第164話 令和元年10月17日(木)「危機」山田小鳩

「無理です。間に合うと思いません」


 目前の少女はそう痛烈に断言した。

 彼女の横に着席している女子生徒も首肯した。

 私は落胆の感情を表情に出さないように警戒する。

 可能なら盛大に溜息をつきたい気分だ。


 現在、生徒会並びに文化祭実行委員会が直面する最大の問題が1年3組の準備の遅延だ。

 企画の決定も遅れに遅れたが、再三の指導にも関わらず準備は遅々として進展せず、文化祭当日にお化け屋敷という企画を実行できる可能性は風前の灯火となっている。


 ……ただでさえ遅れていたところにイジメ問題まで起きて、教師の対応がそちらを優先してしまったしね。


「現在の進捗を具体的に教示願えますか?」


「まだどんなお化けを出すかさえ決まっていません。私たちは衣装の制作を頼まれましたが、何を作ればいいか分からず、手をつけていません」


 私は1年3組の生徒に直接聴取することにして、日野と日々木から手芸部の二人を紹介してもらった。

 発言するのは主に原田さんで、鳥居さんは口数は少ないが時折原田さんの言葉を補足してくれる。


「舞台の作成は直前に行うにしても、計画立案や道具の調達など事前に必要でしょう。そちらも進行していないのですか?」


「そちらは男子の一部に押しつけられていますが、お化け屋敷なんてやったことないじゃないですか。どこから手をつけていいのか途方に暮れていると聞いています」


 過去に1年3組の文化祭実行委員や学級委員から事情聴取したが、要領を得ない説明しかされなかった。

 そもそも問題を把握し改善しようという意思さえ保有しているように見えなかった。

 それと比較すると、原田さんは現在の状況をよく理解している。


「クラスの生徒たちは現状をどう捕捉しているのでしょう?」


「どうでもいいって感じで興味がない生徒が半数くらい、諦めている生徒が残り半数といったところですかね」


 このクラスの担任教諭は生徒の自主性を尊重するタイプと言えば聞こえは良いが、放任するだけで事後の面倒を見ない人だと伝聞した。

 この学校の文化祭はクラス企画は合唱ばかりだったので、合唱担当の音楽教師に付託していればこれまではよかった。

 だが、今年度は合唱が禁止となり、どのクラスも過去の経験を所持しない企画と直面することとなった。

 教師の負担が激増し、他のクラスの企画に注意を払う余裕が失われ、2年1組のファッションショーの企画は問題視されなくなった。

 日野の目論み通りだ。

 しかし、その皺寄せがこの1年3組に到来しているのは明白だ。


「あたしたち、どうなるんでしょう」


 私が沈黙していると、原田さんが不安そうな面持ちでポツリと呟いた。

 大丈夫と激励してあげたいところだが、現段階ではそれは気休めに過ぎない。

 生徒会からの問題提起で1年の教師陣の中でも危機感の共有が図られたが、担任の頭越しの指導はできないそうだ。

 この窮状を打破できるとしたら日野くらいだろう。

 その彼女は「失敗するクラスがあっても仕方ないわ」と関与を拒否している。


「私たちも全力を尽くします。あなたたちは……、そうね、日々木さんに協力を要請してください」


「日々木先輩ですか?」


 原田さんは躊躇いながら反問した。

 日々木に迷惑を掛けることを懸念しているようだ。

 彼女は現在ファッションショーのために邁進しているところだろう。

 私としても心苦しいが、日野を動かせるのは彼女だけだ。


「1週間しか時間がありません。多数の人の協力を獲得するしか方法はないのです」


 原田さんは熟考している。

 その時、鳥居さんが隣接する原田さんに助言した。


「元気玉。みんなから少しずつ力をもらう」


 私には理解不能だが、原田さんはその言葉で瞬時に納得し、私を直視して「分かりました。日々木先輩に協力を仰ぎます」と宣言した。


 私たち3人は連れ立って生徒会室から2年1組の教室に出向く。

 毎日放課後教室でファッションショーの準備をしていると側聞している。

 幸運にも、日々木も日野も教室に残っていた。

 数人で会議中のようだったが、招請すると日々木は即応してくれた。

 日々木の後を追うように日野が険吞な視線を私に据えて歩いて来る。


「日々木先輩、助けてください!」


 廊下に出た日々木に原田さんが激情のままに懇願した。


「どうしたの?」と日々木は僅かに驚きの顔となった。


「文化祭がピンチなんです!」と前置きした原田さんは事情を滔々と説明した。


 その最中、気付かぬうちに私の背後に回った日野が私の首根っこを鷲摑みにした。

 うぐっと声にならない声が上がる。

 加減されているので苦痛はないが、身長の高い日野に上から吊り上げられているようで、その威圧感は半端ではない。


「ちょっとこっち来ようか」と耳元で囁かれ、有無を言わさず少し離れた廊下の端へと連行された。


「巻き込まないように言ったはずよ」


 日野は小声で鋭利な言葉を私に向ける。


「残余の時間が無く、最後の手段よ」


 精一杯虚栄を張って、私は日野に立ち向かった。


「もう無理よ」と日野は一刀両断した。


「一週間あれば」と反論すると、「合唱でもすれば? それなら間に合うんじゃない」と日野は気のない返答をする。


 私が困惑すると、日野は畳みかけてきた。


「1年3組の生徒全員が土日や祝日も学校に出て来て頑張るって言うのなら協力しようという気にもなるけど、そうじゃないでしょ。いちばん汗をかくべき人がやる気ないのなら、周りが頑張ったって意味がないわ」


「でも、一部の生徒のせいで他の生徒たちは迷惑を……」


「本当にそうかしら? 妨害してるというのならともかく、単に誰も動こうとしてないだけでしょ」


「でも、1年3組に限らずほとんどの生徒はそうなのに、このクラスだけができないのは……」


「当たった担任を呪うしかないわね」


 日野の言葉は熾烈だ。


「そもそも、合唱禁止にしなければ……」


「私は必要だからそうしただけよ。嫌ならこのルールを変えるために努力すればいい」


「日野みたいなことができる生徒がいる訳ないじゃない!」


「だったら、何?」


 私は言葉に詰まる。


「小鳩ちゃん!」と原田さんの話を聞き終えたのか、日々木が近付いてきた。


「可恋! 小鳩ちゃんを泣かせちゃダメじゃない!」


 日々木が日野を叱りつける。

 日野は黙って肩をすくめた。


「私は落涙していない」


 目元をそっと袖で拭い、私は息を吐いてそう言った。


「ひぃなはどうしたい?」と私の発言をスルーして日野が日々木に質問した。


「わたしは……」と言って日々木が私をじっと見つめる。


「わたしが協力して原田さんたちのクラスの企画がちゃんとできあがるんなら協力を惜しむ気はないわ。ただ、話を聞いた限りわたしひとりの力では……」


 日々木は視線を落とした。

 そして、再び私に視線を合わせる。


「たぶん、小鳩ちゃんはわたしから可恋にお願いして欲しいと思って原田さんたちを連れてきたんだと思う。でも、わたしはこれ以上可恋に負担をかけたくないの。ごめんね、小鳩ちゃん」


「私が浅慮だった」と首を横に振る。


 私は生徒会の仕事に専念するためにクラスの文化祭の企画には関与していない。

 それを許可してくれたクラスメイトには感謝している。

 一方、日野や日々木は自分のクラスの企画の中心メンバーだ。

 日野に至っては、ダンス部の創設や文化祭での有志による合唱についても多大な協力をしている。

 日々木が心配するのは当然だ。


「1週間でできることを考える。そして、土日や休日にも参加する意欲のある生徒だけで実行する。あとは、生徒会や学校側の協力を仰ぐ。そう原田さんに言って、彼女中心でやり遂げるように仕向けて」


 日野が日々木に助言を与えた。

 原田さんと鳥居さんは少し離れた場所でこちらを心配そうに見ていた。


「分かった」と日々木が日野に頷き、「これでいい? 小鳩ちゃん」と私に確認する。


 私はお腹に力を込めて、「それでいこう」と答える。

 頭がゴチャゴチャしてまともに考えられない。

 しかし、私は生徒会の一員として、信頼できる先輩として、恥ずかしい姿を見せないようにと思いながら、日々木に続いて1年生たちの方へ向かった。




††††† 登場人物紹介 †††††


山田小鳩・・・2年4組。生徒会の中心メンバー。教師の言葉に唯々諾々と従うだけだった生徒会を、日野の力もあって生徒の声を教師に伝える役割を果たせるようになってきた。


原田朱雀・・・1年3組。手芸部部長。クラスの中心グループに入っていないため雑用を押しつけられることがあった。文化祭は手芸部の展示に全力を注いでいる。


鳥居千種・・・1年3組。手芸部副部長。朱雀の幼なじみ。よく朱雀にマンガを貸すが、「すーちゃんには少女マンガは理解できないっぽい」ので少年マンガを貸すことが多い。


日々木陽稲・・・2年1組。小鳩の1年の時のクラスメイトで友だち。朱雀の手芸部創部に協力した。そのため朱雀からは女神のように慕われている。


日野可恋・・・2年1組。主に生徒会メンバーから「生徒会の影のボス」と恐れられる存在。この学校の文化祭の有り様を一変させた元凶。

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