。
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