第98話 令和元年8月12日(月)「罰」日野可恋

 お昼前に呼び鈴が鳴った。

 対応に出たのはひぃなと華菜さんで、やって来たのは愛花さんだった。


「なんか、うちの下の兄が勉強を教えてやるって言い出して……。入れてって言ってるの」


 困り果てた話し振りの愛花さんに、華菜さんも言いづらそうに「いまお父さんがいないから無理」と答えた。


 朝早くにひぃなたちのお父さんは安藤さんを家に帰すために車で神奈川に向かった。


「だよね。そう言ったんだけど……。もう一回ちゃんと話してみるね」と愛花さんは外へ出ようとドアを開けた。


「え、なんで、ここに」と愛花さんが大きな声を上げた。


「やだ!」と叫ぶ彼女を押しのけて、部屋に押し入ってくる。


 ひぃなと華菜さんは逃げるように部屋の奥に行き、それを追って男が三人居間に侵入してきた。

 物陰に隠れていた私は、彼らの出口を塞ぐように飛び出した。

 それに気付いて振り返る男たち。


「次に何かしたら潰しますと伝えてもらったのですが、伝わっていませんでしたか?」


 私が微笑みを向けると、彼らの顔が凍り付いた。

 どうやら伝わっていたようだ。

 リーダー格である愛花さんの下の兄が「帰ったんじゃ……」と呻くように声を出した。


 私が帰還を延期したのは秘密にしていた。

 ひぃなには口止めし、他に知っていたのはひぃなの祖父と父親だけだった。

 今朝安藤さんと一緒に帰ることになっていたので驚くのは無理もない。


「三人がかりで刃向かってくださると、こちらも一切手加減しないで済むのでありがたいのですが」と告げるが、残念ながら彼らは微動だにしない。


 前回ほんの軽くダメージを与えただけだったのに、私に対する警戒心は想像以上に強いようだ。

 殴って解決できないのであれば、次善の策を取らなければならない。


「首謀者はそちらの方のようですから、他のふたりは抑えておいてもらえますか?」と頼むと、愛花さんの下の兄を残るふたりが左右の後ろから押さえ込んだ。


「何する、やめろ!」と抵抗するが、ふたりがかりなので振りほどけない。


 愛花さんの下の兄は安藤さん並に背が高い。

 線は細く、強そうには見えないが、顔立ちは整っているのでモテそうだ。

 そのことと女性を見下す態度とが関係するのかは分からないし、興味もないが。

 その彼を押さえつけている兄弟は、兄は私と同じくらいの身長で少し横幅がある。

 中学生の弟はそれより低く、スマートな体型だった。

 兄の方は顔中のニキビが目立ち、弟は眼鏡越しの目がウンザリしている気持ちを表していた。


 私は愛花さんの下の兄の正面に立ち、指を三本立てる。


「三つの選択肢の中から選んでもらえますか? 物理的に潰されるのと、社会的に潰されるのと、精神的に潰されるのと」


 もう一方の指で立てた三本の指を示しながらそう説明した。


「べ、別に何もしてないだろ! 離せよ、おい」と反省の色もなくなおも暴れ続ける。


「か弱い女子しかいないところに無理矢理押し入ってきたんです。強姦未遂ってことで警察に突き出しましょうか?」


「そ、そんなことする訳ないだろ! ただちょっと脅そうと思っただけだ」


「脅迫目的だったわけですか。それも犯罪だとご存知ですか?」


「この前だって、俺はお前に指一本触れてないだろ! それなのに殴りやがって。お前の方が犯罪者じゃないか」


「女性を威圧し、言うことを聞かせようとする態度だけで十分に暴力ですよ」


 私はそう言うと、殴る構えをする。

 彼は身をよじってそれを避けようとするが、押さえられているので逃げられない。


「殴らなくても恐怖を感じるでしょう? あなたがやっているのはこういうことですよ」


 せっかく教えてあげたのに、彼は私を睨むだけだ。


「ご理解いただけないようなので、物理的に潰しちゃいますか。今後犯罪者となってご家族に迷惑を掛けないための未然の措置として」


「な、ま、待て! 止めろ! わ、分かったから!」


 声を無視して、私は空手の構えをする。

 気合いを込めていると、「ごめん、謝るから! 許して! 許してください!」と悲鳴が上がった。

 私は構えを解き、頬に手を当てて、「本当に悪いと思っているのでしょうか?」と尋ねる。

 彼は首をブンブンと縦に振って、「俺が悪かった。二度としない」と大声で言った。


「次に……、うしろの方々ですが、先日愛花さんを襲おうとしていましたよね」と確認すると、「おい! マジか!」と彼女の下の兄が振り向こうとする。


「違う! ただ追い掛けただけで」とニキビ面が否定する。


「でも、とても怖がっていましたよ、愛花さん」と私が言うと、「この、クソ野郎!」と下の兄がぶち切れていた。


「兄貴分のやり方を真似しただけですよね」と兄弟を庇ってあげると、下の兄は「クソッ」と大声を出した。


 突然、下の兄を押さえていた兄弟の弟の方がこちらに向かって駆け出した。

 私の横をすり抜けて部屋を飛び出して行く。

 逃げ出そうという彼の意図を察知した私は止めようとしなかった。


 右手が自由になった下の兄がニキビ面に殴りかかった。

 ニキビ面は逃げようとするが、さっきまで密着していたので逆に服をつかまれ逃げられない。

 身長差もあるし、これまでの上下関係もあって、攻撃は一方的だった。

 ニキビ面は何発か顔を殴られたが、服が脱げたお蔭で距離を取ることに成功する。

 しかし、逃げ場はない。

 彼はズボンのポケットから何かを取り出した。

 折りたたみの小さなナイフ。

 私はそれを確認した瞬間、下の兄を背後から蹴り飛ばし、その勢いでニキビ面に近付きその手をねじ上げた。

 ギャッ! という悲鳴を無視して、ナイフを押収する。

 彼は床にへたり込んだ。


「追い掛けなくていいの?」とひぃなが尋ねた。


 逃げ出した弟のことが気になっているようだ。


「別に。死にはしないでしょ」と本音を口にすると、白けた空気が漂う。


 ちょっと言い過ぎたと思い、それを振り払うように「それじゃあ、お祖父様のところへ行きましょうか」と私は告げる。

 私に蹴り飛ばされてうつ伏せに倒れていた下の兄と、へたり込んでいたニキビ面がギョッとした顔でこちらを見た。

 私は有無を言わせずにふたりを立たせ、ふたりの手を握らせる。

 いわゆる「恋人つなぎ」で。


「しっかり握っていてください。逃がしたら連帯責任です」




 お祖父様はため息をついて迎え入れてくれた。

 事情を説明すると、険しい顔ですぐにふたりの親を呼び出した。


 お祖父様は手を繋いで立っているふたりには何も言わず、じっと正座して待っている。

 女性陣は部屋の隅に座り、私は問題児ふたりの背後に立っていた。

 ニキビ面の方は殴られた顔を手で押さえ、そわそわと身じろぎしている。

 一方、下の兄はどっしりと立ちそっぽを向いていた。


 それぞれの親が駆け込んできた。

 部屋の中のピリピリした空気に、親たちも声を出さずに息子とお祖父様の様子をうかがっていた。

 お祖父様はひとつ咳払いをしてから、ふたりの行為を説明した。

 その最後に、反省の色がなければ警察に突き出すことも辞さないと口にした。


 ふたりの親は「子どものいたずらじゃないですか。大げさすぎます」と反論したが、お祖父様は「黙れ!」と一喝する。


「年端もいかぬ女の子しかいない部屋に押し入った。どういう意味か分かるか。もし指一本でも触れていたなら、ワシがこの愚か者共を殺して自首するところじゃ」


 その怒りの剣幕に親たちは絶句した。

 本気でやりかねないと思わせる意志の籠もった言葉だった。


 この凍り付いた空気を破ったのは意外にも下の兄だった。


「済みませんでした。俺が間違ってました。反省してます。もう二度としません」


 こちらからはその表情は見えない。

 感情が籠もっているとは言い難いが、大きな声でハキハキと謝罪の言葉を並べた。

 最後にお祖父様とひぃなたちに頭を下げた。


 お祖父様は彼を見定めるようにじっと視線を向けていた。


 続いて、もうひとりが泣きながら謝罪した。

 一見すると彼の方が反省しているようだが、私には場の雰囲気に流されているだけのように感じられた。


 それでも、ふたりが謝ったことで一件落着の空気が漂う。

 すると、お祖父様がなぜか私に「彼らに罰が必要か?」と尋ねてきた。


「そうですね、丸刈りなんてどうでしょう?」と私は軽く答える。


 オシャレに気を使っていなさそうなニキビ面は反応しなかったが、下の兄の方はこちらを振り返った。

 彼はサイドを刈り上げ、前髪は長めに整えている。


「二学期が始まる頃にはそこそこ伸びてるんじゃないですか」と投げやりに慰めると、彼はぷいと前を向いた。


 お祖父様や親世代には妥当な罰として歓迎された。

 すぐにバリカンが準備される。

 お手伝いさんたちの手際の良さには目を見張るものがあった。

 それぞれの親に丸刈りにされたふたりは何とも言えない表情をしていたが、これで当分は悪さはできないだろう。


 この後、逃げた弟のことが話題になり、彼の親やお手伝いさんたちが慌てて探しに出て行った。

 私は「ほとぼりが冷めたら出て来ると思います」とお祖父様に推測を語ってから、ひぃなたちと部屋に戻った。


「怖かった?」と戻る途中でひぃなに尋ねると、「可恋がいたから平気」とひぃなは笑っていた。


「それに、今日の可恋、格好良かったし」




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・中学2年生。ケンカを売られたと感じた瞬間には相手を倒している主義。


日々木陽稲・・・中学2年生。争いごとはダメだと思うが、避けられないことがあることも知っている。


日々木華菜・・・高校1年生。怖くて震えていたが、事が済んだ後は親友のゆえに報告する許可を可恋にもらった。


日々木愛花・・・高校1年生。陽稲と華菜の従姉妹。この娘ちょっとヤバいと思いつつ、こういう娘がいると助かるなという気持ちも。

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