第117話 令和元年8月31日(土)「日野と」麓たか良
「女だからって理由でこういう仕事が回ってくるのよ。警察は古臭くてどうしようもないわ」
ドライバーの女性が嘆く。
助手席の日野は愚痴に付き合わずに別のことを聞いた。
「防犯講習って普通は夏休み前にやるんじゃないんですか?」
「延期になったのよ。ここだけの話だけど、担当の人間が不祥事を起こしちゃって……」
「ああ、そういえば神奈川県警も評判悪いですね。前に住んでいた大阪もよく揶揄されてましたが……」
運転中だというのに、ギロッと横を睨んでから「どこも似たようなものよ。そのせいでこっちにお鉢が回ってきた訳。講習自体の手配は簡単だけど、さすがに客席がガラガラじゃ示しがつかないし、あちこち声を掛けたり、こうして送迎までしてあげたりと大変よ」と大きなため息をついた。
しばらくして道路脇に停車し、「そこの建物よ。私の名前を出せばいいから」と日野に言い、後ろを振り向いて「今日はありがとうね。こんなにお友だちを連れて来てくれて助かったわ。みなさん、しっかり聞いてきてね」と笑顔を見せた。
その笑顔は一見優しげだが、目の奥に鋭いものが垣間見えたように感じた。
ヤクザのような連中が親しげに近寄る時に見せる笑顔。
こういう笑顔には気を付けろと言っていたアニキも、外ではこういう笑い方をする。
アウトローだけではなく、それを取り締まる側も似たような人種が集まるってことか。
車から降りると、外はムワッと肌にまとわりつくような蒸し暑さだった。
厚い雲に覆われて日差しがないだけマシだが、不快なことには変わりない。
そもそも休日に日野なんかと警察のイベントに行く羽目になったのだ。
最悪の気分になるのも当然だろう。
発端は昨日の放課後だ。
笠井のダンスを見た後、帰りかけたワタシを日野が呼び止めた。
「麓さん、さっきの踊れる?」と日野が訊く。
「興味ねえよ」と答えても「踊れるかどうかを聞いてるの」と日野は無表情で問い続ける。
「さあな」と言って立ち去ろうとするが、「無理なんだ?」とほんの少し馬鹿にしたような雰囲気で日野が言った。
「挑発したって乗らねえよ!」とワタシは怒鳴った。
日野はワタシをジッと見て、少し考えてから「明日ヒマでしょ? 少し付き合って欲しいの」といきなり話を変えた。
「なんでお前なんかと」と反発する。
日野は目を細め、「スマホ持ってるよね? 見つかったら没収よ」と脅してきた。
「だいたい他の奴らだって持って来てるじゃんか。ワタシばっか……」
「信用がないからでしょ」とワタシの言葉を遮って日野が言い放つ。
教師の奴らに信用されていないのは身に染みて知っている。
だからといって、納得できるものではない。
「生徒会が主導でスマホの持ち込みのルール作りをしてるのは知ってるよね? そのテスト運用として、朝の登校後に持って来たスマホを集めて職員室に預け、帰り際に返してもらうやり方をすることになりそうなの。預けずにスマホ使用が見つかったら一発で没収、親呼び出して、繰り返したら停学みたいな」
現在は許可を受けた生徒は持ち込みを許されている。
校内での使用は禁止だが、見つからなければ問題ない。
当然、日野は許可をもらっているし、ワタシはもらえないでいる。
「このやり方なら許可をいままで受けていない生徒も持参してもいいと思うのよ、私は。でも、問題のある生徒には許可を与えたくないという先生方も多いみたいね」
「新しいやり方になったからって、ワタシに何の得がある?」
毎朝預けるなんてめんどくさい。
預けないで見つかったら一発没収はいまと変わらない。
「いまはあまり変わらないでしょう。でも、3年になれば……、来年度からはおそらく校則の運用が厳しくなるはず。麓さんはお兄さんがいるのよね、ここの卒業生の。この学校が厳しかった頃の話は聞いてないの?」
アニキがいた頃のこの中学は校則が厳しくて有名だった。
アニキのようなはみ出し者は学校と対立し、かなり荒れた3年間になった。
そのせいでアニキの名前はここら一帯で知られるようになった訳だけど。
「その話が本当だという保証はあるのか?」
ワタシは日野に尋ねる。
来年の話もそうだし、スマホの持ち込みルールの話もそうだ。
あくまでも日野が言っているだけだ。
それに日野にルールを変更する力が……ないとは言い切れない。
「保証なんてないわよ。私は最悪の事態が起きても困らないようにいろいろと手は打ってるけど、あなたが指を咥えてボーッと見てるだけなら、あとで泣きついてきても相手にしないわ」
日野は忠告はしたという顔だ。
来年のことなんて考えたこともなかった。
そんな急に変わるとも思えない。
しかし……。
確かにアニキが語ったこの中学と、いまのこの中学はまったく別物だ。
わずか数年でこれだけ変わったのなら、元に戻るのもすぐなのかもしれない。
「分かった。明日行けば、ダンスの方はいいんだな?」
「まさか。ダンスもやってもらうわよ」
今朝、集合時刻に学校の正門前に行くと、日野、日々木、安藤の三人が待っていた。
すぐに黒のセダンが四人の前に停まった。
日野が挨拶をして助手席に乗り込んだ。
安藤、日々木に続いてワタシも乗車する。
「こちら、神奈川県警の続木さん。刑事さんね」と日野が運転手の女性を紹介した。
すでに発車していた車から飛び降りなかったのは褒められてもいいくらいだ。
驚きすぎて、咄嗟に動き出せなかったせいかもしれないが……。
「麓さんには話してなかったけど、これから警察の防犯講習を見学しに行くのよ」
よりによって、なんでワタシが警察のそんなイベントに行くのか。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
唖然としていたが、ようやく絞り出すように「なんでワタシが……」と聞くことができた。
「車で送迎してくれるには座席4人分集めろと言われたのよ」
聞かなきゃよかった。
ただの人数合わせじゃないか。
「帰る」と言い出そうとしたワタシより先に、「麓って珍しい名字だと思ったら、あなたのお兄さん、ちょっとした有名人じゃない」と運転中の刑事が言った。
嘲るような口調にムッとしたが、アニキのことを持ち出された以上、うかつなことは言えない。
「そんな風に言うと、大切なお客さんが帰ってしまいますよ」と日野が苦言を呈すと、「あら、ごめんなさい」と気持ちのこもらない謝罪があった。
講習はただ座って聞いているだけだと言うし、帰りも車で送ってもらえる。
時間の無駄だが、余計なことは考えずに日野に付き合うしかないと腹をくくった。
防犯講習は退屈であくびを連発した。
いっそ眠ってしまいたかったが、日野は許してくれない。
うとうとすると肘で脇腹を小突いてくる。
「当たり前の話ばっかじゃん」
やっと講習が終わり、ワタシがぼやくと、「そうだね。穴ばかりだね」と真剣に聞いていた日野が不敵な笑みを浮かべた。
「襲う側の気持ちで聞いてたのかよ」と問うと、「それが分かれば、対策が取りやすいじゃない」と日野は平然と答えた。
「麓さんだって、勝てない相手に何の策もなしに挑む人間はバカだと思うでしょ?」
日野の問い掛けにワタシは頷く。
相手の力量を見極めることは大切だし、勝てない相手にはどんな手を使ってでも勝つ方法を考える。
戦いはきれい事じゃない。
「相手を知り、自分を知る。戦いの基本中の基本よ」
それは分かる。
特に、日野を侮ってこちらから手を出し、返り討ちにあったあの失敗から大いに学んだことだ。
「例えば、そうね、さっき運転してくれた続木さん。空手の経験は浅いから、組み手のルールならまだ私が強い。だけど、実戦だと手も足も出ないわね。うーん、私と麓さんのふたりでも無理。キャシーが加わって三人なら勝負になると思う」
「そんなに強いのか?」
「多くの格闘技に精通していることも大きいけど、相手を見抜いたり、駆け引きしたりという部分が相当優れてる。頭が良くて、目が良くて、経験が豊か」と日野は指折り数えて見せた。
「でも、本当の強さは実戦じゃない。知力があり、人脈があり、何より権力を持ってる。どこか付け入る隙がないか探しているんだけど見つけられない」と日野が珍しく悔しそうに空を睨んだ。
ワタシから見れば、現役の刑事相手に優位に立つことを考える中学生の方がどうかしていると思う。
まあ、ワタシにとっての日野のように、身近に勝てない相手がいるのは鬱陶しいという気持ちは分かる。
日野の場合、アキレス腱は日々木だとハッキリしているから、攻めるならそこだが……。
「余計な事は考えない方が身のためよ」
ワタシは表情を変えず、日々木の方を見向きもしなかったのに、日野はこちらの思考を読み取って釘を刺した。
アキレス腱ではあるが、不用意にそこに手を出すとこちらの身が危険だ。
「分かってる。何もしない」とワタシは両手を挙げてみせた。
日野は優等生ではあるが、本質はワタシと同類だ。
暴力の持つ力をよく理解している。
悪魔のような知恵があり、罪から逃れる術を知っている。
さらに、一般人の持つ常識や善悪の基準に縛られない。
やはり日野は敵に回すのではなく、利用すべき存在だ。
いまはまだこちらが利用されてばかりだけど、その時はきっと来るはずだ。
††††† 登場人物紹介 †††††
麓たか良・・・中学2年生。彼女の兄は地元の不良仲間から一目置かれる存在。兄への憧れが強い。
日野可恋・・・中学2年生。一度は断った話だったが、続木が色々と手を回して行く羽目になった。
日々木陽稲・・・中学2年生。続木&麓の前ではおとなしくしておいてと可恋に頼まれ、言いつけを実行した。
安藤純・・・中学2年生。スイミングスクールは午後からだったので、このあと直行した。
続木景・・・神奈川県警の刑事。有能すぎるとこういう面倒事も押しつけられる。
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