第152話 令和元年10月5日(土)「ファッション」日々木陽稲

「ごめん、ひぃな」


 急な仕事が入ってデートをすっぽかす男の人のような感じで、可恋は右手で軽く上げ謝罪のポーズをとった。

 今日の午後は可恋とふたりで買い物に行く予定だった。

 彼女の秋冬もののお洋服を買いに行くのを、どれだけわたしが楽しみにしていたことか。

 わたしは自分がふくれっ面になっていることを自覚しながら、可恋の次の言葉を待った。


「買い物の前に人と会うことになったの。遅くなっても買い物は行くから許してね」


 油断はできないが、買い物がなくならなくてホッとする。

 それでも買い物の時間が短くなることは、決して喜ばしいことではない。

 だって、この世にお洋服の買い物以上に至福の時間なんてないのだから。


「わたしも一緒に会いに行っていいの?」と聞くと、「もちろん」と可恋は答えてくれた。


「ひぃなも知ってる人だよ。ファッションショーを主催した桜庭さん」


 最初から言ってくれればよかったのにと思うほど一気にテンションが上がる。

 彼女は、夏休みが始まってすぐにクラスのみんなと見学に行ったファッションショーを主催した人だ。

 お話ししたのはほんの少しの時間だけど、ファッションのお仕事をされている方なので俄然興味が湧いてくる。


「今回はファッション関連の話じゃないけどね。でも、ひぃなにも聞いておいて欲しいから」と可恋は話した。


 まだ少し時間があったので、お買い物に行く時の服ではなく大人の人とお会いする時用の服に着替えたいと言うと、可恋は嫌な顔をせずにわたしの家まで付き合ってくれた。

 ファッションの話ではなくてもファッションに造詣の深い人と会うのだから、わたしも気合いが入る。

 10月に入ったので秋のイメージを強く出したいが、今日もまだ残暑が続いている。

 少々の暑さは我慢し、初秋の色合いを強調したコーデで決めてみた。


「暑くない?」と可恋は心配そうだ。


「どこで会うの」と確認すると、「うちの道場」と可恋は答えた。


 喫茶店など冷房の効いたところなら平気だと思うが、可恋が通う空手道場だとそれは望めない。


「……頑張る」と精神論で乗り切ろうとすると、「買い物に行けなくなるよ」と可恋から忠告される。


 見映えを取るか、買い物を取るか、わたしが下した結論は……。


「いい。これで行く」


 服はわたしの命だ。

 買い物に行けなくなることは泣くほど辛い。

 それでも、可恋が側にいてくれるはずなのできっと耐えられる。

 わたしの決意に可恋は苦笑いを浮かべていた。


 その可恋は相も変わらず、シャツにパンツにジャケットの三点セットだ。

 もちろん、色、柄、素材の組み合わせで変化は付けているものの、わたしに言わせれば凡庸の極み、自分らしさを発揮しようとする意識がまったく足りていない。

 今日の買い物では可恋に女の子らしいものを買わせようと思っていたけど、とにかくバリエーションを増やさないとわたしがコーディネートすることもできないじゃない。


「可恋、これ着けて」とわたしは赤地のネクタイを渡した。


 首から胸元にかけてアクセントが欲しいと感じたからだ。


「ネクタイ締められる? わたしがしてあげようか?」と聞くと、「大丈夫」と返事が来た。


 本当に可恋はなんでもできてしまうので困る。

 たまには困った可恋をわたしが手助けしてあげたいのに……。


「そこは、できても、ひぃなお願いって言うところでしょ?」と不平を漏らすと、「じゃあ、やって」と可恋はネクタイをわたしに渡した。


 わたしは可恋を鏡台の前に座らせてネクタイを締めようとする。

 しかし、意外と難しい。

 自分では締められるし、昔お姉ちゃんに協力してもらって締めてあげる練習はしたんだけどな……。


「ごめんなさい……。自分で着けて」とわたしはネクタイを返す。


「気にしなくていいよ。練習したいなら言ってね」と可恋は優しく笑ってくれた。


 本当は髪もいじりたかった。

 わたしは朝からお姉ちゃんに手伝ってもらって複雑に編み込んだ髪型だ。

 服を着替えたので別の髪型にしたいと思っても、一朝一夕に変えられるものではない。

 可恋はいつもの黒髪ショートで、髪型を変えることをあまり好んでいないので、わたしが手を出す余地がない。


 そろそろ時間となったので出掛けようとすると、可恋がわたしのお父さんにお願いして車を出してもらうことになった。

 待ち合わせの駅前や可恋の道場まで、車を使うような距離じゃないけど、わたしの身体を心配して少しでも負担を減らしたいと言った。

 お父さんがダメならタクシーを使うつもりだったと言う可恋に、わたしは過保護だと感じるものの、嬉しくもあった。


 駅前にはもう桜庭さんがいらっしゃった。

 桜庭さんはわたしが知る大人とは少し肌触りが異なる印象を持つ方だ。

 年齢不詳で、もの凄く若くも見えるし、かなり歳を取っているようにも見える。

 それ以上に、どんな職業の人なのかがつかみにくい。

 かなりラフな服装なのに、いくつか高級品が混ざっていて、安っぽさがない。

 日本人だとこういう時はこういう服装というのが見て取れるのに、彼女からはそういう文脈を読み取れない。


 挨拶もそこそこに車に乗ってもらい、近くの道場に向かう。

 初対面となるわたしのお父さんにも、すぐにわたしのことや仕事のことで打ち解けて話す辺りにコミュニケーション能力の高さが窺えた。

 お父さんはファッションショーに付き添いで来てくれたので、短い時間ながらその時の話で盛り上がった。


 送ってくれたお父さんに感謝を伝え、わたしたち三人は道場でなく隣接する師範代のお宅へ向かった。

 桜庭さんはお喋り好きな方のようで、歩きながらも常に口を動かしている。

 主にわたしが桜庭さんの海外で仕事中にあった珍しい体験談などを聞いていた。

 可恋は応接室に案内し、「少しお待ちください」と言って部屋を出て行った。

 わたしは初めて入った部屋なので、キョロキョロと辺りを見回してしまう。

 桜庭さんの方はそんなわたしに構うことなく話し続けていた。


 師範代の三谷先生と可恋が入って来た。

 三谷先生も普段着のままだった。

 わたしひとりが気合いの入った服装だが、周りの方が間違っている。

 もっとTPOに応じた服装をするべきだと心の中で憤慨していると、可恋はわたしにだけ冷たいお茶を淹れてくれた。


 話の内容はわたしには難しすぎた。

 最初のうちは中高生の女性アスリートの情報交換がどうとか話していたのに、いつの間にか運営費用だとか、スポンサーのメリットとかの話になり、何を言っているのかさっぱり分からなくなった。

 可恋と桜庭さんが主に議論し、時々三谷先生が口を挟むという時間が続く。

 わたしは置いてきぼりだが、これをいちいちわたしにも説明していたら時間がいくらあっても足りないだろう。


 話し合いは1時間ほどで終わった。

 途中かなり激しく言い争うような場面もあったのに、終わるとみんなニコニコと笑っている。

 可恋は「ごめんね、ひぃな」と謝ってくれたが、わたしは同席を許してもらったことの方が嬉しかったので「気にしなくていいよ」と微笑んだ。


「デートを邪魔したお詫びに、とっておきのお店を案内してあげよう」と道場を出たところで桜庭さんがわたしたちに言った。


 タクシーで連れて行かれたのは横浜近郊のブティックで、小さなお店ながらアジア系のエキゾチックな服や小物が溢れていた。


「素敵!」と思わず声を上げる。


「これは私が扱ったモノだよ」と桜庭さんがアクセサリーを見せてくれる。


 ちょっと素朴だが、他では見たことのないユニークな一品で、個性の塊という点はわたし好みだった。


「ひぃなが好きそうだね」と可恋もそのアクセサリーを覗き込んで言った。


 桜庭さんはわずかな時間でわたしの好みを把握してこれを見せてくれたのだろう。

 それだけで凄い人だと尊敬してしまう。


「じゃあ、これは私からのプレゼントってことで」と可恋が言った。


 高級品ってほどじゃないとはいえ、中学生のお小遣いで買うには厳しい値段の品だ。

 可恋は普通の中学生じゃないけどね。


「いいの?」と聞くと、「もちろん」と可恋は微笑んだ。


「消費税分くらいは値引いてもらえるように交渉してあげるよ」と桜庭さんがわたしたちのやり取りを見て言った。


「ありがとう。大切にします」


 わたしは突然舞い込んだ幸せに胸が張り裂けそうになった。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学2年生。将来の夢はファッションデザイナー。このお店で自分の服を買うのに夢中になり、可恋の服はあまり選べなかったのが心残り。


日野可恋・・・中学2年生。文化祭が終わったら引き籠もる予定。それまでにいろいろと動き回っている。


桜庭・・・女性実業家。本業は雑貨の輸入だが、フットワークが軽く、なんでもこなし、興味があることには首を突っ込む性格で、儲けよりやりがいを求める。キャシーをプロモートしたいと言ったことが縁で可恋と連絡を取り合うようになった。


三谷早紀子・・・可恋の通う道場の師範代。アメリカでスポーツ選手の指導のノウハウを学び、特に女子選手の指導には定評がある。

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