第96.5話 令和元年8月10日(土)「田舎」日々木愛花

 お父さんが運転する自動車がようやく祖父の家に到着した。

 渋滞に巻き込まれ、かなりうんざりした気分だ。

 駐車スペースに駐まっている車を見て、「華菜ちゃんのところはもう来てるね」とお父さんがわたしに言った。


 小学生までは楽しかった旅行も、中学生以降は行きたくない家族行事となった。

 周りは山しかない。

 コンビニすら近くに一軒もないド田舎だ。

 わたしはお兄ちゃん子で、一緒に山の中を駆け回ったこともあったが、さすがに思春期になるとそんなことはできなくなる。

 お兄ちゃんに対してもウザい存在だと思うようになってしまった。

 下の兄は従兄弟の兄弟とつるんでいるが、この三馬鹿には近寄りたくない。

 そうなると、この閉ざされた山奥では否応なく従姉妹たちと仲良くするしかない。


 わたしはその従姉妹のひとり、陽稲ちゃんが嫌いだった。

 子どものわたしから見ても可愛い外見だったが、周りからはお姫様のように扱われ、それを当然のように受け入れる姿に嫉妬した。

 自分の家ではわたしがそういう扱いを受け、それを当然と思って過ごしていたので、それがここではできなくてそんな感情が芽生えたと今ではよく分かる。

 彼女の姉で同学年の華菜ちゃんが、妹を最優先にすることも気に食わなかった。

 わたしの兄や従兄弟がわたしの味方についてくれたから、どうにかここで過ごすことができた。

 それでも、駄々をこねた思い出したくない記憶はいくつも残っている。


 一日二日ならともかく、毎年夏と冬は一週間以上ここで過ごさなければならない。

 高校生になった今もこうして家族での帰省から逃れられない。

 嫌々でも付き合わなければならない以上、表向きだけでも華菜ちゃんたちと仲良くしないとやっていけなかった。

 だから、こうしてわざわざお父さんが華菜ちゃんがいることを教えてくれるようになった。

 でも、祖父の家以外では連絡も取り合わないような関係だし、向こうも色々と思っているだろうと感じる。

 お兄ちゃんたちは相も変わらず陽稲ちゃんにちょっかいを出すし。


 いつもの部屋に案内され、一休みしてから祖父の部屋に行く。

 人前では愛想良く振る舞うわたしが、いちばん苦労する相手だ。

 わたしが祖父を嫌っていることを知られているからだろう。

 祖父の方もわたしが嫌っている理由に気付いているから何も言っては来ないけど。


 挨拶が済み、部屋に戻る途中でお手伝いさんから陽稲ちゃんが友だちを連れて来たと教えてもらった。

 退屈なこの僻地に友だちを連れて来るとは良いアイディアだと感心するが、遊ぶ場所のないこんなところに連れて来られる友だちも大変だなと余計な心配をしてしまう。

 インスタ映えするようなスポットでもあればともかく、好き好んで来てくれる友だちの顔なんてわたしには思い浮かばなかった。


 部屋に戻る前に、華菜ちゃんたちの家族に挨拶に行く。

 後から着いた方が挨拶に出向くという暗黙のルールがなぜかあって、そのせいで朝早くに起こされてしまうのだ。

 彼女たちの部屋にはさっき聞いた陽稲ちゃんの友だちもいた。

 ひとりは長身で筋肉の塊みたいな女の子。

 身長だけならうちの兄たちも大差ないが、身体の厚みは雲泥の差がある。

 もうひとりは高校生に見える女の子。

 美人の部類なのに、目つきがちょっとキツい感じ。


 挨拶を済ませ、陽稲ちゃんがふたりを紹介してくれる。

 ふたりとも陽稲ちゃんの同級生と聞いて少し驚いた。

 それ以上に、ふたりは陽稲ちゃんを守ろうとする雰囲気を醸し出していて、そのことにとても驚いた。

 まるで護衛のようだ。

 わたしの隣りに立つ下の兄はそんな雰囲気に気付いた様子もなく、日野可恋と名乗った女の子をジロジロと見ていた。

 鼻の下を伸ばしている下の兄とは身長以外釣り合わないなとわたしは心の中で思っていた。


 部屋に戻ってもやることがないので、わたしはここに残った。

 華菜ちゃんのお父さんは運転の疲れがあるから少し休むと言って、寝室に行った。


「可恋のお祖母ちゃんに教えてもらった大阪弁をマスターしようと思うの」と陽稲ちゃんが覚えたばかりの大阪弁を怪しげなイントネーションで喋り、みんなの笑いを誘う。


 わたしと華菜ちゃんは高校生になってから初めて会ったので色々と情報交換を行う。

 真面目な彼女は英語の宿題の大変さを語り、わたしは東京の私学の流行について教えてあげた。


 夕方近くになって最後の一家族が到着した。

 挨拶にやって来たが、華菜ちゃんのお父さんがまだ休んでいると聞くと、挨拶は夕食の時にと言ってそそくさと去って行った。

 わたしはここの兄弟が苦手なのでホッとする。

 わたしの兄には従順な下僕って感じなのに、わたしに対しては横柄で見下してくる。

 二年ほど前に兄の方に言い寄られたことがあって、それ以来は警戒心マックスで対処しているが、時折こちらを見る目が嫌で仕方がない。

 上の兄に話すと、わたしの気持ちを分かってくれて、一緒にいる時は気を配ってくれるのだけど、大学生なのでこちらに滞在する時間は短い。

 下の兄は……馬鹿なので言っても無駄だろう。


 夕食は大広間に全員が集まる。

 お手伝いさんが配膳などをすべてやってくれる。

 料理も豪華だし、旅館に来たような感じなのに、このメンバーでは美味しく食べられない。

 席は家族ごとではなく、祖父と父たち、祖母と母たち、男子、女子に別れている。

 祖父のところは晩酌を呑みながらなのに、あまり盛り上がっている様子がない。

 祖母のところは、華菜ちゃんのところの母親が来ていないからまだマシだが、嫁姑だからなのかいつもピリピリした感じがする。

 兄たちの集団は空気に気付かず、自分たちだけで盛り上がっている。

 時々こちらに向けられる視線が嫌な感じだ。

 女子のグループは黙々と食べている安藤さん以外はこの空気のせいで話が弾まなかった。


「少し失礼します」と日野さんが席を立つ。


 トイレだろうと気に留めていなかったが、下の兄が彼女を追うように部屋から出て行って、不安になった。

 しばらく迷っていたが、わたしも席を立った。

 トイレの方へ廊下を歩いて行くと、日野さんが戻って来た。


「うちの兄と会わなかった?」と聞くと、「会いました」と答えた。


「何か……変なことを言われたりしなかった?」と心配すると、「大丈夫です」と言って、わたしの背後に視線を移した。


 振り向くと従兄弟ふたりがこちらに歩いて来た。

 早足で、わたしをじっと見ながら、無言で。

 怖くなって、思わず身をすくめる。

 その時、日野さんがわたしの前に立った。


 従兄弟ふたりは一度は立ち止まったが、「邪魔だ」と言って彼女を押しのけようとする。

 近付いた兄の方が床に崩れ落ちた。

 お腹を両手で押さえて呻き声を上げている。

 わたしからは日野さんの背中しか見えず、何が起きたのか分からなかった。

 弟が「兄ちゃん」と言って駆け寄る。


「食べた直後なので戻すかもしれません。トイレに連れて行ってあげてください」と日野さんは何ごともなかったかのような態度で話す。


 弟は一度だけ日野さんを見上げた後、兄に肩を貸してトイレの方へ運んで行った。

 わたしはただ呆然とそれを見ていた。


「戻らないのですか?」と日野さんに言われてハッとする。


「何をしたの?」と問うと、「軽く突きを」と右の拳を見せた。


 わたしが固まっていると、「空手を習っているので」と教えてくれる。

 嫌な予感がして、「もしかして兄も……」と尋ねると、「少し休めば大丈夫なんじゃないでしょうか」と平然と答えた。


 わたしは目の前の暴力に混乱して、「素人相手に手を出してもいいの?」と問い詰めるように聞いた。

 すると、彼女は「私は気にしませんが」と言ってから、「一応手加減はしていますし」と付け加えた。


「仕返しされたりしないの?」と言うと、「それを恐れていたら、言いなりになってしまいますよ」とキッパリと答えた。


 わたしが絶句していると、「もし次に何かしたら、潰しますよと言っておいてください」とニコリと笑う。

 その迫力にわたしは頷くことしかできなかった。


 広間に戻りながら、「防犯ブザーは持ってますか?」と聞かれ、首を横に振ると「予備を持っているので、あとでひとつ差し上げます」と日野さんは言った。

 更に、「性暴力は顔見知りによる犯行が圧倒的に多いです。しかも、泣き寝入りに繋がりやすいので、用心するに越したことはないですよ」と忠告された。


「いまのこと、言った方がいいかな」と相手は歳下なのについ相談してしまう。


「私からは何とも言えませんが、証言が必要ならしますよ」と答える彼女は頼もしく見えた。


 部屋に戻ったらお母さんに言おうと決心する。

 ついでに、下の兄のことも告げ口しておこう。




††††† 登場人物紹介という名のおまけ †††††


愛花「華菜ちゃん、あの日野さんっていったいどういう子なの?」


華菜「何かあったの?」


愛花「かくかくしかじかで……」


華菜「実際に見た訳じゃないけど、相当強いみたい。それに、頭が切れるから無敵な感じ?」


愛花「無敵!?」


華菜「男の子三人に襲われたから反撃しただけで事故ですと言って認めさせる能力の持ち主」


愛花「……。えーっと、仕返しに行ったら返り討ちに遭うのは間違いない?」


華菜「容赦しないと思う」


愛花「下の兄たち、言って、聞いてくれるかな?」


華菜「……。その時は未然に犯罪が防げたと前向きに考えようよ」

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