第86話 令和元年7月31日(水)「札幌」日々木華菜
「ちょっとの間に、華菜ちゃんも陽稲ちゃんも変わったわよね」
昨夜、香波ちゃんと桂夏ちゃんが寝た後、わたしたち家族3人は宣子叔母さんと一緒にお祖父ちゃんの家に向かった。
そっちで泊まることになっていた。
その道すがら、宣子叔母さんがしみじみとした口調でそう言った。
「そうですか!」とヒナが喜びの声を上げた。
誇るようにヒナは笑顔を見せる。
本人にも自覚があるのだろう。
前に会ったのが4月末だったので、3ヶ月の間に自分が変わったということに。
「そうですか? 自分じゃ気付かないです」
ヒナと違って、わたしにはあまり自覚はない。
この春、高校入学という人生の一大イベントがあったのに、それで何かが変わったという感覚がない。
「ふたりとも、大人っぽくなったわ」と宣子叔母さんが微笑んで言ってくれた。
わたしも気分を良くしていると、「まだまだ子どもよ」とお母さんが水を差す。
「この間もね……」と失敗談を言われそうになって、わたしとヒナは焦って口止めしようとした。
そんなふたりの様子に、「ね、子どもっぽいでしょ」と言われてしまう。
「わたしは、香波ちゃんや桂夏ちゃんの方がとても成長したと思います」と分が悪くなったわたしは話題の矛先を変えた。
「毎日接しているとなかなか気付かないものね」と宣子叔母さんが息を吐いた。
「そういうものよ」と実の姉に当たるお母さんが慰める。
「まだまだ子どもだって思っていてもあっという間に大きくなっちゃう。特に、中学生以上になると友だちの影響が大きくなるから、親なんて置いてけぼりよ」
お母さんがわたしとヒナを見ながらそう言った。
ヒナについては、可恋ちゃんとの出会いが大きかったのはわたしも実感している。
自分自身のことはよく分からないけど。
「でも、本当に来てくれて助かったわ。香波のことは見ているつもりだったんだけど」
宣子叔母さんは歩きながらわたしとヒナの頭を撫でてくれた。
香波ちゃんが泣いた話はその日の夜にわたしがみんなに伝えた。
香波ちゃんと桂夏ちゃんはヒナと一緒に先に休んでいた。
ふたりの両親は驚いていた。
これまで香波ちゃんはそういうところを全然見せなかったらしい。
宣子叔母さんは周りのことによく気が付く人なので、察してはいたと思うけど、香波ちゃんが抱えていた気持ちの重さまでは想像していなかったようだ。
親に心配をかけたくなくて、辛くても言えない気持ちはわたしにも分かる。
わたしは妹のヒナのことが大好きだ。
それでも、ヒナのことで悩むことは多かった。
ヒナは誰が見ても特別だと分かる女の子だ。
生まれた時から日本人離れした美しさを誇り、そのまま成長してきた。
ごく平凡な容姿のわたしとはまったく異なる存在。
どこでも、誰からも、注目され、好意や時に悪意を向けられることがあった。
そんな中で、ヒナは驚くほど真っ直ぐに育ち、高いコミュ力を持ち、努力を惜しまない頑張り屋になった。
わたしはヒナのことを凄いと思っている。
一方で、わたしは姉としてヒナを守らなくてはならない。
彼女との距離の取り方は、わたしにとって常に大問題だった。
ベタベタしすぎて負担を掛けたくない。
よそよそしすぎて垣根を作りたくない。
ヒナのことが羨ましくて、妬むこともあった。
ヒナのことが心配で、つい言い過ぎてしまうこともあった。
よい距離感が取れるようになったと思ったのはほんの最近のことだ。
可恋ちゃんの存在がきっかけだと思う。
ヒナを取られてしまったように感じることもあるけど、彼女のお蔭でヒナとの距離の取り方を悩まなくて済むようになった。
こんなわたしの気持ちの揺れ動く様を、お母さんは気付いていたと思う。
わたしから誰かに話すことはなかった。
しかし、お母さんは折に触れて、励ましたり、アドバイスしたりしてくれた。
わたしにとってそれは大きな助けだった。
わたしは必死に隠していたものの、実はバレバレだったんだろう。
ヒナには……。
ヒナにはバレていなかったつもりだ。
でも、ヒナこそ自分の感情を隠すのが上手いので、わたしは確信を持てない。
今日も北海道気分には浸れない暑さだった。
千歳空港まで見送りに来てくれた宣子叔母さん、香波ちゃん、桂夏ちゃんとお土産を買ったり、アイスを食べたりした。
搭乗が近付くと元気いっぱいだった香波ちゃんと桂夏ちゃんが涙ぐみ始めた。
「ほら、泣いてないで、ちゃんとお見送りしましょう」
「元気にしていてね。次に会う時はわたしの方が背が高くなっているから」
宣子叔母さんが宥めたり、ヒナが冗談を言ったりするが、ふたりは泣き止まない。
妹の桂夏ちゃんはヒナの腕にしがみついたままだ。
「またすぐに会えるわよ」という宣子叔母さんの気休めの言葉に、香波ちゃんは「すぐっていつ?」と追及する。
これまで従妹たちと会うのは1、2年に1度のペースだった。
それを当てはめると早くても来年の夏だろう。
桂夏ちゃんはともかく、香波ちゃんはそれを分かっている。
そして、子どもにとって一年はとてもとても長い時間だ。
こればかりはどうしようもないと思っていると、「冬休みにうちに遊びに来る?」とお母さんが提案した。
「良い子にしていたら、お父さんやお母さんにお願いしてあげるわ」とお母さんはしゃがみ込んで従妹たちに告げた。
子どもたちは大喜びだが、宣子叔母さんは複雑な顔で「いいの? 姉さん」と尋ねた。
「たまにはいいじゃない。お義父さんのことは陽稲がなんとかしてくれるでしょ」
お母さんのお気楽な発言にヒナが目を丸くしている。
これまで長期休暇は北関東に住む父方のお祖父ちゃんの家で過ごしていた。
ロシア系の血を引くお祖父ちゃんは、自分とよく似たヒナに並々ならぬ愛情を注いでいる。
会社を興して成功し、いまは悠々自適な生活をしている。
ヒナを巡っては両親と対立し、資金援助をする代わりにいくつかの条件を出した。
長期休暇にお祖父ちゃんの家に行くのもその条件のひとつだ。
「本当に大丈夫?」とわたしはお母さんにそっと尋ねる。
「いつまでも休み中ずっとお祖父ちゃん家って訳にもいかないでしょう。あなたも陽稲も。そろそろ考え直す時期なのよ」
今年の春休みはヒナはずっとお祖父ちゃんの家に泊まったが、わたしは両親と一緒にヒナを送った時に一泊し、迎えの時に一泊しただけだ。
しかし、夏休みや冬休みは従兄弟たちもお祖父ちゃんの家に泊まりに来る。
お祖父ちゃんから贔屓されているヒナは面と向かって悪口を言われたりはしないものの、陰でコソコソ言われたりはしている。
だから、わたしもずっとヒナの側にいることになる。
これまで夏休みは1ヶ月近くお祖父ちゃんの家で過ごした。
今年は十日ほどに短縮した。
お父さんやお母さんはお祖父ちゃんから文句を言われたみたいだ。
それでも、「ヒナが行きたくないと言えば行かせません」とお母さんはキッパリと言い返したらしい。
お祖父ちゃんの出した条件のひとつに、ヒナの高校の進学先を臨玲にするというものがあり、最近この学校の評価が落ちていることにお母さんが不満を持っている。
間に立って苦労しているお父さんから色々と聞いて、わたしも心配している。
お父さんはヒナに「お金のことは考えなくていいから、陽稲の好きなようにしていいんだよ」と言っていたが、いまのところヒナは臨玲で納得しているようだ。
可恋ちゃんが同じ高校に進学してくれると言っているから。
宣子叔母さんは冬休みか春休みにわたしたちの家に連れて行くと言ったので、ふたりは機嫌を直して笑顔で見送ってくれた。
ヒナは最初困った顔をしていたが、すぐに笑顔に戻った。
「わたしにできることなら協力するから」とヒナに告げると、「大丈夫だよ」とニッコリと笑った。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木華菜・・・高校1年生。こんな妹がいれば誰だってシスコンになるよね?
日々木陽稲・・・中学2年生。冗談なんて言ってない。
日々木実花子・・・華菜と陽稲の母。陽稲が生まれてから嫁舅対立が続いている。
里中香波・・・小学6年生。華菜お姉ちゃんを頼もしく思っている。
里中桂夏・・・小学3年生。陽稲お姉ちゃんを可愛いと思っている。
里中宣子・・・香波と桂夏の母。実花子の実妹。昔は姉へのコンプレックスがあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます