第96話 令和元年8月10日(土)「祖父」日々木華菜

 予報通り、東北道は渋滞が発生した。

 お盆が間近に迫り、更に三連休の初日だから当然と言えば当然だ。

 北関東の祖父の家へ向かう車中には純ちゃんと可恋ちゃんがいた。

 うちの車は5人で限界なので、今日はお母さんが来ていない。

 空いていれば3時間程度の道のりだが、この渋滞具合だと結構掛かるかもしれない。

 お父さんは運転を交代できないので、わたしが気を配らないとと思っていた。


 わたしは助手席に座り、後部座席に純ちゃん、ヒナ、可恋ちゃんと並ぶ。

 可恋ちゃんは人数の都合でお母さんが一緒に行けないことを恐縮していた。

 しかし、彼女の参加はヒナの希望だとみんな知っているので、気にしないでと口々に言った。

 それに、この方が良かったかもしれないと思う。

 いまお祖父ちゃんとお母さんは冷戦状態で、いきなり顔を合わせない方がいい気がする。

 お祖父ちゃんはヒナには激甘だから、ある程度ヒナとの間で話をしてから顔を合わせた方がいいんじゃないかとわたしは思った。


 むしろ、わたしが心配なのは従兄弟たちのことだ。

 父方の従兄弟は5人いる。

 4人が男で、女子はひとりだけ。

 その子は私と同学年の高校1年生だ。

 彼女はヒナがお祖父ちゃんから贔屓されていることをいちばん不快に感じていた。


 彼女は世間的には可愛いと呼ばれるレベルの女の子だ。

 それなのにお祖父ちゃんはヒナばかり可愛がった。

 ただの溺愛ではなく、際限なく服や装飾品を買い与えた。

 傍から見れば、これ以上ないくらいに孫のうちひとりだけを甘やかしている。

 なんでヒナばっかりという気持ちは分からない訳じゃない。

 子どもの頃にその感情が態度に出るのも仕方がない。


 彼女にはふたりの兄がいた。

 上のお兄さんは歳が離れていたが、下のお兄さんは歳が近く、とても仲が良かった。

 だから、妹のためにと思ってなのか、彼はヒナにきつく当たった。

 しかも、もう一組の家族の兄弟は彼の弟分みたいに付き従った。

 この三人が組んで、暴力こそ振るわないものの、嫌味を言ったり、からかったり、イタズラしたりとやり放題だった。


 三人のうち二人はもう高校生だというのに、あまり変わり映えしない。

 女の子の方は中学生になってからはそれなりに仲良く付き合うようになったのに。

 ヒナが言い返したり、きつく言ったりしないから、彼らは調子に乗っている。

 わたしが側にいて守っているが、力では敵わないので限界がある。


 純ちゃんは体格的に男子に見劣りしないので、向こうも警戒するだろうが、可恋ちゃんは見た目ではその強さは分からない。

 ヒナから聞いた話がすべて本当なら、可恋ちゃんはもの凄く強い。

 虎の尾を踏みそうな子どもの前に本物の虎を連れて来たようで、正直不安を感じている。


 車に乗り込んだ時は元気だったヒナは渋滞に巻き込まれた頃から静かになった。

 振り返るとすでに居眠りをしていた。

 純ちゃんもその隣りで眠っている。

 可恋ちゃんだけがイヤホンをはめて外を眺めていた。


 わたしも睡魔に襲われていた。

 でも、わたしまで眠ると運転中のお父さんに悪いと思う。

 眠気防止のために何度か話し掛けていたが、いつの間にか眠りに落ちてしまった。


 お父さんから「そろそろ着くよ」と起こされた。

 慌てて外の景色を見ると、すでに高速を降り、祖父の家の近くまで来ていた。

 後ろでは可恋ちゃんがヒナと純ちゃんを起こしている。


「ごめん、眠っちゃって」と謝ると、「気にしなくていいよ」とお父さんが許してくれた。


 可恋ちゃんは「水分補給した方がいいですよ」と忠告してくれて、わたしは手元のぬるくなったスポーツドリンクを口に含む。

 飲んでからのどが渇いていたことに気付いた。

 時計はもうお昼を回っていた。

 照りつけていた太陽は雲に隠れ、日差しがなかったことに安堵した。


 ウェットティッシュで顔を拭ううちに祖父の家に到着した。

 前庭には、何台か駐められる駐車スペースがある。

 まだ他の親戚たちは来ていないようだった。

 車を駐め、荷物を下ろす。

 いちばん大きな鞄はヒナの衣類が詰まったものだ。

 恐ろしいことに、この鞄は月曜日に家に持って帰り、次に両親が来る時に服が詰まった別の鞄を持って来ることになっている。


 祖父の家は都会の感覚からすると無茶苦茶広い家だ。

 田舎の山あいだから土地は安いらしいが、家の周りを一周するだけでジョギングに最適な距離となる。

 前庭の他に池のある裏庭もあり、建物はちょっとした旅館並だ。

 三家族が泊まってもまだ部屋に余裕があるし、泊まる部屋もそれぞれに居間や寝室などがあって、本当に旅館のようだ。

 外見からは旧家のように見えるが、結構新しくて洋室も多いし、増築や改築を繰り返しているので屋内はとても綺麗だ。

 祖父母のふたり暮らしだが、何人かお手伝いさんを雇っている。

 祖父はこの地域の顔役で、来訪者はいまも非常に多い。


 家族の泊まる部屋はいつも同じで、純ちゃんと可恋ちゃんの部屋はそのすぐ近くに用意してもらった。

 長期休暇ごとに滞在しているので、案内は必要ないが、お手伝いさんに案内してもらう。

 お手伝いさんも地元のお爺ちゃんお婆ちゃんだったりするので、顔見知りだ。


 宿泊する部屋はドアはきちんと施錠できるし、中には居間や複数の寝室、冷蔵庫やユニットバスなどがあり、本当に旅館といっしょだ。

 大浴場に温泉でもあれば明日から旅館としてやっていけそうとはヒナといつも話すジョークだけど、こんな辺鄙な場所では客が来てくれないだろう。


 着替えてから、お祖父ちゃんのところへ全員で挨拶に向かう。

 お父さんが大学進学のために家を出た後に建てられたので、お父さんよりもわたしやヒナの方がこの家に詳しかったりする。

 ヒナが嬉々として可恋ちゃんたちに説明する様をお父さんは興味深そうに聞いていた。


 お祖父ちゃんは和室に座り、テーブルの上のノートパソコンのキーボードを打っていた。

 後期高齢者だというのに、一本指ではなく、普通にパソコンを使っている。

 わたしたちが部屋に入ると、手を止め、顔を上げて、「いらっしゃい」と歓迎した。


「ご無沙汰しております」と他人行儀な口調でお父さんが挨拶する。


 これはお祖父ちゃんの方針で、家を出たら親子といえどひとりの大人として付き合えということらしい。

 お祖父ちゃんは一代で会社を興し、成功を収めた。

 65歳で引退し、請われて地方議員を務め、現在はそれも引退している。

 それでも他人の世話や頼み事に応えるために奔走している。

 そのお祖父ちゃんは、息子三人に大学を出るまではお金の心配は一切させないが、大学を出たら自分の力だけで生きていけと教育したそうだ。

 だから、遺産は一切残さないと宣言している。

 それなのにヒナを特別扱いするからややこしくなっているわけだけど。


「よく来てくれた」と言いつつ、お祖父ちゃんはヒナだけに笑顔を見せる。


 お祖父ちゃんは若い頃はロシア人っぽい顔立ちでよくモテたらしい。

 言い寄る女性たちを相手にせず、お祖母ちゃんと仕事だけを愛したとよく語る。

 老けたいまでも、彫りの深さや瞳の色にその特徴は残っている。

 ヒナと似た面影に血の繋がりの濃さを感じる。


「”じいじ”、紹介するね。純ちゃんは以前に紹介したけど、あれから随分経ったから改めてね。わたしの親友の安藤純ちゃん、オリンピックを目指す競泳選手で、わたしをいつも守ってくれる存在」


 ヒナは純ちゃんの手を取って、誇らしげに紹介した。

 親子ほどの身長差があるが、ヒナの方がお母さんのような雰囲気を醸し出している。

 純ちゃんが会釈すると、お祖父ちゃんも頷き返した。


「可恋は……」と言ってヒナが可恋ちゃんの手を取る。


「わたしの大切なひと、みたいな?」とヒナは自分で言って真っ赤に照れた。


「日野可恋です。初めまして」と、可恋ちゃんは綺麗なお辞儀をした。


 お祖父ちゃんも自分の名を名乗って、座ったまま頭を下げる。

 それからわたしたちに座るように勧め、お手伝いさんを呼んで座布団を用意してもらう。

 渋滞の話や天候のことなど雑談をしているうちに他の家族の到着が知らされた。

 わたしたちは部屋に戻ることにする。


「”じいじ”、大切なお話があるの。今晩時間を取ってもらえますか?」とヒナが切り出した。


 お祖父ちゃんもそれを予想していたのか、驚くこともなくヒナに頷いてみせた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木華菜・・・高校1年生。祖父の家に行くのはゴールデンウィーク以来。詳しくはプレストーリー編を。


日々木陽稲・・・中学2年生。”じいじ”の家に行くのはゴールデンウィーク以来。春休み中も長期滞在していた。


日野可恋・・・中学2年生。基本的に旅行は苦手。祖母はもっと苦手なので陽稲には感謝している。


安藤純・・・中学2年生。どこであってもマイペース。

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