第99話 令和元年8月13日(火)「縁日」日々木陽稲

 今夜、近くの神社で縁日が開かれる。

 その境内は山の上で、車でも行けるが、”じいじ”の家からは裏手の山道を登った方が速い。

 わたしの体力ではひとりで登り切れなかったけど、今年は満を持しての挑戦だ。

 去年は夏風邪を引いて家で留守番をしていた。

 今年は少しは成長したし、ジョギングと筋トレの成果が発揮されるはずだ。


 縁日と言えば、浴衣は外せないアイテムである。

 急遽参加が決まり、浴衣を用意していなかった可恋は普段着でいいよと言ったが、そんなこと天が許してもわたしが許さない。

 古い浴衣を用意してもらい、わたしとお手伝いさんでお直しをすることにした。


 わたしの浴衣は今日のために用意した黄色い地に和柄の紋様の入ったものだ。

 夕闇に映えるようにクッキリとした黄色で、朱色の帯と合わせている。

 可恋には赤い浴衣を勧めたが、却下されてしまった。

 選んだのは紺の格子柄に朝顔が描かれた少し渋めのものだった。

 帯は淡い色合いのグラデーションが入ったものにして、アクセントにお揃いの赤の帯留めを使う。


 なんと、可恋は浴衣を着るのは初めてだという。

 わたしが着付けをしてあげると、「やっぱり和服は戦闘には向いてないね」と呆れた感想を述べた。


「当たり前じゃない。そんなことを考えるのは可恋くらいだよ」と笑ってしまう。


 可恋は落ち着かない様子だ。

 キャシーなら大喜びで浴衣を着てくれるだろう。

 でも、神社に着いた頃には相当着崩れていると思うけどね。


「そんなに気になるの?」と可恋に尋ねると、「空手着も和装と言えば和装なんだけど、全然別物だしね」と彼女にしては珍しく頓珍漢な答えが返ってきた。


「着物も着たことないの?」と問うと、可恋は頷いた。


「七五三は11月でしょ。その季節は寝込んでいるから無理だし、十三詣りは母に誘われたけど断ったしね」


「十三詣り?」と初めて聞く言葉について訊く。


「こっちではないのかな。数え歳で13歳になったら神社にお参りに行くのよ。普通は小学校を卒業した後の春休みにね」


「へぇー」と感心し、「どうして断ったの?」と聞いてみる。


「面倒じゃない。着飾ることに興味なんてないし、宗教的な行事にはもっとないしね。母は、娘が着飾ることが親孝行だとは言える立場でもないしね」と可恋は苦笑した。


「でも、可恋なら似合ったのに」と残念がる。


 だって、浴衣を着ていたら小さい頃の写真も残すものでしょ。

 それを見られないなんて大きな損失じゃない。

 ちなみに、わたしの場合は行事ごとに大量の写真が残っている。

 物心がついてからは、あの時に何を着たかはほぼすべて覚えているけど。


「身体が動く時は空手、動かない時は読書しか頭になかったしね」と可恋は肩をすくめた。


「成人式は一緒に着物着ようね」と真剣に言うと、「それまで頑張って生きないといけないね」と可恋は言葉を返した。


「また、そんなこと言う」とわたしが悲しげに呟くと、「ごめん、ごめん。後ろ向きの発言だったね。うん、成人式で一緒に着物を着よう。約束する」と可恋は明るく話し、わたしの頭をポンポンと叩いた。




 夕刻、残念ながら雨となった。

 小雨なので傘をさして出掛ける。

 車を出そうかと言われたが、降り出したばかりで道も悪くないし、このくらいなら平気だと断った。


 参加者はわたしと可恋の他に、お姉ちゃんと愛花さん、わたしのお母さんと愛花さんのお母さんの6人となった。

 従兄弟たちは禁止された訳じゃないけど、愛花さんの下の兄が丸刈りの頭がみっともなくて行けないと言い、彼が行かないなら行かないと他のふたりも言った。

 うちのお父さんは昨日神奈川に戻り、今日はお母さんを連れて運転してきた。

 疲れたと言って休んでいる。


 この近辺で”じいじ”を知らない人はいない。

 毎年、夏と冬に必ず訪れているわたしたちも顔を知られている。

 神社の関係者はみな知り合いだし、屋台のおじさんたちや、縁日に参加する地元の人々も顔見知りと言っていい。

 だから、わたしたちにちょっかいを出してくる連中はいないし、いたとしても周りが守ってくれる。

 それに可恋もいるしね。

 可恋の強さについては尾ひれが付いて親戚一同に広まっている。

 近隣に住むお手伝いさんたちの口を通じて、この一帯に広まるのも時間の問題かもしれない。


 わたしはこんなこともあろうかと和傘を準備していた。

 使う機会が訪れたことに浮き浮きしていると、重いでしょと可恋が傘を持ってくれる。


「張り切りすぎると、途中で力尽きるよ」と可恋に言われたが、わたしは意気揚々と山道を歩く。


 体力は問題なかったが、半分を過ぎた辺りで歩くペースが落ちてしまった。

 ほらという顔で可恋がわたしを見る。

 わたしは気まずくて顔を逸らすと、「おぶろうか」と気を使われる。


「ペースを落としていけば大丈夫だから」と少しムキになってわたしは答えた。


 他の4人には先に行ってもらい、わたしは可恋に手を引いてもらいながら歩いた。

 まだ夕方だけど、雨雲のせいで周囲は薄暗い。

 木々が鬱蒼と茂る山の中で、わたしが照らすライトだけが皓々と明るい。

 こうして歩いていると、この世界にふたりだけしかいないような気分になってくる。


 雨音とふたりの足音だけが聞こえる世界で、わたしは「こんな時間がずっと続くといいな」と呟いた。

 耳ざとくそれを聞き取った可恋が「そうだね」と頷く。

 なんだかとても嬉しく感じた。

 思わず涙が零れてしまいそうになるくらいに。

 ふたりが出会い、こうして手を繋ぎ、同じ思いを共有する。

 奇跡だとか運命だとかそんな言葉が頭に浮かぶ。

 でも、もっともっとキラキラと輝く特別な想いなんじゃないか。

 わたしがそれを口にすると、可恋は「人と人を繋ぐものを愛と呼ぶんだよ」と教えてくれた。




 雨のせいか、人出は例年より少なく感じる。

 立ち並ぶ屋台の灯りが宝石のように輝き、雨がかえって幻想的な雰囲気を醸し出しいるような気がした。

 非日常の持つわくわく感がわたしのテンションを高めてくれる。


 お母さんたちは挨拶回りに行き、待っていてくれたお姉ちゃんと愛花さんと一緒に屋台を回る。

 お姉ちゃんはたこ焼きを買って、大阪出身の可恋に味を品評してもらっている。

 わたしは綿菓子、可恋はイカ焼き、愛花さんはリンゴ飴を買って食べ歩く。


 途中にあった金魚すくいに愛花さんが挑む。

 可恋に「ひぃなもやったら?」と言われたが、「可哀想だから」と小声で答えた。

 逆に「可恋はやらないの?」と尋ねると、「私がやると全部取っちゃうよ」と笑って冗談を言った。

 ……冗談だよね?


 屋台のおじさんや道行く地元の人たちから次々と声を掛けられた。

 にこやかに笑って相手をしていると、いろいろなものをもらってしまう。

 多くは食べ物だが、こんなに食べられないので、可恋やお姉ちゃんたちに持ってもらいながら、子どもを見つけてはプレゼントするという行動をゲーム感覚でやっていた。


「可恋はあまり食べてないみたいだけど平気なの?」とちょっと気になったので尋ねてみると、「美味しそうだけど、カロリーの塊だしね」と可恋が笑う。


 それを聞いて、お姉ちゃんと愛花さんがウッと顔をしかめたのをわたしは見逃さなかった。


 屋台を一周し、お母さんたちと合流する。

 神社にお参りし、知り合いの人たちに挨拶をして、広間で少し休ませてもらう。

 初対面の可恋に興味を示す人が多かった。

 昨日の今日なのに、もう噂を聞いている人が結構いた。

 噂では彼女ひとりで従兄弟三人を軽く捻ったということになっている。

 大筋は間違ってないけどね。


 可恋の凄さが称えられてわたしも嬉しい。

 ただひとつ不満なことは、彼女が高校生に見られて、わたしのお姉ちゃんや愛花さんの友だちだと思われていることだ。

 いまも小学生に間違われるわたしと同じ歳に見られない。

 こればかりは仕方がないことだけど、悔しく感じてしまう。

 そんなわたしの気持ちを察して、可恋が「他人の視線なんて気にしなくていいじゃない」と慰めてくれる。


「でもね、他人の視線はわたしのパワーの源なのよ」と反論すると、可恋はわたしを見つめて優しく囁いた。


「私の視線だけじゃ足りないの?」と。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学2年生。当然縁日に行く前にお姉ちゃんにツーショット写真をたくさん撮ってもらった。


日野可恋・・・中学2年生。写真を撮ってもらっている間、浴衣で戦うのに適した格闘技は何か考えていた。


日々木華菜・・・高校1年生。縁日から帰ったら、親友のゆえと浴衣写真で盛り上がる予定。


日々木愛花・・・高校1年生。可恋にスタイル良くて羨ましいとひとこと言ったばかりに、可恋から熱烈に筋トレを勧められることに。


日々木実花子・・・華菜と陽稲の母。陽稲は祖父に丸め込まれている可能性があるので、縁日から帰ったら可恋ちゃんに詳しく聞かないとと考えている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る