第163話 令和元年10月16日(水)「欠席」日々木陽稲
「日野さんからの伝言です。文化祭まで10日を切りました。ここで気を抜かず、これまでやってきたことを結実させましょう。くれぐれも体調管理に気を付けてください」
終わりのホームルームで、わたしは立ち上がって可恋の言葉をみんなに伝えた。
今日、彼女は体調不良で欠席した。
昨日から少し具合が悪そうだったのに、ダンス部の初練習に顔を出したいと言っていた。
笠井さんにそれを言うと、「あの筋トレバカが」と顔をしかめていたが、可恋は「昨日休むか今日休むかの違いだけだから」と今朝わたしに言った。
可恋は「大事を取って休むだけ」とも言っていた。
その声からはそこまで大変そうな様子は感じられなかった。
可恋ほど簡単に休めない他の生徒たちの中には、くしゃみをしたり、咳き込んだりする人が少なくなかった。
ここ数日、急激に気温が下がっている。
わたしはセーターを着てきたけど、身体が寒さに慣れていないので朝はコートが欲しいと思ったほどだ。
ホームルームが終わると教室で女子はウォーキングの練習を始める。
可恋と渡瀬さんが欠席だが、今日はダンス部の練習がないのでふたりを除く13人が教室に残った。
文化祭実行委員の松田さんが昨日に続いて練習を指揮する。
休み時間には浮かない表情を見せる松田さんだが、みんなの前に立つ時は引き締まった顔をしている。
昨日の練習後に話をしたかったのに、用事があると言って松田さんはそそくさと帰っていった。
放課後の練習は夏休みを挟み6月下旬から続けているので、みんなも手慣れた感じで準備を整えていく。
こうした練習もあと少しで終わりだと思うと感慨深いものがある。
でも、まだそうした思いに耽るのは早い。
わたしは積極的に声を出して雰囲気を盛り上げようとした。
姿勢良く美しく歩くというのは、意外と難しいことだ。
猫背になったり、フラフラと歩いたりするのは論外として、行進のようにキビキビ歩けば良いというものでもないので、リラックスした自然体で堂々と歩いて見せなければならない。
可恋の厳しい指導の結果、全員最低限の基準はクリアしている。
「三島さん、もう少し胸を張った感じでお願い」
わたしの指摘に三島さんは少し胸を張って背を逸らす。
「うん、いい感じ!」
わたしが褒めると、三島さんの表情がほんのわずか綻んだ。
「森尾さん、素敵だよ。あと少し目線を上げようか」
わたしは立ち上がって目標の高さまで手を挙げると、森尾さんの顔がわたしの手の先を追って少し上がった。
「高木さん、あとほんの少しだけゆっくり行こう」
わたしが高木さんの歩くペースより遅いリズムで手拍子を叩くと、彼女はそれに合わせて歩いてくれた。
わたしは微調整のアドバイスを与えながら、どんな服を着てもらうかイメージする。
ひとり少なくとも2回は衣装を着て歩いてもらう予定だ。
金曜日にリハーサルを行い、段取りや時間の確認をする。
22日は即位の礼で学校が休みなので、次の土日と22日の3日を使って衣装合わせだ。
最終リハーサルが文化祭前日の24日。
そして、25日に校内向け、26日に一般向けでファッションショーを開催する。
可恋の進行管理により、慌てるような事態にはなっていない。
今後起きるであろうトラブルも想定していると可恋は話していた。
渡瀬さんのケガのように不測の事態は起きるからね。
彼女はギブスをはめられたが、文化祭までには取れるそうだ。
可恋さえ倒れたりしなければ、大丈夫。
可恋もそれを自覚しているから、今日は無理をしなかったのだろう。
松田さんが今後のスケジュールをみんなに説明している傍らで、わたしは千草さんとみんなから預かった服について話し合う。
今日のような寒い日が続くようだと、もっと暖かい服装にした方がいいかもしれない。
セーターやコートが欲しいが、あまり高価なものは借りづらいし、借りると本人が使えないという問題も出て来る。
当日持って来てもらう形だと、忘れないための前日の連絡や万が一忘れた時の対策を衣装管理担当の千草さんと考えておく必要があった。
「前半を秋物、後半を冬物みたいに分けるのは?」という千草さんの提案に、「それもありだね」とわたしは答える。
厚着ばかりだと身体のラインが隠れて面白味に欠ける。
いくつか攻める服が欲しいよねと言ったところ、千草さんがアイディアを出してくれた。
「どうせなら、前半は夏物にしようか」と言うと、「みんな風邪引いちゃうよ」と千草さんに止められた。
「ショーが終わるまで耐えてくれれば」と真剣に言うと、呆れた顔で「ご褒美デートにも支障が出るから」と指摘された。
うーん、と腕組みする。
ひと組くらいビキニの水着姿のカップルなんて面白そうだけど、さすがに猛反対されそうだ。
ほぼ誰にどの服を着せるか決まっているが、もっと良くしたいという思いは募る。
衣装合わせで可恋の承諾が必要なので、乗り越えなければならない壁は非常に高い。
そんなことを考えていたら、待ってくれていた純ちゃん以外はみんな帰っていた。
これ以上千草さんを引き留める訳にもいかず、今日はここまでにする。
千草さんとは学校の正門で別れ、わたしは可恋のマンションに立ち寄る。
マンションの下で「いまから行くね」とLINEすると、すぐに「待ってる」と短い返信があった。
玄関まで出迎えてくれた可恋は元気そうだった。
「具合はどう?」と聞くと、「もう大丈夫」と可恋は力強く返事をした。
たいしたことはないと聞いていても、顔を見て、回復した姿を確認しないと安心できなかった。
「お姉ちゃんが夕食を作りに行こうかって言ってくれているの。いいよね?」とリビングに入ってから言うと、「じゃあ、お願いしようか。安藤さんも一緒に食べるよね?」と可恋は純ちゃんに聞いた。
純ちゃんが頷くと、可恋は自分のスマホでわたしのお姉ちゃんに電話する。
冷蔵庫の中の食材を告げて、可恋はお姉ちゃんとふたりで献立を考え始めた。
それをニコニコと笑顔で眺めていると、「どうかした?」と可恋は視線を送った。
「元気になって本当に良かったなって」
可恋は微笑み、「ありがとう」と囁いた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学2年生。将来の夢はファッションデザイナー。文化祭でのファッションショーの成功に全力を尽くす。
日野可恋・・・中学2年生。免疫力が非常に弱いため、わずかでも体調不良を感じたら充分な休息を取るように心がけている。
松田美咲・・・中学2年生。自分の弱さを見せることに強い抵抗感がある。しかし、自分の弱さを隠し通せるほど大人ではない。
千草春菜・・・中学2年生。塾があるので放課後の練習を休むこともあるが、人一倍熱心に練習している。
安藤純・・・中学2年生。陽稲の盾。普通の女子の二倍は軽く食べる。
日々木華菜・・・高校1年生。陽稲の姉。料理が趣味。可恋の家のシステムキッチンは憧れ。
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