第169話 令和元年10月22日(火)「これがいまのわたし」須賀彩花

「寒いね」とわたしは迎えに来てくれた綾乃に言った。


 冷たい雨が降っている。

 こういう時は暖かい家の中に一日引き籠もりたい気分になる。

 しかし、今日はわたしの衣装合わせがあるので日野さんのマンションに行かなければならない。

 衣装合わせはとても楽しみにしていたんだけどね。


 綾乃は暖かそうなボアパーカーに身を包んでいる。

 小柄な身体が小動物のようで可愛らしい。


「似合ってるね。あったかい?」と聞くと、少し照れたように綾乃は頷いた。


 わたしは薄手のジャンパーに袖を通すがこれだとちょっと寒そうだ。

 綾乃を自分の部屋に残して、「おかーさん、コートどこにしまってたっけ?」と大声を出しながら居間へ向かう。


 クリーニングから戻ったままの状態で保存されていたコートは幸いすぐに見つかった。

 買った時にはぶかぶかだったコートは、いまでは少し小さく感じるようになった。

 初めて着た時は大人っぽくなったように誇らしく思ったのに、いまは子どもっぽい気持ちになってしまうから不思議だ。

 あんなに喜んで着ていたのにね。

 特に、いまは周りがオシャレな子ばかりだから、尚更自分に合ったコートが欲しかった。


「どうかな? ちょっと地味かな?」とコートを着て綾乃に尋ねる。


「ううん。可愛いよ」と綾乃は褒めてくれるが、わたし自身が納得していなかった。


 寒くなってきたらコートは必需品だ。

 そろそろ新しいものが欲しい。

 親におねだりするための材料ならある。

 11月から塾に通うことにしたのだ。

 中間テスト前にふたりで勉強していた時に綾乃から誘われた。

 親からも塾に行くよう何度も言われていたし、ちょうど良い機会だと思った。

 ダンス部もあって大変だけど、いまのわたしは前向きだ。


「行こうか」


 コートには不満が残るものの、今日はこれで行くほかない。

 綾乃とふたりで家を出る。

 わたしは安っぽいビニール傘なのに、綾乃は不釣り合いなほど大きい黒い傘をさしている。


「飛ばされちゃわない?」とわたしは笑った。


「彩花が助けてくれるから」といつものように表情に出さずに綾乃は答える。


 今日は少し風がある程度だが、台風の時だと綾乃の小柄な身体は本当に飛ばされてしまいそうだ。


「綾乃を助けるためにももっと鍛えないとだね。でも、コートがきつくなったから、太ってないか心配」


「大丈夫。全体的に成長したせいだと思う。羨ましい」と綾乃の口から珍しく本音が零れた。


「きっと綾乃も大きくなれるよ」と慰めるが、「日々木さんに抜かれるかもしれない」と綾乃は危機感を漂わせた。


 わたしからすればどちらも小さくて可愛らしいと思うのだけど、本人はちょっとの差が気になるのだろう。

 微笑ましくてニヤニヤしていたら、「そこ、笑いすぎ」と綾乃に注意された。

 傘があるから見られていないと思ったのに、綾乃はよく見ている。


 日野さんのマンションには既に日々木さん、美咲、明日香ちゃんが来ていた。

 明日香ちゃんは今日は担当の日ではないのに、わたしの衣装を見にわざわざやって来たそうだ。


「いいの? 彼氏をほっといて」と言うと、「向こうが文化祭の準備で忙しくて全然会えないのよ」と明日香ちゃんは不満を漏らした。


「今年の文化祭はどこも大変みたいだね」とわたしが他人事のように言うと、「そうだね。でも、楽しそうでもあるよね」と話す明日香ちゃんは彼氏と一緒に楽しみの輪に入れないことを残念がっていた。


 美咲はわたしが来た時には着替えを始めていて、日野さんがサポートしていた。

 衝立の陰から出て来た美咲は、普段より少女っぽい……というより、かなりギャルっぽい装いだった。

 ストリート風のデニムのミニスカートで、生足を惜しげもなく晒している。

 黒のキャップに黒のスタジャンで、普段のお嬢様風の出で立ちからガラッと雰囲気を変えている。


「カッコいいね!」とわたしが第一声を上げると、美咲ははにかんだ。


「こういった服装は初めてなので戸惑いましたが、悪くないですね」


 美咲の表情はその言葉以上に喜んでいるように見えた。

 日曜のデートのあと、少し吹っ切れたような顔を見せていたが、今日のこの服もそれを後押ししてくれるんじゃないかと思った。


「松田さんにはこれしかないと思ったの」と楽しそうな笑みを浮かべて絶賛していた日々木さんは、靴や靴下、小物などをあれこれと指示している。


「これ着けてみて」と銀の十字のイヤリングを渡し、「似合ってる! じゃあ、髪型はこういう形で」とスケッチブックにサッと書き込む。


 日々木さんはファッションデザイナーを目指していると公言している。

 こういう姿を見ると納得する。

 センスがあるのはもちろんだけど、モデル役とのコミュニケーションもしっかり取れるし、凄いなあと感心してしまう。


 ふたりのやり取りを見ながら、わたしは明日香ちゃんに優奈の衣装について聞いてみた。

 ファッションショーの前半では美咲と優奈がペアを組む。

 この美咲の衣装に負けないものってどんなだろうと気になった。

 優奈は日曜日に衣装合わせをしていて、今日は合唱の練習で来れないと聞いている。


「笠井さんの一着目も格好良かったよ。一着目はほとんどみんなスカートなのに、笠井さんはパンツ姿でかなり中性的な印象だったかな」


 明日香ちゃんに確認用の写真を見せてもらうと、言われる通り男の子っぽい雰囲気だった。

 しっかりメイクしたふたりを頭に思い浮かべると、なんだかいけない感じがしてしまう。

 ふたりとも美形だし、本職のモデルになってもおかしくないレベルだよね。


 美咲の二着目は鮮やかな青のドレスだった。

 ヤバいくらいに美しい。

 言葉も出ないほどだった。


「もの凄く素敵だけど、中学生らしさって……」


 我に返って、そう発言すると、「モデルが中学生なんだから、問題ないわ」と日々木さんが問題発言をする。

 それを言えば、どんな服装だってオッケーになってしまう。

 日野さんは諦め顔で、「露出が多すぎたり、過度に性的になったりしなければもう気にしないで」と匙を投げていた。


「後半は素敵な服装と色物系の二種類に分かれているのよ……」と肩を落として明日香ちゃんが話した。


 その態度から分かるように、明日香ちゃんは色物側だ。

 多分、わたしもそっちになると思う。

 覚悟はしている。


 いよいよわたしの衣装合わせだ。

 前半、わたしとペアを組むのは綾乃だ。

 彼女の一着目は可愛い系だった。

 だから、わたしもと予想していたのに、手渡された衣装はまったく予想外のものだった。


「これをわたしが?」と思わず尋ねてしまう。


 日々木さんがにこやかに頷く。

 ここで無理と突き返すことなどできない。

 わたしは手に衣装を持ち、衝立の奥に行く。

 美咲と綾乃が手伝いに来てくれた。

 これはひとりでは着れそうにない。

 そもそも、どういう順番で着ればいいのかも分からなかった。


 サイズ的にはギリギリな感じだったが、コルセットのお蔭でなんとか着ることができた。

 でも、とっても苦しい。

 キツいと言ったのに、綾乃はこんなものだとわたしの言葉を受け流した。

 衝立から出ると、「すごーい!」と明日香ちゃんが手を叩いた。


 わたしの一着目は黒のゴスロリ衣装だった。

 綾乃が着たら恐ろしく似合いそうなのに、わたしじゃ……と思ってしまう。


「似合っているから、自信を持って」と日々木さんがわたしの気持ちを察したのかそう励ましてくれた。


「ちょっとメイクをしてもいいかしら?」と美咲に言われて、わたしは「いいけど……」と答える。


 モデル管理担当は日々木さんの指導の下で他人にメイクをする練習を積んだ。

 わたしはまだまだ下手だけど、美咲や優奈は日々木さんに負けないメイクができるようになった。

 練習ではお互いの顔を使うので、美咲にメイクしてもらうのには慣れている。

 いつもより真剣な表情の美咲の手によるメイクで、わたしは見違えるようになった。

 全身が映る姿見に浮かぶ人物はわたしとは思えなかった。

 決して美人になった訳ではない。

 ただメイクを施すことで、存在感が出た。

 平凡なわたしが、鏡の中では特別なものになっていた。


「メイクは引き立てただけです。いまのあなたはこんなに魅力的なのよ」


 美咲の言葉にわたしはえも言われぬ気持ちになった。


 ……これがいまのわたし。




††††† 登場人物紹介 †††††


明日香:彩花ちゃん、凄いよね!


陽稲:これがファッションの力よ!


可恋:(右手の人差し指を振って)分かってないのね。彼女の成長はすべて筋トレがもたらしたものよ。


美咲:友だちの力があったからではなくて。


優奈:誰かひとりの影響ってことはないよな。


綾乃:彩花は私の……。

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