第162話 令和元年10月15日(火)「初練習」須賀彩花
「なんでコイツがここにいるのよ」
いかにも不機嫌そうな顔で優奈がわたしに言った。
「そんな言い方は……。わざわざ手伝いに来てくれたんだし」
「そこ、無駄口を叩かない」
わたしたちの視線の先にいた日野さんが振り向いて叱責した。
先生に叱られたくらいの怖さにわたしは身を縮こまらせてしまう。
「笠井さんは岡部先生と1年生を担当して。私は須賀さんたちと2年生を担当するから」
日野さんはダンス部の部長や顧問にも指示を出す。
優奈は「なんでコイツが仕切ってんだよ」と愚痴を零しているが、それでもその指示に従い1年生を連れて体育館の片隅に行った。
残されたのは日野さんとわたし、綾乃、それに2年生の新入部員の8人だ。
優奈が向かったのとは別の隅っこに集まり、日野さんの号令で準備運動が始まった。
ダンス部の部員ではない日野さんだが、ダンス部創設の準備の段階から顧問を引き受けてくれた岡部先生と練習メニューの話し合いをしていた。
その流れで、ダンス部の初練習に当然の顔でやって来た。
いちばん偉そう……もとい威厳がありそうなので、1年生は不審そうに日野さんを見ていた。
部長の優奈も仏頂面をしたまま日野さんを紹介しなかったから尚更だ。
「最初はスクワットからやってもらうわ。須賀さんお手本をよろしく」
「わたし?」と驚くと、「みんなにも一緒にやってもらうから、私はフォームの確認をするわ」と日野さんが言った。
日野さんの方がフォームは正確だと思うけど、わたしがチェック役をできない以上この役割分担を受け入れるしかない。
日野さんは綾乃にフォームのチェックの仕方を教えているので、わたしはみんなの前に立ち、簡単なスクワットのやり方を説明してから率先して始める。
「みんなも須賀さんと一緒にやってみて」
日野さんの声にみんなはおとなしく従った。
堂々としているし本当の教師みたいなので、やるのが当然のように思えるから不思議だ。
スクワットの場合、横からの方が参考にしやすいと思い、わたしひとりだけ横向きになっている。
だから、他の子たちの様子も見える。
日野さんは次々と他の2年生たちを注意している。
わたしでも指摘できそうなほど、みんな正しいフォームを理解していないようだった。
最初にもっとちゃんと説明するべきだったなあと反省していると、「どうしたの? まだ10回もいってないわよ」と日野さんの鋭い声が響いた。
「こんなのダンスと関係ないじゃん」
スクワットをいちばん雑にやっていた子が完全にスクワットを止め、日野さんに食ってかかった。
「やる気がないなら帰っていいわよ」
日野さんが少し睨んだだけで、その子は顔を背けた。
それでも、「何様のつもりよ……」と小声で呟いている。
「みんなも聞いて」と日野さんが声を掛ける。
「笠井さんは本気でダンスをしようと思ってこの部を作ったの。ファッション感覚のつもりなら、悪いことは言わないから辞めた方が良いわ」
最初に文句を言った子だけでなく、他の2年生からも刺々しい空気が漂う。
2年生は優奈の知り合いも多い。
優奈からどれほどの話を聞いているか分からないが、日野さんは自分が悪役となっても優奈の思いを伝えようとしていると感じた。
「あの……本当に、優奈は、真剣にダンスをやろうと考えているの。そのためには筋力や体力が必要で、もっと素敵なダンスを踊るために日野さんはトレーニングのやり方を教えてくれようとしているの」
「須賀さんは運動会前の1ヶ月でダンスの腕が急成長したけど、夏休み前から筋トレをコツコツやってきたというベースがあってこそなのよ」
わたしの言葉を日野さんが補足した。
「ダンス部はダンスの練習をするところよ。それは間違いない。ただ、ダンスの練習をするにも最低限必要な筋力というものがあるわ。それは各自が自分で鍛えるしかない。本人のやる気、充分な栄養、そして、正しいトレーニングのやり方、この三つがないとその筋力は身に付かない」
「わたしは女子の平均に届くかどうかってくらいの運動能力だったけど、筋トレを3ヶ月続けたことで創作ダンスのAチームに入れたの」
今度は日野さんの言葉にわたしが付け加える。
「須賀さんはAチームに入っただけでなく、モテモテになったのよ」と日野さんは言ってニッコリと笑う。
「な、何を!」とわたしは慌てるが日野さんは気にも留めない。
「自主練をサボればダンスの練習についていけなくて、1年に抜かれる。それが嫌なら練習するか部を辞めるかのふたつにひとつよ」
わたしの目の前にいるどの顔も苦しそうに見える。
口を真一文字にグッと閉じ、日野さんの言ったことを考え込んでいるようだった。
「わたしは……わたしがどんなに頑張ってもひかりや優奈のように踊れるとは思わない。だけど、ふたりと一緒に踊りたいの。そのためならどれだけでも頑張るつもり。運動会のダンスはとても楽しかった。いままで生きてきた中でいちばん楽しかったの。みんなにもその気持ちを味わって欲しい。でも、無理そうなら……自分に合わないと思うのなら、無理することはないと思う」
わたしは思いの丈を吐き出した。
言い終えてからなんだか気恥ずかしくなる。
どんな風に受け止められただろう。
不安な思いで他の2年生たちの顔を見る。
その中で日野さんが温かく見守るような表情を浮かべていて、わたしは安堵した。
その後、他の2年生たちは言葉少なに日野さんの指示に従った。
わたしの言葉がどこまで届いたかは分からない。
日野さんは容赦なくみんなを限界まで挑ませていた。
2年生のトレーニング兼運動能力の確認が終わった頃に優奈が戻って来た。
優奈は綾乃から少し話を聞き、次の練習について説明してから2年生の新入部員を解散した。
他の2年生が着替えに行くと、優奈はしかめっ面になった。
「わたし、言い過ぎたかも」と謝ろうとすると、「彩花は気にしなくていい」と優奈はそれを遮った。
「ソフトテニス部のぬるま湯体質を嫌っていたのに、アタシがいちばんぬるかった。ごめん」
優奈がわたし、綾乃、日野さんに頭を下げた。
「……優奈」
わたしは思わず名前を呼んだ。
優奈が苦しそうで、まるで泣いているように見えたからだ。
「自分にできないことは他人に任せればいい。昨日のようにね」
日野さんはひとり超然としている。
昨日、ひかりからケガをしたという電話を受けた優奈はすぐに日野さんに協力を仰いだ。
ひかりは近くの公園でダンスを練習している時に転倒して手をついた時に痛めたらしい。
横浜にいた優奈と美咲は大至急戻って来た。
その時には日野さんがひかりを病院に連れて行ったあとだった。
ひかりのケガは右手首の骨にヒビが入った程度で済んだそうだが、寒い中地面に座り込んでいたので風邪を引いて今日は休んでいる。
「あれは……」と口にする優奈に、「松田さんも同じだけど、何でも自分でやらないと気が済まない?」と日野さんは尋ねた。
優奈は苦虫を噛みつぶしたような顔だ。
「松田さんに話したんでしょ。だったら、自分も実践しないとね」
美咲は何でもそつなくこなす。
ただひとつの例外は音楽だったが、自分では気付いていなかった。
それを今年の創作ダンスの練習中に気付いてしまった。
人並み以上にできることが少ないわたしには想像もつかない世界だ。
美咲には美咲なりの苦しみがあるのだろう。
優奈は美咲に欠点があってもいいじゃないと伝えたそうだ。
「あー、クソッ」と優奈が頭を激しく掻いた。
普段はとても気を使っている髪がボサボサになる。
「分かってはいるんだよっ」
体育館に優奈の声が響いた。
岡部先生に指導されていた1年生も既に帰っていた。
体育館には、わたしたちの他には少し離れた位置でこちらを見守る岡部先生がいるだけだ。
「それじゃ、お先に」と日野さんが平然と体育館を出て行く。
わたしはその後ろ姿をしばらく見つめていた。
「優奈はすごく頑張っているし、よくやっていると思うよ。わたしは美咲も優奈も本当に凄いと思うもん」
わたしの言葉を聞いた優奈は何か言い掛けて止めた。
そして、息をゆっくりと吐き出すと、「まあ、やれることをやるしかないな」とすっきりした表情になった。
「そうだね、頑張ろう」とわたしが言うと、「じゃあ、もっと彩花に任せるよ」と優奈が笑った。
「うっ」と言葉につまる。
「……頑張るよ」と言葉を絞り出すと、優奈はいつものような笑顔になった。
††††† 登場人物紹介 †††††
須賀彩花・・・中学2年生。ダンス部副部長。ひかりのケガは優奈たちが地元に戻ってから知らされた。なので、ひかりとは会っていない。
笠井優奈・・・中学2年生。ダンス部部長。ひかりからケガをしたと聞いて状況を尋ね、すぐに日野に助けを求めた。治療を受け、家に帰るひかりと会い、「すっごく痛かったんだよ!」と繰り返すひかりをなだめながら家まで送った。
日野可恋・・・中学2年生。ケガ人の手当は空手で慣れている。それよりもひぃなを連れて助けに行くかどうかで悩んだ。(結局連れて行った)
田辺綾乃・・・中学2年生。ダンス部マネージャー。彩花の家に遊びに行っている時にひかりのケガを知った。
渡瀬ひかり・・・中学2年生。ダンス部部員。今日は風邪により病欠。しっかり風邪を治してから登校するように可恋から強く言われている。
松田美咲・・・中学2年生。今日の放課後のクラスの女子によるウォーキングの練習を見るように可恋から頼まれた。
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