第85話 令和元年7月30日(火)「勝負」日野可恋

 体格差は明らかだ。

 キャシーは180 cnを越え、手足も長い。

 対する麓さんは、150 cm台半ばといった感じで、平均的な日本人の中学2年生の身長だ。


 格闘技において身長体重は圧倒的なアドバンテージになる。

 小よく大を制すなんて現実ではかなり難しい。

 空手は階級別でない場合もあるが、コンタクトを認めない大会でもリーチの差は大きく勝敗に影響する。


 キャシーは道着姿でヘッドギアや肘当て、ボクシンググローブをはめている。

 麓さんはタンクトップの上にプロテクターを着け、ヘッドギアとボクシンググローブという姿だ。

 舞台は板張りの道場だが、対戦ルールはほぼボクシングに即している。

 1ラウンド3分で3ラウンドまでを予定しているが、そこまで続くことはない。

 1ラウンドでも持てば麓さんの実質的な勝利だと私は考えている。

 たとえ、キャシーが右腕一本しか使わないという制約があるとしてもだ。


「始め!」


 審判を務める私の合図で、対戦が始まった。

 いきなり動いたのはキャシーだ。

 大きく踏み込み、右腕を打ち下ろす。

 空手ではなく、ボクシングの右ストレートに近い。


 うなるような音が聞こえてくる。

 さすがに大振りの初手が当たることはなかった。

 しかし、麓さんの予測を超えていたのか、躱したのは紙一重だった。

 それだけキャシーの歩幅やリーチが長く、その感覚を掴むのは難しいと言える。


 キャシーは伸ばした右手で追撃する。

 彼女の身体能力の高さを感じさせる身体のねじり方だった。

 左手や足が使えない以上、右手での攻撃後に大きな隙ができる。

 そこを、身体の無理を利かせることで反撃のタイミングを与えないようにした。

 キャシーの右手が麓さんのヘッドギアを叩く。

 威力はほとんどないが、触れられるだけでも嫌なものだ。

 麓さんは踏み込まず一歩後ろに下がった。


 それを予測していたキャシーは、間合いができたことを生かして右手をフリックする。

 一撃必殺というほどの威力はなくても、キャシーの筋力であれば相当なダメージを与えられるだろう。

 キャシーは空手はまだまだ初心者だが、自分の身体能力の活かし方はよく理解している。

 右手を鞭のようにしならせて麓さんの顔面に迫る。

 麓さんはこれを後ろに倒れ込んで避けた。


「待て!」


 私は試合を止め、麓さんを立たせた。

 今日のルールでは場外へ待避すれば注意を与えるが、避けるために倒れるのは怪我防止を理由に制限していない。

 キャシーの攻撃をすべて倒れて避けようとしても無理がある。

 反撃の姿勢を見せないといくらでも踏み込んでこられるからだ。


 麓さんが立ち上がり、構える。

 キャシーも今度は空手の構えを見せた。


「始め!」という私の声に、キャシーはゆっくりと間合いを詰めていく。


 キャシーの練習でいちばん取り組んでいることは足の運びだった。

 格闘技によって求められる足の運びは異なる。

 ただこれまでキャシーは圧倒的な身体能力を武器にしていたのでそういうことに無頓着だった。

 攻撃する技はほっておいてもどうせ好きに練習する。

 それ以外の武道の心得や格闘技の基本をいま叩き込んでいるところだ。


 その成果か、麓さんはフットワークを生かせず、どんどん押し込まれていく。

 ボクシングのリングのようにロープを張っている訳ではないが、場外の線があり、そこから出ると、忠告、警告、反則注意、反則とペナルティが与えられ、反則で試合は終了する。


 場外間際でキャシーが仕掛けた。

 グッと踏み込み、ガードの上に突きを放つ。

 それを狙っていた麓さんがキャシーの右手の突きに向けて自分の右手を出した。

 右手を打ち払われると大きな隙ができるため、キャシーはすぐに右手を引き戻した。

 麓さんもそれを読んでいて、間合いを詰める。

 ほとんどショルダータックルのようにキャシーにぶつかった。

 普通なら弾き飛ばされるだろうが、キャシーはビクともしない。


 麓さんはキャシーの懐に入ったとはいえ、ほとんど背中を向けた状態だ。

 キャシーもこの距離からは有効打は狙えない。

 キャシーは右手で麓さんの身体を押しのけようと伸ばす。

 麓さんはその手を胸元で両手を使ってがっちり抱え込んだ。

 そして、思い切り頭を後方に振る。

 その頭がキャシーの顎を直撃した。


「やめ!」


 麓さんは何度も頭突きをしようとする。

 一方のキャシーは左手も使って麓さんをがっちりと抱き抱えると、腰を落としての投げを狙っている。

 私は「やめ!」と叫びながらキャシーの肘を思い切り蹴り飛ばした。


 麓さんは吹き飛び、キャシーは私の方を向いて食ってかかろうとした。


『やめ! って言ったでしょ!』


『アイツ反則したから』とキャシーは釈明するが、『だから、反則負けで試合を止めたでしょ。審判の制止を聞かないのならあなたも反則負けよ』と早口でまくし立てる。


『そもそも、接近戦を許して無様な展開になったから頭に血が上ってしまったのよね』と私は一刀両断した。


『ちょっと油断したって言うか、アイツが仕掛けてこないから……』と言い訳を続けるキャシーを相手にせず、私は麓さんのところへ行く。


「反則負けよ」


「分かってる。でも、他に手が無いだろ」


「よく考えて戦ってたと思うし、予想してた以上の内容だった。反則したことをとやかく言うつもりはないの。ただ反則のメリットとデメリットを考えると、あのタイミングでは正しいとは思わない」


 麓さんは起き上がり、私をじっと見た。


「麓さんが反則すれば、当然キャシーも反則する可能性が高まる。実際そうなった。私が止めなければ、投げ飛ばされて怪我をしたわ。そこまで考えた?」


「それは……」


「キャシーの身体能力を考えれば私が確実に止められる訳じゃない。そんなリスクを抱えてまでする反則じゃなかったと思う。それにまだ戦えたでしょ? 反則に逃げるのが速すぎだわ」


 麓さんは黙り込んだ。


「頭――頭突きじゃなくて頭脳ね――を使ったからって勝てるとは限らないけど、少しでも勝つ確率を上げるために考えようとする人は好きよ。麓さんはそれができるんだから、簡単に諦めないことね」


 私はそう言うと、ふたりを対面して立たせた。

 キャシーの勝利を告げ、ふたりに礼をするよう促す。

 礼を終えると、キャシーが麓さんに駆け寄った。


『反則は気に食わないが、お前は勇気がある。グッドルーザーだ』


 キャシーは嫌がる麓さんに無理矢理ハグをする。

 私はキャシーの言葉を通訳してあげた。


「あー、反則は悪かった。お前はスゲー強いって言っといてくれ。あと、暑いから抱き付くのも無しって」


 私は笑って麓さんに頷き、その言葉をキャシーに伝えた。


『カレン、約束通りに勝ったんだから、ワタシとの勝負を受けてもらうぞ』


 3分以内にノーダメージで勝利したら、試合に応じると約束していた。

 頭突きは反則なので条件は満たしたと言えるだろう。

 私が『分かった』と答えると、『今度はカレンが右手一本ね』とキャシーが笑う。


『そうね。キャシーはコンタクト禁止で、私はコンタクトありでいいならやってあげるわよ』


 私の返答にキャシーは頭を抱えて悩み出した。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・中学2年生。空手のルールで戦うならキャシーとの力の差はまだかなりある。


キャシー・フランクリン・・・14歳。『カレンの突きは半端なく痛い』


麓たか良・・・中学2年生。当面の目標はボクシングのルールで日野に勝つこと。

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