第151話 令和元年10月4日(金)「日野と日々木」山田小鳩

 二日にわたる二学期の中間テストが終了し、誰もいなくなった教室から私は退出しようとした。

 これから生徒会室に直行して、いくつか進行途中の案件を処理する予定だ。

 すぐに向かわなかったのは、今日のように他の生徒会役員が来ない日には生徒会長が私をからかいに来ることがあるので、それを回避するためだ。

 非効率なことこの上ない。


 もうすぐ生徒会長も引退だから時間が解決してくれると沈思しながら廊下に出ると、日野可恋、日々木陽稲、安藤純の三人が談笑しているのが見えた。

 正確には、会話しているのは日野と日々木の二人だけだが。

 私が廊下に現れたのを感知した日野が声を掛けてくる。


「話があるの。うちに来ない? お昼作ってあげるから」


 魅惑的な勧誘だ。

 試験は三科目で完了したが、ホームルームや掃除の時間があったのでもうお昼間際だ。

 生徒会室に行ったところで、空腹に敗北し、そう長時間仕事をしていられないことは明白だった。

 帰宅してコンビニにお弁当を購入しに行き、ひとり侘しく自宅で昼食を摂る予定なだけに、日野の提案は凄絶に感情を揺さぶるものだった。


「……否。……生徒会室で仕事を……」と断りの言葉を述べる。


 生徒会役員として日野と癒着しているように見聞されるのは如何なものかと思案するし、ホイホイと尻尾を振るようについて行くというのは私のプライドを傷付ける。

 私の苦渋の決断に、日野はあっさりと「じゃあ、またあとでね」と去ろうとした。

 話の入りも単刀直入なら、勧誘しておいて一度断っただけで即座に引き下がるこの態度も日野らしいが……。

 私は助けを求めるように日々木に視線を送った。


「小鳩ちゃん、一緒に行こう」


 私の気持ちを代弁するように笑顔で誘ってくれる。

 私が虚栄を張って自らを苦境に陥らせるたびに彼女は助けてくれた。


「ひ、日々木がそう言うのならやぶさかではない」


 こういう失敗をしでかすと数日は落胆して過ごす。

 それを日々木が救ってくれた。

 感謝してもしきれない思いだが、それを言葉で表現できず、私は眼差しでそれを伝えるのが精一杯だった。


 日野は自宅マンションに到着するとすぐに昼食作りを始めた。

 私は日々木や安藤とダイニングのテーブルに着席して待つ。

 オープンキッチンなので日野が手際よく動く姿が見える。


「日野は料理も得意なのか」


 私が呟くと、日々木が嬉しそうな顔で「可恋はなんでもできるから」と自慢する。

 私は、両親から「女の子なんだからこれくらいはやりなさい」と家事を強制されるのが嫌で、勉強を理由に自室に逃亡することが多い。


「日々木は?」と質問する。


 むしろ日々木の方が家庭的な印象がある。


「料理は苦手だったけど、だいぶ上手になったんだよ!」


 そう話す日々木の瞳は相変わらずキラキラと輝いている。


「私は家事は苦手だ」と告白すると、「わたしは掃除は得意だよ。料理以外の家事は一通りこなせるかな。でも、小鳩ちゃんは勉強ができるし、生徒会のお仕事も頑張っているし」と日々木がフォローしてくれた。


 私たちの会話を聞きつけた日野が「やるやらないはともかく、一通りの家事は身に付けた方がいい。それが自立への第一歩だから」と箴言を告げた。

 森羅万象を悟り切ったかのような日野の表情に反発を感じるが、言わんとするところは理解する。

 分かったからといって、実行できるかどうかは別だが。


 昼食の間は主に試験のことが話題となった。


「キャシーのお蔭で英語は今回百点間違いなし! って思っていたのに、あんまり成績変わらないかも」


「そこは、キャシーのせいで成績下がるかもと心配するところだよ」


 日々木の言葉に日野がツッコミを入れる。

 ふたりの気が置けない関係が伝わって来る言葉のキャッチボールに羨望してしまう。


「可恋は良い問題だって言うけど、わたしは今回の国語のテストは難しいと感じたのよ。小鳩ちゃんはどう思う?」


「小鳩さんは国語は田村先生だよね。藤原先生は自分の授業を前提にかなり踏み込んで作ったって感じだけど、どう思った?」


 ふたりに話を振られ、私は一日目の国語の問題を想起する。


「良い設問が多かったかと。田村先生の授業で重要視されたところが出題されていたし、先生間の情報共有はしっかりなされていたのでは?」


 私も春に日野のノートを見てから、テスト作成者の視点を意識するようになった。

 単なる知識を問う問題と違い、国語などは作り手の意図がテストに反映しやすいと気付くようになった。


 私の返答に日々木は口をへの字に曲げ、もっと勉強しなくちゃと向上心を見せている。

 日野は田村先生のチェックが入っているのだから当然かと納得の表情を見せた。

 教室では、できたか、できなかったかしか語られず、こんな風に試験の内容に対して突っ込んだ意見を交わすことを新鮮に感じた。


 昼食が終わると、生徒会に関わる課題を話し合う。


「ダンス部の件は、入部が殺到するようだと部員の負担になるから、希望者を集めて説明会を行い、仮入部をしてもらう流れでどうかな?」と日野が決定事項のように話す。


 1年生の生徒会役員に聞いたところによると、興味を抱いている生徒がかなりいるらしい。

 特に今回主力で踊れなかった女子が来年はメインで踊りたいと思い、ダンス部への入部を希望しているそうだ。

 私は興味がなかったが、2年や3年の役員も1年の運動会で接した上級生のダンスに感銘を受けてあんな風に踊りたいと思ったと話していた。

 ダンス部創部は渡りに舟と言えるのだろう。


「告知の時間が必要だから、説明会は週末に」と私が言うと、「水曜の放課後でいいよ。迷って動けない子より、即断即決できる子の方が戦力になるから」と日野が私の意見を覆す。


 スマホの校内持込の件は意図的に決定を遅らせているが、他のことには日野の速さに翻弄されてばかりだ。

 日野自身生き急いでいるように見えるので、彼女の側にいるとそれが当たり前と感じるようになってしまう。


「時間をかけて考えたい人もいるのでは」と私は反論する。


「いま決断できないものを長い時間考えたって決断できないわ。それは情報が足りなかったり、いま決断するに足るメリットを感じなかったりするせいよ。『決断できない』と決断して、代わりに情報を集めたり、状況が変わるのを待ったり、他のことに時間を当てたりすればいい。締め切りを早めるのは無駄に時間を潰す人を助けるためよ」


 時間をかけて考えるには、情報を収集したり、他人に相談したりして考える材料を増やしていかなければ単なる堂々巡りに終わってしまう。

 今回は最も情報を得られる機会である説明会に参加するかどうかなので、それすら決められない生徒を切って捨てる日野の気持ちは分からなくもない。

 それでも混迷してしまうのが人というものだと思うが、二日延長したところで迷う時間が増えるだけという日野の言葉は正しいだろう。


 私は「了解」と頷き、ダンス部の他の細々とした案件へと話題を移した。


 次は文化祭について議論する。

 今年の文化祭は日野が作り上げたと言っても過言ではない。

 例年クラスの発表はほぼすべて合唱であり、まったく変わり映えしない文化祭が毎年繰り返されていた。

 校長先生の指示があったとはいえ、ここまで様変わりするとは想像もしていなかった。


 しかし、合唱や演劇以外のノウハウはほとんど失われていた。

 中学なのでお金を扱うものや調理が必要なものは禁止といった制約も多い。

 合唱を禁止にし、企画もなるべく重複しないように調整した結果、文化祭実行委員や生徒会の負担が非常に増大した。

 そこを様々なアイディアで補ったのが日野だった。

 3年生は大学生との共同企画となったし、ノウハウが足りないものは近隣の中学に協力してもらうなど、学校外を巻き込む発想は他の生徒からはとても出て来ないと思わせるものだった。


「成功失敗なんてささいなことだから。それよりも一部の生徒に負担を偏らせないように気を配ること。ここからは特にね」


 そう語る日野が最も大きな負担をしていると思うが、本人は「頭を使ってるだけだからなんてことないわ」と気にした素振りを見せない。


「良い組織というのは、動くべき手足が自分の頭で考え判断できるものよ。そのためには末端でも全体が見渡せ、理念を共有する必要がある。小鳩さんが生徒会長になったら、そういう組織を目指してね」


「日野が生徒会長に立候補した方がいいんじゃないか?」と思わず本音を漏らすと、「適任がいるのに取ったりしないわよ」と日野は笑ったあと、「それに、他にやりたいことがあるしね」と言った。


 一区切りついたところで日々木がお茶を淹れてくれた。

 大変だが、充実している感覚はある。


「仕事のし過ぎは身体に毒よ」


「可恋がそれを言うの!?」


 私の顔を見て忠告した日野に、即座に日々木がツッコミを入れた。


「私はちゃんとメリハリを考えてるわよ。今回も試験勉強は最低限まで削ったし」


「そこは自慢するところじゃないから!」


 日野の得意げな顔に日々木が大声を出す。


「ひぃなが一科目でも私より良い点を取ったら、ひぃなの言う通り真面目に勉強するわ」


「小鳩ちゃん! 勉強教えて!」


 日野が煽ると、私にまで火の粉が飛来した。

 まあ、たまにはそれもいいか。

 私は微笑んで頷いてみせた。




††††† 登場人物紹介 †††††


山田小鳩・・・2年4組。生徒会役員。生徒会を実質的に仕切っている。1年の時は日々木、安藤と同じクラス。


日野可恋・・・2年1組。学級委員。一部生徒会役員からはこの学校の支配者と畏れられているとか、いないとか。


日々木陽稲・・・2年1組。この学校の女神として一部生徒から崇拝されている。


安藤純・・・2年1組。1年の時は日々木と宇野都古がよく喋り、小鳩がたまに絡み、安藤純はそれを見ていたという感じ。


藤原みどり・・・国語教師。2年1組副担任。3年目の若い先生。


田村恵子・・・国語教師。2年の学年主任。50代のベテラン教諭。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る