第132話 令和元年9月15日(日)「昨夜の出来事」日野可恋
昨日は、最初に思い描いたものとはまったく異なる一日だった。
目的は果たせても、自分の力不足は実感する。
始まりは、運動会の創作ダンスのリーダーである笠井さんがクラスパートの主力であるAチームの結束を図るために親睦会を計画したところからだ。
その親睦会は先週末の台風直撃により中止になった。
笠井さんは今週末の三連休を利用して、合宿を行うことを提案した。
私はそのアイディアを流用し、Aチームではなくクラス全体のまとまりを高めようと考えた。
それが夕食会である。
宿泊は一ヶ所で行うのが難しかったし、親の同意を得られるかも分からない。
練習後の夕食会なら参加しやすいし、女子同士の交流も深まるんじゃないかと期待した。
場所は私のマンションを予定していた。
ひぃなの姉の華菜さんに手伝ってもらってカレーでも作ればいいと軽く考えていた。
全員雑魚寝という訳にもいかないだろうと、宿泊場所として松田さんに協力を仰いだ。
快く引き受けてもらった。
しかし、そこから私の計画は予想外の方向へと進んでいく。
松田さんの自宅には、普段はパーティションで仕切ってある広い食堂があると言われた。
年に数回パーティで使うことがあるそうで、このくらいの人数なら余裕だと太鼓判を押された。
あまりご迷惑をお掛けしたくないと伝えたが、松田さんのご両親は一見温和な方たちなのに、私が折れるまで辛抱強く協力を申し出た。
人生経験の差を思い知らされた。
食事の準備もすべて引き受けると言われてしまう。
私としては割り勘で参加費を取って、中学生らしい普通の食事で十分だと思っていたのに、娘の学友を招待するのだから親として当たり前だなんて言われると返す言葉が見つからない。
あれよあれよという間に、夕食会は大ごとになり、極めつきは執事やメイドまで準備されてしまった。
交渉の主導権を奪い返そうと必死だったのに、とうとう最後までそれは叶わなかった。
それに比べれば、ひぃなの思い付きは取るに足らない変更だ。
むしろ、結果的には松田家の歓迎振りに見合う装いをすることになり、ひぃなに救われた気持ちにさえなった。
押しとどめられなかった夕食会は、完璧な内容だった。
料理はプロの技が発揮され、食材もおそらく最高級のものだったと思う。
口にはしないが、おそらく一人一万円を下ることはないだろう。
これに執事やメイドの派遣費用などを考慮すると、子どものちょっとした集まりに尋常じゃない額のお金を注ぎ込んでいるはずだ。
資産家だとは聞いていたが、これほどだったとは。
うちは、いまは母の稼ぎが良いから贅沢に暮らしているが、元々は貧乏だ。
ひぃなのお祖父様は北関東の田舎に豪邸をお持ちだが、一代で会社を興して成功した人なので苦労も経験している。
それに対して、松田家は由緒正しい家柄で、このご両親はともに生まれもっての富裕層らしい。
デザートに出されたショコラケーキに至っては、贅沢の極みを感じた。
ショコラの香りと品の良い甘さ、とろけるような舌触り、そこにアクセントをつける柑橘系のソース。
これまで高級デザートを食したことは何度もあるが、ここまで繊細でありながら濃厚な味わいのものは初めてだ。
世界中の美味しいをここに凝縮したようにさえ感じた。
甘いものは好きだけど、食事の管理は綿密に行っている。
自分をコントロールすることが最重要事項である私にとって、鉄の意志で誘惑を撥ねつけていた。
しかし、このデザートはそんな私を魅了する蠱惑の存在だ。
目の前に突きつけられて、手を伸ばさないという自信が持てない。
あとで、松田さんのご両親にこのデザートの入手法を請うたのは当然の成り行きだった。
そんな私の事情はともかく、クラスメイトたちは普段と異なる空気に酔ったように、言葉が弾んでいた。
美しい衣装を着飾り、豪華な部屋で、美味しい料理に舌鼓を打てば、誰だって幸せを感じるだろう。
静かなのは安藤さんくらいで、クラスメイトと会話をすることの少ない麓さんや、他のグループの子と交流を持たない森尾さん、伊東さんといった人たちまで饒舌で、周りとうち解けているように見えた。
うちのリビングでカレーを食べたとして、ここまで和んだだろうかと思ってしまう。
とはいえ、幸せな時間にも終止符を打つ時が来る。
心苦しいが永遠に引き延ばすことはできない。
夜9時の鐘の音とともに、私は夕食会の終わりを告げた。
みんな名残惜しそうだが、食堂をあとにする。
宿泊が認められなかった森尾さんと田辺さんは、松田さんご夫妻が直々に送ってくれることになった。
森尾さんは私が送るつもりだったが、わざわざ出向いてくださることに何度も頭を下げてお礼を言った。
Aチームのメンバーは着替えて、私のマンションに向かう。
ひぃなや三島さんはついて来たそうだったが、松田さんたちにあとを任せ、私たちはぞろぞろと夜の町に出た。
騒がないように注意しながら、中学校のすぐ側の私のマンションにたどり着いた。
多くが初の訪問なので、部屋の広さに驚いていたが、それを無視して連絡事項を伝える。
「私の部屋と客間、あとはこのリビングで寝て。リビングはソファと簡易ベッドを使えるようにしてあるから。シャワーを浴びたい人はそこにあるから自由にどうぞ。タオルなども出してある分は自由に使っていいから」
私は「先にシャワーを浴びてくるから、その間に部屋割りを決めておいて」と告げ、返事を待たずにさっさと浴室へ行く。
戻ると、笠井さんが「みんなここでいいじゃん」と言ったので、「好きにして。私は寝るわ」と私は自室に向かおうとする。
「マジかよ。今から盛り上がるんだろ」と笠井さんが私の行動に反発する。
「私はいつもこの時間には寝てるのよ。邪魔をしないで」と冷たく突き放すと、「いいのか? 日野が寝ている間にあっちこっち漁るかもよ」と笠井さんがぐるりと周りを見ながら悪い笑みを浮かべた。
「告げ口をしてくれた子にはご褒美を上げるわ」と私はニッコリと笑って言い、自室に入ると鍵を掛けた。
着替えてすぐに就寝する。
リビングからは話し声がうっすらと聞こえたが、気にならない。
これで長い一日が終わったはずだった。
なぜか目が覚めた。
悪い予感がしたという訳ではないが、他のクラスメイトがいる状況が気になっていたのかもしれない。
まだ日付が変わる前だった。
こんな時間に目を覚ますことなんて滅多にないのにと思いながら、リビングの様子を見ようと鍵を外しドアを少し開く。
なぜかリビングに母がいた。
座ったり寝転がったりしながら、クラスメイトたちと母が車座になっていた。
聞こえるのは母の声ばかりで、他の子たちは興味深そうに耳を傾けている。
私はドアを大きく開き、「なんでいるの?」と不機嫌な声で尋ねた。
今日は地方での仕事で帰らないと聞いていたのに。
「友だちを放っておいて先に寝るなんてひどい子ね」と母は呆れてみせた。
私が睨みつけるのもどこ吹く風で、「理由なんていまはいいじゃない。それよりも、あなたの学校生活について聞いているところだから、寝てていいわよ」と母は話す。
「余計なことを言わないように」とクラスメイトの面々を威圧すると、「可恋の脅しに屈しないために、弱みのひとつでも教えてあげようかしら」と母はニヤリと笑う。
本当にやりかねないから恐ろしい。
私は両手を高々と挙げ、「分かった。降参する。寝るよ。ただし、常識の範囲内で話すように」と釘を刺した。
どれだけ効果があるか分からないが、これ以上言い争っても勝ち目があると思えなかった。
私は自室に退散し、寝直すことにする。
本当に力不足だ。
もっと力が欲しいと思いながら私は眠りに落ちた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・中学2年生。普通の人の3倍の速度は大げさだが、1.5倍ほどの速度で外見も中身も成長している。もちろん、本人の努力の賜。
日野陽子・・・可恋の母。大学教授。私の行動を予測できないなんて可恋もまだまだね。
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